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天井を見ていた頃の話

昔よく家で天井を見ていた。

古い家の天井にはシミがいくつもあって、昼間はただのシミ、夜には不気味な顔に見えた。

木のドアの木目だって昔は怖かった。

でも今は人間が一番怖くて不気味だ。これが大人という事であれば、ちょっとかなしくもある。

運の良いことに、わたしは今1人ではなく、同居人である夫がいる。

夫はわたしとは違うタイプで昔天井を見てあれこれ考え、怖くなって眠れなくなるような幼少期は過ごしていなさそうである。

彼の父には会ったことがなく他界される前のエピソードから察するになかなかの破天荒者であったようだ。その遺伝子の賜物か否か定かではないが、たまに夫の大雑把というか鈍感な性格には驚かされるわけだが、その大雑把さには良い面と思えるところもあり、わたしは助かっている。

ではわたしの遺伝子は、つまり両親はどうなのかというと、またこちらは不思議なことに、我が両親は生粋のリア充気質で、それこそ幼少期に不気味な何かに怯えて不安になるような人たちではないからもう七不思議である。

何が言いたかったのかわからなくなってきたが、
わたしはふと過去の自分に会いたくなることがある。
臆病で常に何かに不安を感じていた頃の自分に。

大人になって天井を見て、何か不安に駆られ続けたとしても、将来貴方を否定するような人間は周りにいないから安心して欲しいということだ。

わたし達は不安になっても、何かを怖がることになっても、それに慣れていく。
そうしていつかそんな自分を肯定し、他者からも肯定してもらえる日がくるかもしれないということ。

今不安に襲われている人に、そう伝えたい。

怖くてもよい。不安でもよい。
貴方にとってそれが貴方であり、
全ては当たり前なのだから。

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