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私が辛いのは「お母さんのせい」から抜け出す方法

最近ひょんなことから
また「お母さんのせいおばけ」に取り憑かれていましたw

マママスであんなに向き合ったのに
ちょっと気を抜くと

「くそーお母さんのせいだー!
私がこんな風になったのはお母さんのせい!キィー!」

って、、ふふふ


こうゆう時は
一回全部吐き出してスッキリ気が済むまで
「お母さんのせいだ!ちくチョー」をやった方がいい
(出来ればノートで!
頭の中だけだとスッキリせず
ずっとぐるぐる終わらない気がする)


その後、
冷静に考えた


最近
息子がよく
怒って駄々こねて
私は寄り添ってみても
どうしてもどうにもならなくて
途方にくれてしまう


こんな時
ついつい
「結局あの親に育てられた私なんかが
子育てをしても
上手く出来るはずないんだ」


「いくら勉強しようが
やっぱり無理だったんだ、、」

「だってやり方が分からないから」

って諦めそうになる。。。


だって
「受け止めてあげる事も
正直に何でも話す事も
お母さんにしてもらった事ないんだから!プン!」
って拗ねてしまう


そうすると
「お母さんのせいおばけ」に取り憑かれる


取り憑かれるとどうなるか?


出てくる出てくる
お母さんのダメな所
悪い所
過去の記憶の中にまで探しに行って
「あんな事もしてくれなかった、
あんな事された!
ひど〜い!きぃー!」

って余計にイライラを増幅させる


でも、、、ちょっと待てよ、、

これ、マママスもぶつかった事あったぞ?


そうだ、そうだ、

『私はお母さんのせいにしていたかったんだ、、、』
アイテテテ


だって息子が目の前で駄々こねて
何しても治らなくて
毎日のように繰り返されて、、、

自分でもどうしていいか分からない


それを、
自分のせい?だと内心どこかで責めてるから


こんな私が育ててるからだって
心のどこかで責めてるから

それを感じるのが痛過ぎて
「もう!お母さんのせい!」
って責任転嫁したいんだ

その方が自分を責めなくて済むし
自分の行動を変えなくて済む

お母さんのせいだーって
人のせいにしてた方が
それ以上の行動をしなくて済んでラクなんだ
(と潜在意識で望んでる。自覚はないけど)


でもでもでもちょっと待って!


「お母さんのせいだー!」
って
お母さんの嫌な所わざわざ探しに行って
「あれのせいか?
これのせいか?」
って原因追求してる時点で
めちゃくちゃ苦しいよー!!!

そんなおばけに取り憑かれる状態で
ずっと過ごしたい??


それより
自分で変えていける方法を考えて
やって行った方が良くない??


って遠回りしながら
マママスで学んだ事を思い出す


確かにお母さんに〇〇して欲しかった、
ってゆう思いはあるし、
子育てしてると
自分のお母さんのやり方しか分からないから
上手くいかないと
お母さんを恨みそうになる


でもね、
お母さんのせいだって思ってると
そこでとどまっていられる


息子の癇癪にも
お母さんのせいという武器が使えて便利

私はそれ以上何もしなくて済むから


でも
それじゃあ嫌だから
自分の心に向き合おうと思ったんじゃないのか私?


そうだ
学んだ事をゆっくり思い出そう

○感情を吐き出す事
○とにかく吐き出す事
○その後
見えてくる自分の偏ったセルフイメージやマイルール
○それが出来上がったのは
幼少期の未消化なままのあの頃の気持ちがまだ疼いているから
○それを今からでも迎えに行ってあげて
受け止めてあげて
寄り添ってあげる事
○それを抱えているメリットに気付いて手放してあげる事

そうだ、
私は自分で自分に寄り添う方法を
教えてもらったんだった!

あの家庭で育ったからこそ
心理学に興味を持って
実践してきたんだし


それは
自分の為だけど、
いつか息子の為にもなると信じてやってきた


ここでまた
「お母さんのせいおばけ」に
取り憑かれて
そのまま行動しなくなったら
今までと同じ


行動しなくて済むけど
お母さんのせい、お母さんのせいって思ってずっと苦しいよ?


もうお母さんのせいは手放して
自分の責任で、行動する覚悟を持とう!

(マママス中にもこう思ったのに
すぐに忘れるw何度でも思い出そう)


お母さんと私は別の人間なんだから、
大人になった今、
自分の行動は
自分の責任で
今からでも何回でも選択し直せるんだった!!


間違えてもいい

その都度ちゃんとすり合わせていければいい



そもそも
今回の事でいえば
息子の癇癪を問題と捉えてる
私の心に問題があるよね


やっぱり心のどこかに
「私なんかが、、」が引っかかってる


まずは
自分を癒すこと

幼少期にやって欲しかった事、
感情を受け止める、寄り添う

今、私が私にやってあげよう


************************
(私の心と対話)

息子の癇癪に付き合うの
嫌だよね
疲れるよね
毎日はしんどいよね
上手くいかないね
そんな時もあるよ
よく頑張ってるね

我慢するのが私の役目、と思ってた昔の私、、
こんな私いない方がいいと思ってた昔の私、、
私なんかいない方が

誰とも関わらない方が
みんなの為だと思ってた、、、。

嫌だったよね
私だってわがまま言いたかったよね

私もここにいて良い、
関わってもいいって思いたかったよね

あぁそうだ
『私が関わったら良くないって
悪影響があるって信じてる、、』

それって本当?

私の勝手な思い込みなだけで
誰もそんな事言ってないよね

それに
もしかしたら息子は
ちゃんと自己主張を覚えて成長してるのかもしれない

ママも欲しいものは
欲しい!って言っていいよ
やりたい事我慢しないで主張していいよ!って
言ってくれてるのかもしれない


あぁそうだ
息子は体現して教えてくれていたんだ

そもそも自分を責める必要なかったな〜

勝手に問題にしてたのは私だった、、、。

****************************************

こうやって冷静さを
取り戻すと


「お母さんのせいおばけ」は
どこかにいってしまって

憑き物が取れたように
晴れやかな心になる


さっきまでの恨み、
妬みがウソのように
一瞬で無くなる

やっぱり
自分で探しに行ってただけなんだ


私が記憶をどんどん悪い所探しして
かき乱してただけで
お母さんもそんな悪い所ばっかじゃなかったよな、
むしろ不器用だったけど、
良いことも沢山してくれたな、
と落ち着いてくる


ああぁあぁあぁ〜
マママスで学んで良かった!と
心から思う瞬間


晴れやかな心を取り戻す快感


記憶って本当に凶暴で
時に暴れまわって暴徒化してしまうけど

それって自分で操ってたんだなぁ〜
(無意識だけど)


一瞬でこんなに180度ひっくり返る事ある??

お母さんの記憶が
どんどん反転していく


記憶の中の
お母さんの表情が
暗くて伏し目がちな表情から
にこやかで優しい表現に
別人級に変化していく


お母さん。ごめんよ。。


やっぱりまず向き合うべきは
『自分の心』だね

※まとめ※

結局何が言いたかったかというと、、


そもそも
問題が起こるのは
(正確に言うと「問題」ではないけど、
「問題」として捉えてしまうのは)
だれも
『お母さんのせい』
だなんて言ってないんだよね


もちろん
不満はあってもいい
こうして欲しかった、
あぁして欲しかった、はあるけど

(その気持ちはちゃんと認めてあげた上で)



でも
大切なのは
『お母さんがあの頃〇〇してくれなかった事ではなく』

『〇〇してもらえなかった時の
悲しかった、寂しかった感情を
感じてあげる事』

『今からでも抱きしめにいってあげる事』

『自分が自分の気持ちを分かってあげる事』


それをすると
自分が安心出来る


未消化だった気持ちを
ちゃんと満足させてあげる事で

『じゃあ自分はどうしたい?』と
選択し直す事ができる


ここを履き違えて
ついつい
簡単なお母さんのせい!をやりたくなる
(私のクセだね)

もちろんそこは尽きるまで
吐き出して 吐き出して
吐き出して 吐き出して
スッキリさせた方がいい

そしたら、
その後、
『じゃあ、私はどうしたいか?』
を自分で選んでいける



大人になった今なら
ちゃんと自分で選び直せる


世代間連鎖がずっと怖かったけど

『大丈夫

今からでも間に合うんだった

自分で自分に寄り添って

自分で新しい方向へ舵を切っていけるよ』


そう思い出して
ホッと肩を撫で下ろす

ふぅ〜
この自分でニュートラルに戻れる感覚が
やっぱりものすごく好きだなぁ〜


マママスありがとう
とも花ちゃんありがとう
みんなありがとう


すぐに忘れちゃうから

こうしてここに書き留めておきます!


読んでくれてありがとう(*^^*)

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