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「〇〇感」という言葉の胡散臭さ


 ネットや巷では自民党総裁選で盛り上がっていますが、御承知のように自民党員のみが投票できるもので党員以外の人には関係のない話。 確かに現状ではココで当選した人が次の首相になるのでしょうが、それもまた市民が首相を直接選べるワケでもない(※私は日本のトップを直接投票で選ぶコトは否定的ですが)。
 だから「自民党総裁選」とは自民党主催の「興行」に過ぎず、選挙戦は私が好きなプロレスで言うトコロの「シリーズ」みたいなもの。 80年代の新日本プロレスなら「闘魂シリーズ」、全日本なら「ジャイアントシリーズ」みたいなものです。
 そして全国主要都市の合同演説会は「巡業」で、テレビや配信に候補者全員揃って出るのは「テレビマッチ」。 それらを経て行われる投票はシリーズ最終戦の「IWGPヘビー級タイトルマッチ」「三冠統一ヘビー級タイトルマッチ」みたいなもの。 そこで長州が藤波を破ろうが天龍が鶴田を破ろうが(プロレスファンは大興奮ですが)世の中の何かが変わるコトないので、冷ややかに見ていて丁度イイのかなぁと私は思っています。


まぁ、人間模様剥き出しの総裁選は面白いですがね・・・(汗)


 さて、総裁選で盛んに聞こえるのが、

「刷新感」という言葉。 首相という「表紙」を変えるコトで党が生まれ変わった印象を演出(←こう言ってる時点でウソ丸出しなのですが)しようとしています。
 表紙を変えたトコで裏金にまみれた党が変わると思うなよ! というツッコミを先に入れた上で、ここで使われる『感』という言葉に総裁選以前から胡散臭さを感じずにはいられません。


かん【感】
1. 深く心が動くこと。感動。「—に入る」
2. 物事に接して生ずる心の動き。感じ。「今さらの—は否めない」「隔世の—」「親近—」
3. その物事の様子。「安定—」「重厚—」

(goo辞書 より引用)

 辞書で調べるとこのようになっており、「刷新感」の「感」は「2」「3」に当てはまるかのでしょうが、それは結局、

「心の動き」「感じ」「様子」

であり、形の無いモノや主観的なモノでしかありません。 だから「刷新感」は総裁選で必死こいてイメージ変えようとしている自民党の様子であり、それをやってる人及びそれを見ている人の「主観」でしかありません。

 また、同じような言葉に「スピード感」なんてのも有りますが、

コレだって言ってる人の感想感覚であり、実際に物事が迅速に進むワケではないのです。


 例えばですよ、陸上の100mウサイン・ボルト9秒54で走る様はボルト氏もそれを見た観客もスピード感を感じるでしょうが、その興奮収まらない中で次に私が、アラフィフプロのデブ膝が壊れている私が走るとしましょうよ。
 クラウチングスタートの時点で息が上がり、3歩進めば膝が悲鳴を上げ、恐らく数回休憩を挟まなければ完走できず記録は「秒」ではなく「分」で表すものになり、それを見た観客はきっとボルト氏とのあまりのスピードの違いに呆れる者、罵声を浴びせる者、ゴミを投げつける者という地獄絵図が繰り広げられるコトでしょう。

 でも! 重い体を引きずり膝の痛みと闘いながら、分単位ながらそれでも手を抜かずに完走(完歩?)した私にとってこの100mは、スピード感バリバリなもの。 例え他の人が全員「おっせぇ!」と思ったとしても、私にとってはスピード感あふれる100mなのです。


 「感」の意味を示すためにこんなに自らの恥を晒す必要が有るかどうか分かりませんが(汗)、胡散臭さを表すにはピッタリの例かと。 どうか皆様「○○感」という言葉が如何にまやかしであるか、そしてこの言葉を使う人は騙そうという気持ちマンマンであるかというコトを思っていただければ、私の膝痛も報われるというものです。


 それにしても、総裁選の候補が明らかに市民より企業の方を向いていて、そしてそれを隠そうとしない様を見て、辟易する毎日です。 

 マジで、ため息しか出んわ。 もうダメなのかなぁ、この国・・・



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