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映画感想文「悪は存在しない」 濱口文体の踊り場では

千葉県・柏市のキネマ旬報シアターでロードショー中の「悪は存在しない」を鑑賞しました。
感想を書いてみようと思います。

🔸そこまでネタバレしてないと思いますが、気になる方は退避!

2023年 日本
監督 濱口竜介
自然豊かな高原に位置する長野県水挽町は、東京からも近いため近年移住者が増加傾向にあり、ごく緩やかに発展している。代々その地に暮らす巧は、娘の花とともに自然のサイクルに合わせた慎ましい生活を送っているが、ある時、家の近くでグランピング場の設営計画が持ち上がる。それは、コロナ禍のあおりで経営難に陥った芸能事務所が、政府からの補助金を得て計画したものだった。しかし、彼らが町の水源に汚水を流そうとしていることがわかったことから町内に動揺が広がり、巧たちの静かな生活にも思わぬ余波が及ぶことになる。

石橋英子がライブパフォーマンスのための映像を濱口監督に依頼したことから、プロジェクトがスタート。その音楽ライブ用の映像を制作する過程で、1本の長編映画としての本作も誕生した。

映画.comより

まず断っておくと、自分は濱口氏の作品にものすごく精通しているかと問われると、そんなことはないと思う。
今までに観た作品は氏の商業映画2本、「寝ても覚めても」と「ドライブ・マイ・カー」。
なので、タイトルにある「濱口文体の踊り場」という表現は、たぶんそうなんじゃないかな、という感じです。
そう考える理由をちょいと書いてみましょう。

はじめに今作の「悪は~」は上記2作と較べると、商業映画っぽくない。
いわゆるプロの俳優さんはいない(もしくはいるのかもしれないけど、有名な方ではない)。
主演の男性は、濱口組のスタッフの方だそうです。
あと、カット割りも少なくて長回しも多い。台詞も棒読み。
登場人物が感情を爆発するようなこともほぼない。

こういうのって商業映画っぽくないですよね。
これらの手法はきっと商業映画を撮る前のものではと思うのです。
濱口監督はこういうところから映画作りをスタートさせたんじゃないかと。
そういう意味で原点を見つめ直している部分はあるのかと思います。

さらに言えば、序盤は師匠である黒沢清さんをほうふつとさせる、なんだか不穏な画作り。
木々と空を映しているものなのだけど、どこか不穏。
これって、まさに黒沢清的ですよね。

じゃあ原点的なものしかないのかといえば、そんなこともないなと。
「寝ても覚めても」も「ドライブ・マイ・カー」でもそうだっただのけど、登場人物の台詞のやりとりで映画のリズム・テンポを作っていくっていう特徴が濱口監督にはある。

映画(映像)ってカット(編集)でリズムを作る方が多いのだけど、濱口監督は台詞のやり取りやリズムで映画の軸を立てる。
台詞の音楽性を重視しているというか。
そういう部分で、前作の「ドライブ~」は音楽的な文体をもつ村上春樹氏の原作小説と親和性が高かったのだと思う。
濱口作品のもつ音楽性が一気に花開いたのではないでしょうか。

あとは、音楽の石橋英子さんとの出会いが大きいのかな。
「ドライブ・マイ・カー」の石橋さんの曲って良いですよね。
今回は石橋さんからの提案で映画作りが始まっているので、より音楽にゆだねている印象がありました。
台詞のやりとりももちろんあるのだけど、そこはポイント押さえてっていう感じで、音楽と映像で魅せている部分も多かった。

加えてもうひとつ。濱口監督って舞台演出的な要素もあるんですよね。
全2作では作中に演技論を説明するようなシーンがあって自分は結構驚いたのだけど、舞台っぽい要素がある。
(「寝ても覚めても」でも舞台俳優は出てきたし、「ドライブ~」はもろ舞台の話でしたよね)
今回で言うと、シカ猟の銃声が聞こえてくるのだけど、実際にハンターが撃っているシーンや、シカが倒れるシーンはない。
つまり音(効果音)だけで何があったか想像させる。舞台演出っぽいよなあ。
舞台だと俳優の身体や台詞のリズムが大きな軸になるから、前に書いた台詞の音楽性っていうのにも通じています。

ざっとこんな感じで、今作は濱口氏が積み重ねてきた文体、もしくはキャリアの踊り場なのかなと。
濱口氏がやりたいこと・やれることを散りばめた作品なのではと思いました。

        ***

次に中身に関して。
自分は今作はいろんな距離感を描いてるのかなと。
自然と人間、都市と地方、上流と下流、父親と娘。
適度な距離感を保つことができれば問題は起きないけど、近づきすぎたり遠ざけすきだりすると問題(対立や不信)が起こる。
またタイミングによっても適切な距離感は変わる。
ラストシーンは(悪意はなくて、どちらかといえば善意なんだけど)距離感を詰められたことによる、なんとも言えない腹立たしさの発露なのではと自分は感じました。

よく考えると「寝ても覚めても」も「ドライブ・マイ・カー」も距離感の話のような気がします。
両作は恋愛的な要素が強くて、恋人や夫婦という間での距離感がテーマだった気がするけど、今作はもう一歩引いた視点での距離感。

じゃあそれを昔のアメリカ映画の巨匠たちのようにスケール大きく描く、みたいなことは濱口監督はしなくて、ミニマルな関係・描写から浮かび上がらせるみたいな志向なんじゃないかな。

次作でどんなふうにジャンプするか分からない監督だし、半ばそれを期待されてる監督なので、これから作品がどう流れていくのかとても楽しみ。
まさに「流れていく」って感じですよね。
引き寄せるでも流れを作るでもなく、ただ流れていく。
濱口作品には身をゆだねる心地よさがあると思います。

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