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ウサギが死んだ時、私は友達ごっこに夢中だった話


中学2年生の時、飼っていたウサギが死んだ。


その日は日曜日だった。

だから、私は友達ごっこに夢中だった。

いつも、万引きをしろと言ってくるような奴に、嫌われないように毎週ついていった。

罰ゲームでこいつに告白してみろだとか、

次学校行くときは、こんな格好で来いとか、

今日は奢れだとか、


そんなくだらない、おままごとの延長をしていた。


その日は、三人で遊んでいた。

家の近くの公園で、また悪口大会が始まり、私は、

頭をフル回転させ、どんな返答なら、彼女達に気にいられるのか、

どんなことを言えば、また学校で仲良くしてもらえるのか、考え、言葉を発した。



自分の人生で最も無駄であった時間だと言っても過言ではないくらい、何故あんなことに神経を使い、時間を浪費していたのか、理解ができない。


だって、どれだけ私が気の利いたことを言ったとしても、私に対しての評価はずっと「使える奴」のままで、日常生活が変わることなんてあり得なかったのだ。

私は、「使える友達」だと自負していた。

だから、この友達ごっこを断ることが何よりも怖かった。



だから、あの日もウサギがもう死んでしまいそうだと電話がかかってきて、嫌な顔をしながら渋々帰ったのだ。


友達ごっこの最中なのに。

私がいない間に、知らない会話が増える。

私は、その場にいないといけない。

友達だから

友達だから...




家に帰ると、弱っているウサギがいた。

でもその時の表情を思い出してあげられない程、私は、友達ごっこに依存していた。

その後、花を買いに行ったことだけ覚えている。


一番覚えているのは、「ごめんね、マジでだるかったあ」って言いながら、二人の前に又戻っていった自分のことだ。


そこからの会話はほとんど覚えていない。


でもきっと、彼女達は、私がウサギを飼っていた事実すら思い出せないのだろう。


初めて、自分の側で一つの命が亡くなった時に、私は自分のことに必死だった。中学生だったからとか、いじめられていたから、とかではなく、


ただただ、

生命のに宿っているものに対しての敬意が欠けていた。



せめて、この気持ちを此処に残させて欲しい。


此処に。


貴方が生きた証と、


私の犯した罪を。




私にとっての貴方は、「ペット」でもなく「癒し」でもなく、

「誇り」だった。


グレーの毛並みが綺麗で、抱っこしようとすると嫌がる姿は、孤高で強かった。当時はそれが寂しかったけど、今では、「一人で大丈夫」だと強がる自分のように感じる。


小さなゲージの上の小窓をいつも、自分で開け、抜け出していた。家中のコードを噛みちぎられて叱ったりもした。

ああ、それもまた、自由で閉じ込められる自分と重ねて見てしまう。



テレビで、ウサギは寂しくなると鳴くと言っていた。一度だけ、貴方が鳴いた瞬間を聞いた。

なんとなく、なんとなくだけど、寂しいのかもしれないと気付いていた。

それは、きっと自分が餌をあげている、

なのに懐いてくれない、

可愛くない、


といつからか、思ってしまっていて、それが伝わっていたんんだろうと思う。


貴方が鳴いた次の日、私は学校で、ウサギが鳴いたんだよと、言いふらしていた。みんな驚いて、自分を見て、それがとても心地良かったのだ。


そして、その週末の日曜日に貴方は、遠くへ行ってしまった。



一人っ子で育った私は、「寂しさ」をよく知っている。

私が居る時に、鳴いたのはきっと、貴方のSOSだったのだろう。


もし、寂しかった?と聞いても、そんな素振りを見せず、強がる貴方が頭に浮かびます。


今度会った時は、ほんの少し、ほんの少しで良いから、

綺麗なその毛並みを触らせてください。

抱っこは、しないから。

少しだけ、

会いたいです。







p.s

うーちゃんは、ミニウサギなので成長してもずっと小さいままでした。



文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.