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アンナチュラル10話【旅の終わり】 ~不条理な死~

アンナチュラル最終回を考察していきたいと思います。年末の再放送に合わせて全部考察を載せきりたいと思っていましたが、最終話の考察は結局年を越してからになってしまいました。あけましておめでとうございます。

最終話は怒涛の伏線回収な展開でしたね。素晴らしかった。考察したいことたくさんあります。


1.不条理な死

「不条理な死」
最終回ではミコトの葛藤が描かれた。ミコトにとって、最大の敵は不条理な死である。不条理な死に負けず残された人が前を向いて未来をいきていけるようにすること。それが彼女の法医学者として役割と考えている。

中堂「敵は不条理な死。殺人者をさばけない。これ以上の不条理があるか。」

しかし、高瀬は法で裁くことができないかもしれない。殺人者を法で裁くことができない事は不条理なことである。
そのため、鑑定書の事実を捻じ曲げるという指示が出る。

検事「高瀬を確実に有罪にするためです。少しのプライドを曲げていただければ、法でさばくことが出来る。」

しかし、それは、正しくない「不条理」な方法で「不条理な死」に勝つということだ。

1話では「そんな気分じゃないから。食べるんです。」と絶望の中にいる被害者の彼女にパンをすすめたり、2話では「絶望してる暇あるなら、うまい物食べて寝るかな。」と発言したりしている。アンナチュラルでは「食事」「生きる」ことの象徴なのだ。また、ミコトは「不条理な死」に対して「生きる」ことで対抗している。

ミコト「ごはんはお腹いっぱいだから、もういいや。」

そんなミコトが食事を食べないと発言をしたことからも気持ちが不条理な死に負けそうな状態であることがわかる。                 

しかし、不条理な死に負けることは彼女を道連れに死のうとした母に負けることになる。

ミコト「悲しむ代わりに怒ってた気がする。負けたくなかった。不条理な死に負けるということは、私を道連れに死のうとした母に負けるということだから。でも毎日どこかで人が死んでその分誰かが悲しんで、人が人を殺して憎んでまた悲しみが増える。法医学者が出来ることなんて、ほんの少し。負けそう」

ミコトが不条理な死に立ち向かうのは、残された人のためであり、自分のためでもあったわけである。それに負けそうな状態で出た「法医学者が出来ることなんて、ほんの少し。」というセリフは1~9話のミコトらしくないものである。

母「生きてる限り、負けないわよ。何一人で世界の悲しみ背負ってるのよ。1人でなんて持てっこない。」

しかし、母の「生きてる限り、負けないわよ。」という言葉に勇気づけられ、最終的に嘘の鑑定書は出さないという決断に至る。

ミコト「ごめんね。UDIをつぶしちゃうかも、高瀬を法でさばけないかも。それでも嘘の鑑定書は出せない。」
夕子「それでこそ、ミコト。」

その決断に対して、夕子も中堂も「ミコトはそういう人だ。」と納得する。彼女はやはり、「不条理な死」「不条理」で対抗するのではなく「生きる」ことで対抗する人物として描かれているのだ。

そして、ミコトの不条理な死への向き合い方が示される。

ミコト「戦うなら法医学者として戦ってください。個人的な話をします。私が見たくないんです。不条理な死に巻き込まれた人間が自分の人生を捨てて同じように不条理なことをしてしまったら、負けなんじゃないですか?」

ミコト「中堂さんが負けるのなんて見たくないんです。」

「不条理な死」に苦しめられることも、それによって「不条理」なことをするのも負けなのである。不条理の連鎖をつないでしまったらいけないと。

2.同情します

「同情します」                  
「同情されたくない。」
という言葉や中堂に対して「同情なんてしない。絶対に。」というセリフが5話にあった。過去に事件によって傷つけられ、絶望を負った人間は同情されたくないことをミコトは自分自身の経験からも知っている。
また、9話では同情するという行為自体良い捉え方をしていないことがミコトのセリフから伺えた。現にアンナチュラルではミコトの一家心中をUDIのメンバーが知って同情し悲しんむなんてシーンは全くない。あくまでミコトが絶望を経験したが、それを「生きる」ことで乗り越えたということを視聴者に理解させるためのものである。だからこそ、主人公の過去など他のドラマなら最後まで引っ張りそうな話だがアンナチュラルは、2話で明かにした。

そして、ミコトが同情しますと言った相手、高瀬もまた幼少期に母親から虐待されるという過去があり「不条理」に直面し絶望を負った人物であった。

ミコト「ご遺体を前にしてあるのは、命を奪ったという取返しのつかない事実だけです。犯人の気持ちなんてわかりもしないし、あなたの事を理解する必要なんてない。不幸な生い立ちも動機も興味はないし、どうだっていい。ただ同情はします。かわいそうな被告人に。今もなお死んだ母の幻影に苦しめられている。30をすぎてもなお子供の頃のままなんです。誰も彼を救えなかった。あなたも自分を救えなかった。あなたの孤独に心から同情します。」

そんな相手に中堂に放った言葉とは反対に「同情します」という言葉をかけ挑発し、自供させた。
不幸な生い立ちや動機なんて関係ない。不条理なことをされたから、不条理な事をしていい理由にはならない。
ということは、5話の中堂に対しての「同情なんてしない。」という言葉は彼を不条理な道に進ませたくないからこそ出た言葉であることがわかる。

3.アンナチュラル における食事

「食事」                               
今回、食事シーンは2回ほどあった。  

 ミコト「ごはんはお腹いっぱいだから、もういいや。」       

ミコトが不条理な死に負けそうなシーンは食事を食べないというセリフがあった。そして、1話の冒頭と同様最後に天丼を食べるシーンがあった。

4.旅の終わり

「旅の終わり」
これは1話から匂わせていた中堂の事件が一区切りついたということだろう。
そして最後に【their journy will continue.】彼らの旅は続くでしょうと表示されて終わる。本来「journey」というスペルであるのに、「e」を意図的に抜いて表示している。
これは旅という単語から「end」の頭文字である「e」を抜くことでも旅に終わりはないということを意味しているのではないかと考えられる。       

これは、アンナチュラル続編の匂わせではなく、視聴者は大きな事件であった中堂の事件が解決し終わりを迎えたと捉えるが、ミコト達にとって中堂の事件は数多くあるうちの1つにすぎず彼らの法医学者としての戦いはまだ続いていく。中堂の事件の解決を迎えたからといって何か大きく彼らの生活が変わるわけではない。日常が続いていくというメッセージではないだろうか。



最後、六郎帰れて良かったですね!!ムーミンも!UDI最高です!

アンナチュラルというドラマに出会えて本当に良かったと思っています。脚本、演出、役者の全てにおいて素晴らしかったです。実は私、10話中7話くらい号泣しながら見てました。そして何よりLemonが良いタイミングで流れてきて余計に涙が止まらない、、、、。


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