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アンナチュラル4話 【誰がために働く】 ~罪とは~

アンナチュラル4話を考察していきたいと思います。今回は涙なしでは見れませんでした。私はLemonが流れるのと同時にぼろ泣きしました。なんといっても、父親役の坪倉さんの演技がとても良かったです。




1.何のために働くのか?

「何のために働くのか?」   

今回のメインテーマは労働と考えてよい。

子供「そんなの意味ない。あいつらどうだっていいんだ。あったこともなかったことにされる、工場のために頑張るって言った父さんがバカみたいだ。」

上のセリフや工場の残業から今の日本の労働の状況に私たちは【誰がために働く】のかという疑問を投げかける回であったと考える。ここでは、自分にとって大切な人の為に働くという意味で使われているのだろうか?

ここで、脚本家野木亜希子さんの他作品と比べたいと思う。
【獣になれない私たち】では、新垣結衣演じる晶が世間で言ういわゆるブラック企業で働いている。その仕事場で上司からあまりにも酷すぎる理不尽な扱いを受ける。
晶には家族もいないし、恋人も世間でいうダメ男で頼れる相手もいない。
何のために生きているのかわからなくなる。その状態で1話から最終話までこの労働状況が続く。そして最終話で勇気を出して会社で放った一言。

晶「自分を殺して、本当に死んでしまう前に辞めます。」

恋人や同僚などの周りの人に過剰なほど気を使いながら生きていた晶が【自分のために】動いた。会社を辞めたことで生きがいを見つけてドラマは終わる。

【獣になれない私たち】
では「周りのために」から「自分のために」に変化した。【アンナチュラル】では「家族のために」であった。この2つの共通点は大切な人ということである。
ここでいう【誰がために】は自分自身の大切な人をさしているのではないかと考える。会社のため、社会のため、同僚のために働くという人もいるかもしれない。それらを自分自身にとって大切なものと思っているなら問題はない。しかし、心から大切だと思っていなかったり、綺麗ごとだったりすると自分の心が壊れてしまう。

六郎「ミコトさんはどうして働いているんですか?」
ミコト「ん~、生きるため?」
六郎「なんか、俺何のために働くとか、夢とかなくて。」
ミコト「夢なんてそんな大げさなものなくてもいいんじゃない?目標程度で。例えば、誰かのために働くとか?」

夢とまで言わなくても、自分にとってうれしいこと、大切なもののために働くという目標がさえあれば働く意味を見出せるというメッセージなのではないかと考えた。

また、ミコトは生きるために働いていると述べている。ということは、ミコトにとって大切なものはやはり、「生きる」ことなのだ。

2.罪という認識。

「罪」
罪という言葉が複数回出ているので考察したい。

夕子「あの脅迫状に心当たりがある。」 
所長「いや、私かも。厚労省のとき対立した人に逆恨みされた。」
夕子「じゃあ、その人が犯人ってことにしよう。」
所長「いやですよ」                           
夕子「じゃあ、六郎だ。」
六郎「え、僕ですか?」
ミコト「いや、それは私のです。前の事件のとき週間ジャーナルに載ったから。」

ミコト「また、泊まりですか?」
中堂「あれは、俺だ。(脅迫文は) お前じゃない。」
ミコト「お前って誰のことですか?」         
中堂「三澄。俺は今まで何枚も受け取ってる。」
ミコト「どんな罪を犯したんですか?」
中堂「罪のない人間なんているのか?」

送られてきた怪文書に中堂だけでなく、夕子や所長も自分宛ではないかと考えてしまっている。また、この罪の擦り付けあいは、「工場長、バイク屋、病院」の責任転嫁のシーンと重なっている。このことから、罪を犯そうとする悪意がなくても、誰もが罪を背負う可能性があることこの場面から教えられる。

ミコト「イタリアでは労働って罪なんだって、皆は罪人で罪を償うために働く。」

また、罪を犯すということは特別なことではなく、またその人の考え方によって何が悪で罪に相当するのか変わるものであるという解釈ができる。
この解釈が次回以降に関わるのか、それはまた考えたい。

3.希望

「希望」

「帰らなきゃ」
「幸せだといいな、こいつらが大人になった時」

この状況で夜中に打ちあがる花火は2話の白夜の考察同様、微かな光を求めている描写と考えられる。ここで彼にとっての光は子供だったのではないだろうか?法医学で死因を突き詰めたことにより、その石を投げるしかなかった子供たちは救われた。法医学は未来のための仕事、生きている人につながるという考えに説得力がもたらされる。

それにしても、今回六郎が夕子にいじられているシーンがかわいかったですね。





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