「人生を変える出会い」と出会う方法について
まず初めに断っておくが、テーマは恋愛の話ではない。人生の岐路に立たされたときはもちろん、後々に振り返ったときなどに影響を受けたなという人との出会いについて考える。例えば野球少年がプロ野球選手などと出会えば間違いなく大きな影響を受ける。その少年が将来プロ野球選手になればもちろんのこと、ならなくてもその出会いから受ける影響は大きいであろう。そんな出会いを求めた場合、どうすればよいか。スタジアムに通う、ファンクラブに入る、知り合いに紹介を頼むなど、熱心な親ほど必死になるだろう。
僕自身は幸いなことに数多くのそんな出会いを経験したが、特徴的な出会いと考える2人について述べてみる。
1人目は高校の体育の先生、野球部の監督だったので直接は体育の授業での接点くらいしかなかった。志望校の選択の際、当時から短絡的だった僕は流行っていたテレビドラマの影響を受けて急に体育の先生になりたいと思った。担任に相談したところ、大賛成してくれて野球部の監督の先生に相談に行くように指示を受けた。伺うと監督の先生は予想外の以下のようなコメントをされた。「お前そんなん前からゆうてたか?お前の希望みんな無理やと思てるから体育の先生になること賛成するんやで。よう考えて、それでもなりたかったらまたゆうてきたら考えたるけど」浅はかな自分を反省した。
2人目は大学に入った時の教養の先生、進路に悩み逃げるように入った大学であった。クラスの交流会か何かの飲み会で明日研究室に来るように指示を受けた。訳も分からず伺うと、「君は本学に来たくて来たのではないね?さて、どうするのだ。諦めるのか、諦めないのか?」「諦めません」「分かった。明日から私の家に来ても良いが、本学の門を跨ぐことは許さん」良く分からなかったが、勢いで実際にその先生のご自宅にもお邪魔した。結局、ほとんどその大学は行かずに退学した。それから20年以上経つが、音信は続いている。
振り返ってみる。この2人の先生がなければ、僕の今の形態は良くも悪くも違ったものになっていただろう。現状は100点の満足度ではないとしても、お2人には非常に感謝している。15年ほど前同窓会で体育の先生にお会いしたので、その旨を伝えた。そこでまた予想外のコメントを頂くこととなる。「そうやろう。オレええことゆうやろ。感謝せえよ。でもな、悪いけどオレ一切覚えてない。多分、そんなことみんなにゆうてるで」2人目の大学の先生のコメントも関西弁ではないだけでほぼ同じである。「教養における私の仕事は理系の学生にドイツ語を教えることだけではない。君のような不本意に本学に来た学生の進路を正すことも重要な仕事である。毎年君のような学生に声をかけているが、実行した者はほぼいない。君は君自身の力で青春を謳歌する権利を手にしたのだ。祝福しよう。」
本題に戻る。僕が考える「人生を変える出会いと出会う方法」とは大いに受け手側の感受性によるものが大きい。どんなスターと出会っても受け手が響かなければ意味はなくて、身近な人でも響くものがあれば大きな出会いになり得る。今回2つの美談を打ち明けたが、逆に僕に感受性がなくて素通りさせてしまった素晴らしい出会いもあったであろう。要は自分の問題なのである。実際に、僕が今でも憧れる平尾誠二さんにも子供の頃にお会いしてサインをもらったこともある。表現できないくらいの「男前さ」であったが、僕のラグビーに対する姿勢が不十分だったのか、いちファンで終わってしまった。最近、「平尾誠二を語る」という本を読んで、さらにファンになったが、それ以上の出会いにはやはりできなかった。
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