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甲府旅②:恵林寺から東光寺へ寺巡り

甲府旅の二つ目の目的、寺巡り先として今回恵林寺(えりんじ)を選んだ。
恵林寺は甲府ではなく甲州市に存在する。
最寄り駅は塩山(えんざん)駅で、駅からは本数少ないバスかタクシーでしか行かれない。

恵林寺は1330年に開創した臨済宗妙心寺派の古刹。
武田信玄の菩提寺でもある。
開山したのが夢窓疎石で、西芳寺(苔寺)や天龍寺の庭を設計したことで有名な禅僧。恵林寺にも国指定の名勝庭園があるらしい。
庭園好きの私。これは行かねばと、甲府に向かう途中に寄り道し恵林寺を目指す。
名前が「エリンギ」に似てかわいいと思いながら。

黒門、赤門を潜り抜けると両側に庭園が広がり、そのさらに奥に山門がどっしり構えている。

恵林寺山門と石碑。

1582年に武田氏を滅ぼした織田信長が、恵林寺に留まっていた全員を山門に閉じ込め火を放ち、100名以上が犠牲となったという。
武田信玄が深い信頼を寄せ、友人でもあった住職の快川国師も犠牲となった。火の中で唱えた彼の辞世の句が、山門横の石碑に刻まれている。

安禅不必須山水(安禅は必ずしも山水をもちいず)
滅却心頭火自涼(心頭を滅却すれば 火も自ずから涼し)

訳:心静かになるためには、必ずしも深山幽谷に入る必要はない。
  熱いという心を滅すれば、火も自然に涼しくなる。

美濃の太守といえども、しょせんはただ一国を治める者に過ぎません。それに対して、僧侶というのは世界全体の、宇宙全体に連なる真の道を伝えるべき師匠なのだ。その広大な真理の世界を、ちっぽけな領土などと引き替えることなどできようか・・・そんな気概と共に、国師の人となりの剛毅さが伝わってくるエピソードです。

恵林寺HPより抜粋

エリンギに似てるなんて、ごめんなさい。
そんな暗くて重い過去があったなんて。
戦国時代は命を取るか取られるかの時代。常に血が流されていた。
700年も建っていると色んな事があるんだなあ。
現代でも座右の銘にあげられる禅僧の名言が、心に染み入る。

国の重要文化財、四脚門(赤門)

焼き討ちの跡、徳川家康により1606年に再建された赤門が唯一、この時代を物語る遺構とのこと。
400年以上前の出来事に、思いを馳せる。

山門を抜けて、庭園へ向かう。

庭園への入り口、大庫裡。

大庫裡から本堂へ入ると、枯山水式の方丈庭園が迎えてくれる。

静かな方丈庭園。

本堂にはご本尊の釈迦如来が祀られている。
本堂裏の恵林寺庭園に向かうまでに、踏むと音が鳴る「うぐいす廊下」を通り抜け、武田信玄らの公墓所をみることができる。

夏の終わりの恵林寺庭園。

午前早めの恵林寺庭園は人がほとんどいない。
池の鯉に餌をやりつつ、のんびり過ごす。
この日の甲府は日本で一番暑い35度を記録。日差しはまだまだ強い。

庭園の青紅葉。秋はもっと綺麗だろうな。
本堂から庭園を望む。

私はどちらかというと、どーんと庭園を目の前にするより、窓などで切り取られた庭の景色を眺める方が好きだ。
景色を眺めながら、畳でゴロゴロしたい。

塩山駅行のバスの時間が迫ったので、恵林寺を後にする。
塩山駅から甲府駅までは約20分。ホテルのチェックインまで時間があったので、もう1か所気になるお寺を訪問する。

法蓋山東光寺@甲府市

東光寺もまた臨済宗妙心寺派の寺。
中国の禅僧である蘭溪道隆が開山し、庭園を作成したと言われている。
庭園は中国風に石をたくさん使用し、枯淡の造形美を追求したという。

山梨県の名勝に指定されている東光寺庭園@甲府市

東光寺もまた織田信長に目を付けられ、寺に火が放たれた。
恵林寺で殺された中に、東光寺の和尚もいたそうだ。
東光寺は第二次世界大戦でも大火に見舞われたが、いずれも仏殿だけが不思議と焼け残ったという。

2度の大火を切り抜けた仏殿。柱に織田軍がつけた刀傷が残っているらしい。
ご本尊の薬師如来さま。

東光寺の境内は紅葉がたくさん植えられており、飾りつけも可愛らしく工夫されている。
ここも、秋はもっと綺麗なんだろうな。

入口に花が飾られている。
活けられた紅葉のたもとに何かが。
釣りをする3匹の猫。このゆるさが好き。
既に一部赤く色づいている紅葉。
お休み処と青紅葉。

甲府の寺巡り。
悲しく血生臭い歴史を有しつつ、数百年たっても姿を変えずに堂々と構えている。
様々な歴史が繰り広げられていたという事実を、寺々は後世に語り伝えてくれている。
これから数百年先、どのような世界になっているのだろう。
寺々は同じような姿で存在し続けられるのだろうか。
100年生きられない私には想像もつかない。

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