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傷つけられた分だけ、強くなれるとかいう戯言


「アスファルトに咲く花」のように、この社会は頑張らせることが大好きだ。

弱音よりも、虚構の強さを善とする。


傷つけられることが当たり前かのような、みんな強くなれるよというメッセージ。傷つけられてきた人間は、弱く居る強さを知るのだ。


弱くも強くもなれずに、踠き、

やっと、自分の痛みを誰かの所為にできた時、


弱い自分と出会うことができる、強さを知る。



強さなど、何にも比例しない。

測ることのできない物質を、詐欺のように言葉で丸め込み、

一本の道しか与えない。


都合の良い、美しさの利用方法を社会はよく知っている。

そして私たちもまた、

そこに身を委ねることしかできないときもあるのだ。


見えない希望をそこに翳し、

「頑張れる理由」だとして、頑張るのだ。



誰も傷つけられた痛みには触れず、

解決を図ろうともしない。


ただ、そんなストーリーは美しくあるべきだとして、

その分、強くなれるよなんて馬鹿げたことを口にする。



そんなことはどうでも良いのだ。


弱くとも、

強くとも。



受けた痛みの波紋が誰かに触れないように、

そして、また新たな棘がこの世界で生まれないように、


どうするべきなのかを考えたい。


弱い人間はいつか強くなれるのだろうか。

そして、

強い人間はいつしか弱くなってしまうのだろうか。



やはり、


私は、

弱くもなく、

強くもないままで居たい。



このまま、此処に綴る文字が何処かで「強さ」だと

受け入れられたとしても、


それは決してこの世に存在する、弱さとの比較であって欲しくない


と、思う。














文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.