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映画『食べて、祈って、恋をして』を見て、言葉について考えた

Netflixからのおすすめ作品が、タイムリーに心に刺さることがある。先日無性に映画を見たくなり、おすすめ作品から探した映画を見た。『Eat Pray Love  邦題 食べて、祈って、恋をして』。2010年に上映された、ジュリア・ロバーツ主演の旅ドラマ。アメリカの著作家エリザベス・ギルバートの実体験に基づく作品が、映画化されたものだ。

34歳のリズは夫と離婚をし、その後出会った新しい恋人とも上手くいかなくなる。そして、友人の反対を押し切って、1年間旅に出ることを決める。行き先は3カ所、イタリアのローマ、インドのアシュラムそしてインドネシアのバリ島。

ローマでは、イタリア語に苦戦していると、ある女性に助けられる。そこから仲間が広がり、イタリア語を勉強しながら美味しいものを食べて、笑って日々を送る。はじめは、ただ食べてフラフラしているだけという生活を恥じるリズだが、イタリア人はそんなリズに言う。アメリカ人はいつも何かをして、それこそに価値があると思っている。でも、イタリアは違う。何もしないで一人でゆっくするのだと。それからリズは気持ちを楽にして、友人たちと太ることも気にせず、食を満喫して過ごす。

ローマを発ったリズは、インドのアシュラムに滞在する。アシュラムは瞑想をするための場所。そこには世界中の人々が訪れている。初めの頃は瞑想に集中できずに苦しむリズだが、同じくアメリカから来ていた男性のリチャードに叱責され、そして励まされる。また、もうすぐ親が決めた男性と結婚することになっていると言うインドの17歳の女性トゥルシーとも友好を深め、自分を見つめてスピリチュアルの世界に浸る。

そして最後にバリ島を訪れる。バリ島へは以前も訪れており、その時に出会った薬剤師(占い師)であるクトゥの元を再訪する。安らかな気持ちで生活をしていたリズであるが、ある日ブラジル人の男性と出会い、恋に落ちる。恋に溺れて心のバランスを崩すことを恐れたリズ。その時クトゥから、恋愛と調和することもまた人生だと教えられる。そして、怖がらずに、自分の望む道を歩いていく。

ローマ・アシュラム・バリ島と3カ所が舞台になっていることは、自分も旅をしているようで、見ていてとても楽しめる。そして、この映画の中に出てくる奥深いセリフをきくこともまた、見どころの一つとなっている。私が最も印象に残っているセリフは、リズがローマで友人たちと会食中に出てくる会話。

「あなたを表す言葉はなに?」

リズは、かつては「娘」であり、それから「妻」となり、そして今の自分を表現する言葉として、迷った末に「ライター」と答える。しかし友人たちからは、それはただの職業だ、と指摘される。そしてその後も、自分を表す言葉について考える。

自分を表す言葉はなんであろうか、私は考えた。非常に難しく、そしてまた、極めて抽象的な質問。職業ではなく、自分を言葉で表すとはどういうことなのか、考えても答えは出なかった。

そんな時、言葉を使って自分と向き合う出来事があった。

仕事で一つのプロジェクトが終了した。私が所属するロンドンのチームと日本のチーム、それからまた別の会社が関わっているものであった。複数のそれぞれ異なる状況に置かれたチームが、一つのプロジェクトに向き合い、全てのチームが満足がいくように運営するのは容易ではない。実際、私たちロンドンチームと日本のチーム間に認識の齟齬が生じていた。いや、少なくとも私はそう感じていた。そして、今後同じようにことを進める前に、思い切って自分の意見・気持ちを伝えることにした。社内へ送るメール、何度もやりとりをしている相手へのメールであるが、今回は普段のメールとは少し意味が違う。いかに的確に、そしてなるべく感情を露わにしないよう心がけ、何度も何度も読み返し、書き直し、1時間くらいかかって書いた。

意思・気持ちを伝えるということは、こういうことなのかと改めて思った。自分が使った言葉によって、相手へ自分の気持ちが届けられる。どの言葉を使うかにより、伝わり方が変わる。当たり前に普段から行っていることなのだが、改めて言葉が持つ偉大な力のようなものを考える機会となった。そして同時に、それほど考えてまでも伝えたいと思う自分の気持ちとはなんなのか、自分を見つめ直す時間ともなった。

映画の話に戻ろう。リズがインドで訪れた場所は、アシュラムというところ。この地名はすでに知っていた。なぜなら、私が毎回noteで興味深く読ませていただいている燿(hikari)さんの記事で読んだことがあったからだ。

瞑想体験のできるスピリチュアルな場所。燿(hikari)さんの美しい文章とともに、その未知なる世界を知った。

リズがアシュラムを訪れると、<IN SILENCE>というバッジをつけた女性がいた。彼女は言葉を発さず、沈黙を保たなければいけないという修行の最中であった。沈黙を保つという修行が一体どれほどの辛い体験であり、どのような気持ちになるのか、その映画を見ていただけではわからなかった。

すると、偶然にも、先日燿(hikari)さんが再びアシュラムでの体験を記事にされていた。しかもそれは、この沈黙を保つという修行の体験談であった。<IN SILENCE>の期間中は、笑うことと泣くことだけが許されているそうだ。そして、壮絶なるその二つを体験した後、心の内奥を見つめられるようになるという。私の拙い説明ではなく、是非燿(hikari)さんの素敵な記事をお読みいただきたい。

私自身、実際アシュラムへ行って瞑想を体験するということは、おそらくこの先の人生でも起こらないかと思われる。けれど、今回この映画を見た後に、言葉について考える経験をし、そしてhikariさんの記事と出会って思ったのだ。誰しも日々の生活の中で、小さな何かに関してかもしれないが、自分を見つめる機会はあるのではないかと。それが私にとっては、言葉を絶つこととは逆の、言葉を選ぶことであったように感じている。

『食べて、祈って、恋をして』では、文字通り食べること、祈ること、恋をすることが描かれている。最後にバリ島のクトゥが言っていたように、人間の欲望を満たすことは決して悪いことではないのだ。美味しいものを食べて満足する、素敵な音楽を聞いて安らぎを感じる、そして自分の時間を分かち合って一緒に過ごす人がいるからハッピーを感じる。その中で、自分をすっかり見失ってしまわないようにできれば、素敵な人生を過ごせるのではないか。

自分を表す言葉は、いまだに浮かばない。けれど、急いでみつける必要もないのかな、と思う。欲望を満たしつつ、大切な人たちと一緒に過ごしていくことで、自分を表す言葉を見つけていけたらいいのかな、今はそう思っている。

けれどやはり…… ウエストがキツくなってお気に入りのジーンとさよならするのは悲しい。食べ過ぎ、飲み過ぎには気をつけよう。

今日も長文にお付き合いいただきありがとうございました。

そして、燿(hikari)さん、今回こちらの記事を書くにあたり、燿(hikari)さんの体験を読ませていただいたことはとても大きなことでした。私の記事に収めさせていただき、ありがとうございました。





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