アンナチュラル1話 【名前のない毒】~社会からの批判~
アンナチュラルが再放送されるということで、放送当時に考えていたアンナチュラルの考察をここに載せておきたいと思います。少しでもアンナチュラルのファンが増えたらいいなと思っています。とりあえず、一番言いたいことはアンナチュラル1話は伏線の嵐です。笑笑
1.名前のない毒とは何をさしているのか?
【名前のない毒】
言葉の通り解釈すると、大学病院のウイルス漏れを隠蔽したことを示していると考えられる。実際、「ウイルス漏れを隠すことは名前のない毒をばら撒くのと同じです」というミコトのセリフがある。
しかし、そのままの言葉の意味だけで捉えるべきではないと私は考える。「せめて、この先は懸命なご判断を。それから高野島さんの名誉の回復をお願いします。これからご遺族が生きていくためにも。」と大学病院の医院長にミコトが告げていることから、【名前のない毒】とは、ウイルス感染の元凶とされていた高野島に対する世間からの批判とも捉えることができる。
SNS(Twitter)やニュースの報道が高野島の批判で溢れている演出も途中見られたことから、メディアに重点をおいていることもわかる。
SNSや報道などで誰かを傷つける行為は目にはっきりとした形で見えるものではないし、病名のようにその行為に具体的な名前がついているわけでもない。また不特定多数からの攻撃である点も「名前のない」という形容に合致すると考えることができる。
ついでに、高野島自宅を調査しているシーンでこんなセリフもあった。
日常にありふれているすべての物が限度を超えて食べてしまったりすると毒になってしまうという会話だったのだが、これはSNSもまさに同じだ。限度を超えると誰かを殺す凶器になりうるという意味で。
2.アンナチュラル における食事
「食事」
アンナチュラルを好きな人なら、食事のシーンが何を意味しているのかに関しての考察はたくさん見てきただろう。もはやアンナチュラルを考察するうえで欠かせないネタだ。1話では、食事に焦点を当てたシーンが3回ある。
食べるシーンは意図的に組み込まれている。これが何を意味するのか?先に結論を述べると、「生きる」ということを意味しているのではないかと私は考える。食べるという行為は生きている人間にしかできない行為であり、また同時に人間が生きるためには欠かせないものである。
つまり、食事=生きる とつなげることが出来るのだ。これは、アンナチュラルを最終回まで見たからこそ、納得して断言できるものである。なのでここでは軽くまとめて【食事の演出】は他の記事を作ってまとめたいと思う。ここでは、ミコトがパンを差し出すシーンに注目してみる。
ミコトはどんなに辛いことがあっても食事はとらなきゃいけないというスタンスでいる。「残された人が未来に向かって生きていく」ということにミコトは執着しており、それが彼女にとっての法医学の意味になっている。だから、そんな考えを持つミコトが食事を重視するシーンは「生きる」ということを表すのではないかと考えることができる。
3.不条理な死
「不条理な死」
中堂のミコトに対する「敵は何だ?」という問いかけに「不条理な死」と答えたミコト。中堂に問わせたことでアンナチュラルのメインの軸が「不条理な死」であることが1話ではっきりしましたね。この演出はうまいなと思いましたし、純粋にミコトが、かっこ良かった。
1話だけでこれだけ語れる内容があるのはすごいですよね。でもやっぱり、早くアンナチュラル 全体を通した考察をまとめたい!!!まずは、近々2話をまとめて載せたいと思います。
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