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社会人10年で5回も転職した話#0

偏差値が低くも高くもない、
実にちょうど良いレベルの大学を出て、
ごく他の人と同じ一般的に社会人を10年してきた。
いや、他の人と同じ10年のわけはないか。
なんせ、私は今の会社を入れて6社も経験している。
誤解しないでほしいのだが、決して私は仕事ができるから転職に成功していたわけではない。
シンプルに何も人より秀でない代わりに、
他人に迷惑をかけない程度に仕事をこなせてしまう
いわゆる"器用貧乏"であっだだけである。

そんな私がどうにか今も生活できているのは、
運が良かったとしか言いようがないし、
それと同時に一つの会社にこだわる執着心が、微塵もなかったらこそできたことだと思う。
あとは、ひとまず後先考えない飛び込む勇気くらいか。
これと言って向上心も、やりたいことも特にない。
ないけれど、仕事をしなくてはならないこの世の中で
生き抜くためだけに仕事をした。
それだけである。

ここからは少し初の就活:大学生活について話そう。

こんな私でも、新卒時代は目標も、やりたいこともあった。 
飛行機と空港が好きだったから、エアライン系も目指したし、接客も得意だったからホテル系も応募した。
もちろん、メーカーだって、一般企業だって幅広くみた。
でも、困ったことに志望動機が思いつかない。
空港やホテルで働きたい、それが無理ならせめてお金が欲しい、自立したいという動機はあるけど、その会社ではないといけない理由が思いつかなかった。
そこで、私は出鼻を挫かれたのだった。
当たり前であるが何か、その企業でやりたいことがないと選ばれないし、それに付随する経験や体験がないと後押しにならない。
でも残念ながら仕事で成し遂げたいことなど思いつかなかった。
きっと頭のどこかで「結婚するからいいよね」とか
「生活できればいいよね」なんて甘く考えていたんだと思う(アホすぎる)
その現状理解にはかなりの時間を有した。
まさに、時すでに遅し。

ちなみにここで「私」について補足したい。
私は一言で言うと「なんとなくで生きている人間」である。
他の人よりかなりマイペースで、深く物事は考えず、バカみたいに明るいのだけが取り柄だった。
一人っ子だったせいか、大抵の困りごとは周りの大人が助けてくれたし、兄弟姉妹もいないから競争心とは無縁の世界で生きてきた。
そのためかうまくいかなくても、まあ何とかなるよねと考えず時間だけ無駄に過ごしたのである。
メンタルが強いことには感謝したけど、
そのなんとなく、が新卒の私の首を結果的に絞めることになってしまった。

季節が葉の落ちる頃になり、雲行きが怪しくなってきた私は、就職浪人は金銭的にできなかったことも踏まえ第二新卒、または既卒としてやり直すことも視野に入れ、母には「申し訳ないが就職できないかもしれない」とそんなことを話していた。
それでも何とか新卒という、可能性だけで無敵なステータスを見事にドブに捨てることにはなったが、私の就職先が年が明けた2月に決まった。
嬉しい反面、脱力もした。
特にやりたい仕事でもなければ、自分が想像していた生活はできそうにもないのが既に目に見えていた。
有名でもなければ、何をしているのかもよく分からない。
下手すると人に嫌われる仕事かも?と思われる就職先は、とてもではないが同級生には言えなかった。
同級生は皆裕福で、理想通りの人生を歩もうとしていたからである。

今思えば、そんなに大した問題ではなかったなとも考えられるが、学生で社会の荒波を知らない私は
ここで選ばれない=必要ではない存在だとそう思い込んでいた。
ここまでくると、何でもいいから就職したい、
来年も「学生時代に頑張ったこと」なんて陳腐なことを手を変え品を変え書き殴った履歴書を書くのかと思ったら吐き気がしたくらいだ。

単位は落としたことないし、受講態度は真面目だ。
でも、真面目だけでは何にもならなかった。
単位を落としても、世界をバックパックで回った人間が選ばれるし、飲みサーだろうが、幹部になった人間の方がよく見え、金銭的に余裕な家庭ができる留学をした人が優遇される。
残念ながら、真面目だけでは就職は厳しかったのだ。

そんな絶望の淵にいた私が最初に就職した場所は「空港」。
そう聞くと「え?夢叶ってるやん?」となるがそれはちょいとばかり違う。
そして結果的にこれが私の5回に及ぶ転職をするスタート地点となるわけである。
次回はいったい空港のなんの仕事に就いたのか?をお話ししたいと思います。

ではまた。



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