sinYou
「心友」
とか、
「真友」
とか、
色んな種類の親友を作ることが私の通っていた小学校では
流行っていた時期があった。
「親友は一人じゃないといけないの?」そう、自分には大切な友達が二人いるから選べないと言って泣いていた女の子もいた。
そんな親友ブームの中、薄っぺらい言葉だと嫌悪しながらも、きっと私は憧れていた。
「なんでも話せる友達」だとか
「毎日一緒にいる友達」だとか
そういう親友の条件みたいなものは、どこでも一人だった自分にとっては酷く高いハードルのように思えた。
親友に固執していたわけではなかった。
軽率にプリクラに「ベストフレンド」と書き、
せめて、友達の枠には入っていようと、適度に話しをした。
「友達少なくてさ」
と、保険をかけてしまうのは何故だろうか。
自分も、出会ってきた人々も、
とりあえずそう自己紹介することが多かった。
ある時から、自分からそのセリフをあまり言わなくなると、
「友達いるの?」と逆に聞かれるようになった。
それは、友達がいなさそうに見えるのか、他意があるのかは分からないが。
そんな時、友達かどうかは自分には知り得ないことだと思っていた。彼から、彼女から、こんな言葉を貰って嬉しかったこと、こんなことで一緒に笑って楽しかったこと、そう感じた事実を自分だけが知っていれば、それで良い。そう思った。
しかし、相手の友達の基準に自分は当てはまっているのだろうか、とふとしたときに考える癖がある。
それこそ、本当に答えのない問いなのだ。
相手が仮に友達だと思っていなくても、
そこで自分の中の記憶が、感情が変わることはないのに。
「親友」
そう言って、お互いに目をやり合う姿はとても輝いていて、
親友という名前以上の関係性が可視化されたようだった。
誰かと名前の付く関係性を持つことに怯える自分には、
生涯言うことのないセリフなのかもしれない。
それでも、
目の前で友人が嬉しそうに話す姿はこれから先も忘れたくないと思った。
友人の大切なものに触れ、
好きなものをこの眼で見た時、
なんとも言えない感覚に陥る。
そこに、また、誰かの大切なものが在って、個々の愛が存在するあの空間というのは、唯一無二だろう。
p.s 音楽と愛が重なったとき、それはもう地球ではない違う場所なのかもしれない。
文字を書くことが生き甲斐です。此処に残す文字が誰かの居場所や希望になればいいなと思っています。心の底から応援してやりたい!と思った時にサポートしてもらえれば光栄です。from moyami.