試すような二月が嫌いだ
毎年送られてくる、happy birthdayのスタンプを受信することはなかった。
きっと、こうして、父親との思い出も消え失せていくのだろうと思った。
自分の誕生日は、雪が降っている確率が高く、寒いのは嫌いだけれど、雪が降っていると、「今日、雪降ってる」なんて話す話題が一つ増えることが、私に取っては大事だった。
小学生の時、校庭に集まる集会で、校長先生が話してる最中、フラフラと揺れ前へ進んだかと思えば、パタリと倒れた女の子が居た。
小学校では一度だけ、保健室へ行ったことがあった。
給食当番だったその日、気分が悪く、眩暈がした。
保健室へ連れられていくと、その女の子は奥のベッドにいた。
上級生と喋りながら、私をチラリと見て、こう言った。
「熱測って、ちょっと高めに担任の先生に行っとけば、家帰れるよ」
私は、そんな方法を思いつくのような人間でもなく、
そして、それを器用に実行できる程の器もなく、
何より、早く家に帰っても良い理由を、
持っていなかった。
その女の子は、ケラケラと笑いながら、保健室の先生にも、
「ねー、せんせーい」なんて、同意を求めていた。
あゝ思い出す。
どうでもいいことばかり思い出す。
あの頃は、確か、小学3年生だった。
まだ、父親は家に帰ってきていて、
夜遅く帰ってきて、私は、ポケットから取り出す小銭と、時計を取り外す音をじっと聴いていた。
そして、シャワーを浴びる音がして、
テレビをつける音まで聴こえていた。
テレビの音量は、12くらいまできっと下げていた。
朝、学校へ行く前、テレビをつけると、小さくて聴こえずらかった。
当時は、ただの音だったものが、
今はこんなにも、思い出すことが、
痛い。
悲しい。
忘れたい。
「大人ってそういうもの」って、
一体、どういうものなのだろう。
善悪を考えないことだろうか。
自分の正義ではなく、権力者の正義に同調することだろうか。
人生を、
後悔すること、
だろうか。
子どもは、大人へ壮大な憧れを抱くけれど、
大人は、それらを影踏みのように、踏み潰していく。
校長先生は、言った。
「三寒四温という言葉があります。」
と。
その意味を知ったとき、
より一層、
冬の終わりを恨めしく思った。
早く、暖かくなればいいのに。
春の気温かと思えば、
また寒くなって、
そうやって、試すように、
頬を撫でる風に、
目を細めた。
きっと、試しているのだろう。
季節が、
誕生日が、
何の意味も持たないモノが、
思い出させてくる。
まだ、痛むのか、と。
まだ、痛い、と涙を流せば、
また、しばらくの間、
今を過ごすのだ。
戻りながら、進む。
それが、私の人生なのだろう。
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