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せっかく「いい気分」になっても、すぐに元に戻ってしまう人へ


私はここ数年なるべく
「いい気分」を心掛けるようになった

もちろん
1人でカフェなんて行けた日は
とっっても、気分がいい

その瞬間は何も自分に対して
嫌な気分になる事はないし
マイナスな気持ちにも襲われない

でも、
家に帰ったりして
日常に戻った時、
またどーんと、
一気に落ちてしまう事がよくある

子どもの世話や
思うようにいかない家事

「さっきまであんなにいい気分だったのに、、」
「私は何してもダメなんじゃないか」って
絶望感に襲われる

この「いい気分」と
「日常」の
乖離が酷過ぎて
心の振れ幅についていけなくて
しんどかった

どれだけリフレッシュしても
元通り

何度も何度も繰り返して
また「いい気分」にすがる

でも、また元通り、、

いつになったら私は
幸せになれるのだろうって
絶望する、、、。


でも、
やっとやっと気が付いた



カフェでいくら
心を整えても変わらないのは
「日常」を変えないといけないから

もっと言えば変えないといけないのは
「日常の私の頭の中」だ


私の頭の中には
怒号が鳴り響いてる


でも、厳密に言うと
怒号とまではいかない


自分をディスる言葉
さげずむ言葉みたいなもの

やんわりとしてるので
自分でも自分を攻撃してるなんて
気がつかなかった

例えば
「何で私はこんな事(子どもと遊ぶ、喜ばせる、構ってあげる)も出来ないんだろう?」

「何で私はあれ(料理)も出来ないんだろう?」

「何でこんな事(上手な人付き合い)も出来ないんだろう?」


こんな疑問系だから、
自分を責めている意識すら無かったけど、

言い方を変えてみれば

「もっとあぁしろよ」
「もっとこうしろよ」
「あれもしろよ」
「もっと、もっと早く」
「何で出来ないんだよ!」

っていつも罵ってるようなものだった


こんな風に24時間
自分が自分をボコボコに
殴り続けていたら
そりゃ〜〜苦しい訳だ


「こうしろ、あぁしろ」って
ずっと罵られて
気分良くなる方が難しい


この声を紐解いていくと
結局はいつも幼少期にぶち当たる


「私って何の為に生まれてきたの?」
「私っている意味がない」
「私なんて生きていない方がいい」
「あぁ消えてしまいたい」

そんな声を
幼少期からずーと「頭の中」に飼っているのだ

だから、
日常の些細な出来事を見つけては

「私って何であんな事も出来ないの?」
「私って何でいつもこうなっちゃうの?」
:
:
:

「私なんていない方が良かったのに」
「私なんて消えてしまいたい」

に繋がっていって
どーんと落ちる癖がついている


この癖が
「頭の中の声」となって
日常生活に染み込んでいる


その声を発している
あの頃の私に対して
癒してあげる事も大切だけど、
何十年と飼い慣らした声は
一度や二度と寄り添ってあげた所で
すぐには無くならない



この「声」を変え続けない限り
私は一生変われない


私達は

選択し直せるのだ


☆その為には
まず第一に
自分を責めている事に気づくこと



自分を責めている時は
大抵気分が悪い

だから
気分が悪くなったら
「気分が悪くなった事」に気づくこと!


「あっまた私自分を罵ってる」と




そして、
もっともっと高次元の
愛の場所から自分にエールを送る

『大丈夫』
『あなたは頑張っているよ』
『あなたの味方だよ』
『あなたは何したっていいんだよ』
『あなたが大好きだよ』


そんな源の言葉に触れると
自分を攻撃していた思考が
ピタリ止まり
ほっ〜と安心する




これを何度も何度も
練習するしかない


本当に大切なのは
『日常』


日常の頭の中を
どんな声を飼うかで
本当に世界が変わる

自分を罵り続ける声か、
自分の味方をする優しい声か、


どちらを採用するかは
今この瞬間から選べる


ただ自分を罵る声は
無意識に自動で始まるので
嫌な気分になった時に
気づく事が大切だ



そういえば
これまでの人生よく考えてたなぁ

「どこか遠くに行ってしまいたい」
「どこかに安住の地があるはず」
「どこかに桃源郷のような場所があるはず」

でも、
この頭のまま
どこか遠くにいっても
何も変わらない

変えないといけないのは
環境でも場所でもなく

『自分の頭の中』
それも
『自分を罵る声だけ』だ

それを日常から変えていく事だけが
人生を変える事なんだ

今日も自分に優しく
自分で自分を幸せにする覚悟を、、


ほっとスタバで
休憩しながら、、そんな事を思ったよ♡

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