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第二章

障害物競走を見たことがあるだろうか。

それとも参加したことがあるだろうか。

ちょっと
年単位で振り返ってみると
競走まではいかなくとも

障害物に出会ったことがらが
あるかもしれない。

それは例えば
一円玉くらいの大きさの障害であったり

それこそ
手をいっぱい広げても言い表せられない
大きさのそれであったり。

大きさはさまざまであったかもしれない。

そんな時に
障害物さん、こんにちは!と言う台詞を
言えているひとを目撃すると

ドギマギすると同時に
あらぁなんだかついて行きます!っと
なるのはワタシだけであろうか。

障害物走のときは
こんにちはなどはっきり言って
出てこない。

だが、しかし

そのステキな台詞がかろうじて
ワタシにも、言えるときがある。

障害物走から何年も経ち
その障害物の障害が外れて
物に形が変わったとき

または、それがあってのワタシである。
と思えたときである。




さぁそんなこんなで
今回の
①こうだっと思いたいのだが
こうだにフタをしていることについて

②フタを外せる場合と
フタを外さない方が良い場合のお話に
入って行くとしよう。

少し内容を早送りモードにしてみる。

上記のフタとは何かと言うと障害である。

①と②を早送り翻訳モードにしてみると

①こうだと思いたい。
しかし、ある障害があらわれ、
こうだの方向に進んでいない状況。

こうだに向かうには
障害の姿を見て、その障害を外す
作業が必要になる。

②障害を外せる場合
障害の層が作られたばかりであると
障害を外しやすい。

障害の層が
熟成し過ぎている場合には
無理に外す必要もないという仮説を
現段階では答にしている。

どちらかというと
外さなくてもいい方向性はないのだろうか。
っという方向に向かう方を
意識して選んでいる。

何故かというと
障害が熟成し過ぎている場合には

その障害が
本人の一部分になっているため
障害を外そうとするのは
本人を痛め付ける状態になるのでは
ないか仮説からである。

この場合
障害も含めて本人でヨシとしていい。
障害も含めて本人であると認める。

前提を変えるのである。

そもそもが
前提をどうしているか
答えが変わってくる。

ものごとが
どうもずれているように感じたり

ものごとに
違和感を感じたりした場合には

前提を何に設定しているか
前提のところに戻って
どういう前提にしていたかなぁっと
戻って確認しに行ってみて

そこからまた
前提を変えるのか
前提を一部変えるのか
新たな前提を加えてみるか
どうしてみるといいだろうっと

思考してみるのである。

例えば
あなたの今悩んでいること
または

あなたが
なんだかこの件に関して
もやもやしていることの
前提は何でしょう?

前提を何にしているか

もしかすると
前提は一つの形だけではなく
いろいろな形にしていった方が
よりスムーズに進んでいくようだと
実験結果が出ております。

前提をがちがちに
自らしていないだろうかっと
自身に聞いてみるのもありだと。

ワタシが
ワタシ自身に聞いてみたところ
うむ、がちがちになっとります。
っという正直な答えが返ってきたので
そうか、そうなのねっと
がちがちが取れる行いを、試してみました。

次回は
ある側面からみた
がちがちが取れる行いについて
記してみようと思います。


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