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報道する義務と報道しない責任


コロナウイルスのメディアの白熱ぶりはすごい。
自粛要請の買い占め報道。
マスメディアが報道するから余計に買い占めが増える。

現在のマスメディア論

報道する義務を振りかざし、様々なことを曖昧なリソースから抽出する。
近年のニュースはそう言う風に作られている。
世論を伝える場というものと公的なリソースを伝える場、混同されてはいけない。しかし、さもありなんな顔をして両方を構成した作りになっている。近年のマスメディアは忘れてはいないだろうか。

さらに言うと、世論だからと言って責任逃れをしてはいないだろうか?
マスメディアの退化は痴態である。
記者の怠慢がありありと見える。
だから、曖昧な情報がたくさんと流れ出る。責任の所在をツイート主などになすりつける。
報道映像も大半はツイッターやフェイスブックのものである。
彼らのプライベートは守られていない。
しかしながら、それを利用許諾で安く買い上げる。
他人の優しさに甘え過ぎていないだろうか。
人が一手間加えたら、そこに対価を払うのは昔からのきまりではなかったのか。

それ故に、作り上げた偶像しか発信できてはいないのではないか。
趣味でプチ収入とか、利益がほとんどないのに、あるように作られていたり、そこにある大切なものを壊したり、時間の都合上難しいものを製作させるとか言う事件があった。
マスメディアは美談や醜聞のどちらかしか発信しなくなったのか。

コロナウイルスとマスメディア

この退化してしまったマスメディアがコロナウイルスで緊張が高まる局面ですべき行動は、報道しない責任を取ることだ。
今やこの日本でテレビしか見ない、新聞しか見ないと言うのはほぼほぼないだろう。
ましてやコロナウイルスが流行する都市部の人間は当たり前にインターネットに繋がっている。

昭和から平成初期までマスメディアの力は暴力的に肥大していった。その時期に生産年齢期を過ごしてきた人間は、マスメディアに盲信的だ。スマホの情報よりもマスメディア。マスメディアによって裏付け、後押し、信用。その形が保たれている。
また、メディアバイアスを知らない。一部地域の買い占め棚を上げればそれが自分ごととして受信され、足はスーパーへ向く。

だから、より買い占めが起こる。


体感情報受信力

これが、マスメディアに盲信的な人々には不足している。
今目の前にある事象を情報として処理できないのだ。マスメディアは彼らにとってコンパイラーである。大衆の考えか否か。
自分の行動の指標であり、言語だ。
集団行動心理に苛まれやすい。多様性だなんだって頭で理解できるが、マスメディア一辺倒だった時代に生産年齢期を経て、情報収集、アウトプットしていた彼らはやっぱりテレビで新聞だ。
社会人になることによって、マスメディアから情報収集し、一般というレッテルと社会人というアイデンティティを獲得した。
結果として、彼らはコンパイラーに依存し、自らの体感情報受信力を低下させることになったのだ。

体感情報受信力とは、桜が咲いている→桜は五分咲きだ→今週から来週にかけて暖かい→来週末にお花見を企画しよう
ここまでの予測値、想像をいう。
テレビ慣れした世代は、まず桜が咲きはじめたことに気付くだろうか?桜の開花予報からしか予測してないのではないか?
開花予想と天気予報を合わせているから大体当たるし、桜を見てから日程なんて決めないだろう。けれど、それが大枠のセグメントであることに変わりないことに気づいているマスメディア依存人にいるだろうか。
この地域は夜間電灯がつきっぱなしだから数日早く開花しそうだとか、土地柄的に数度肌寒いから開花が遅れそうだとか。そういう予測込みに情報を受信しているだろうか。

だから、今スーパーに行ってきたけどそんなに減ってないしいつも通りだからいつも通りに買い出しすればいい。足りなくなったら買えばいいに方向転換できないだろうか。

マスメディアがすべきこと

さあ、マスメディアは何をすべきかわかったか?

メディアバイアスで切り取るならば、報道しないということを選択するのだ。
余計な不安を煽らない。それこそ生活密着の不安を煽ることはしない。
イタリアだって買い出し等は結局のところ制限されていない。
輸入の食べ物は減ったけれど、国産の食べ物はたくさんある。
自粛で悲観的な表現をしたいのはわかる。だって今まで通りの日常がないから。

総括・これまでのマスメディア、これからのマスメディア

報道しなかった責任はある。しかしながら、そんなものは政治問題等でたくさんあった。なぜ、世論を報道しなかった責任は取れないのだろうか。いや、ここでは世論というよりも、体感情報受信からくる予測により不安を煽られた人々の行動、その現実を報道しないという責任である。
報道の取捨選択ができていないマスメディアは不安を煽るという悪性物質となっている。これからは、大衆向けであることを意識し、その集団心理に対するアプローチと報道を心掛けるべきだ。

蛇足

政治家は本当に世論をテレビや新聞からしか得ていないのだろうか。
政治家の怠慢。世論調査はSNSの時代に切り替わっていると私は思う。まだまだ、数値的な世論調査はマスメディアの役割かもしれない。けれども、定性的部分はSNSから収集するべきではないか。数個のツイートを取り上げて終わりではない。その中間の意見だってある。多様性を叫ぶならば、三点を基軸にした中立意見の抽出がマスメディアの役割である。これに関しては今回の話とは違う視点になるため蛇足とさせていただきました。


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