蜘蛛女の誕生日


 好きなエピソードがある。
 ある南米の映画青年が映画監督を夢見て故郷を離れる。彼の夢舞台はローマ、ネオ・レアリズモの時代だった。職を得て幸運にも「自転車泥棒」のヴィットリオ・デ・シーカ、「太陽がいっぱい」のルネ・クレマンの下で助監督として働く事になった。幼き頃より憧れ続けた映画の世界。彼の胸は高鳴る。しかし、現実は過酷だった。大物プロデューサー、監督が権力を乱用する理想の創作環境とは程遠い世界。奴隷のようにこき使われる日々で繊細な彼の心は傷つき悲鳴を上げる。やがて彼はシナリオの世界に居場所を探すようになる。四苦八苦しながら書き上げた三本のシナリオ、いずれも不採用。再びの挫折だった。四本目のシナリオに取り掛かるも碌に手につかない無為な日々。そんなある日、彼の脳裏に故郷ブエノスアイレスの情景が思い浮かぶ。何気ない叔母さんのしゃべり声。彼はそれを書き写し始めた。やがて次の人物、また別の人物。こうして出来あがった「リタ・ヘイワースの背信」。後に「蜘蛛女のキス」で知られる作家マヌエル・プイグの処女作だ。
 作家は逆境から生まれる事が多い。日本の文豪、夏目漱石が「吾輩は猫である」を書き始めたのは神経衰弱の治療の一環だった。子供の頃から劣等感に悩んだ太宰治は己の「わけのわからぬおののき」を見つめる為に創作を始めた。獄中で執筆したマルキ・ド・サドやジャン・ジュネ、デビューはしていたがドストエフスキーは死刑直前までいったシベリア流刑が大作家としての目覚めだろう。
 何故、逆境が作家を生むのだろうか。それは言葉が人間の本能だからだと思う。人間は社会的動物でありコミュニケーション無しには存在できない。危機が本能を呼び起こし言葉を要求する。文学作品は読者に向けて書かれるコミュニケーションなのだ。
 一方で本能であるが故にそこには快楽が伴う。文章に限らず創作は苦労すると同時に楽しみでもある。現代、世界はネットにより繋がっている。創作物を瞬時に人目に触れさせる、すなわちコミュニケーションを取ることが容易になった。生きる事はコミュニケーションする事であり、表現する事。上記の天才たちには遠く及ばないが凡人なりに生きる事を楽しみたい。
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