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エッセイ:いつか取った『賞』のこと。

僕の年齢は28歳なのだけれど、28年の人生を振り返る事ってあまりない。
楽しかったことや悲しかった出来事や人のことを考えず、今をぼんやりと漂っている。(noteに書くときは結構頑張って書いている。)

沈没船に使われていた木材が自然の歳月によって分解され、海を漂っていたとしたら、きっと100年前の嵐のことなんてすっかり忘れているだろう。

たまに自分の過去が、また別な他人の過去のように思う。
だから取り出すことに苦労することがある。

ふと、ああそういえば、と悲しかったことや楽しかったことが滲むように胸中に広がって、自分への感情に向き合うことが多々ある。

それで、僕は
約10年前に物語を書いて、あるサイトに投稿して『最優秀賞』だか『優秀賞』だかと『賞金』をもらったことを思い出した。
当時、まだ僕は学生で日常のあらゆるものに怒りを抱えていたころだ。
大人の不義理とか、友人の軽薄さとか、消しゴムを吸い取ろうとする重力とか、すぐに豚汁を食べたがる女子生徒とか、僕を捨てていった母親とか、すぐに別な女を捕まえて浮かれている父親とか。

物語を書いたきっかけは、友人だ。
高校からつながりが出来た友人が、あるサイトに小説を投稿していて、僕にも読んでほしいとのことだった。

「森は興味ないだろうけどさ、俺が今投稿しているサイトでコンテストをしているんだよ、それで有名なライトノベルの作家なり、小説家なりが審査してくれて、いい作品には賞と賞金がもらえるんだ」

ふーんと思った。
おそらく僕は人よりも小説を読まない方だし、読むときは決まって『夏』だった。
今もあるのかわからないけれど、昔、本屋さんは夏になると『ナツイロ文庫』だがなんだか、夏限定であらゆる本を選定し、特別コーナーを設けていたのだ。

やはり、学校の宿題で「読書感想文」なる大人の勝手な暴挙に付き合わなくてはならないから、僕はわざわざ眠らせていたお年玉を渋々取り出して500円~600円程度の文庫本を買った。

本の裏表紙の角に、キリトリ線があって、ベルマークみたいなのがついていた。
それを数枚集めると、ナツイロ文庫限定のしおりとかなんとかの特典がもらえる。

それが僕には、割とおしゃれに見えて、毎年欲しかった。
毎年欲しかったけれど、僕がナツイロ文庫に「夏休みの読書感想文」を預けている間に叶うことはなった。
もちろん大人になってからもない。その証拠に、僕は今でもナツイロ文庫なる企画が組まれているのかも知らない。

けれど、当時の僕は、何をどう頑張っても2冊以上、本を買うお金なんてなかった。
学校帰りに友人が100円くらいのアイスを食べている姿を、指をくわえて見ていた僕に手が届く企画ではなかった。

そして親の関心に僕が本を読んでいるかどうかなんて入っていなかった。
親が関心を持っていたのは、僕が道路で思い切り頭を強打してたんこぶを作っても、髄膜炎になりかけて、頭が割れそうな時も、自分に迷惑をかけずに、僕がさっさと学校へ登校することだった。
(この偏った関心のせいで僕は、何度か死にかけることになるのはまた別な話)

そんなこんなで、とくべつ読書家でもない僕が、友人から読んでみてほしいと言われた友人の小説なるものを読んでみた。

結果
「なんか違う……」
友人にそのまま伝えたところ、当然のように「えーーどこが?」と聞き返されたが、上手く答えられなかった。

2000ピースのパズルのなかに、明らかに別な絵柄のピースが入っていることに確信を持っているけれど、それが何の絵なのか伝えられないように、僕はうーんと首をひねった。

そして僕は友人に向かって
「よし、書いてみるわ」
と気まぐれを起こした。

友人は気のいいやつだから、ライバルが増えるという認識ではなく、一緒に祭りを楽しもうと言ったノリで「おー書け書けぇ」と踊っていた。

さて、言ってみたものの書くにも困った。

別に書きたいことってない。
とりあえず、そのサイトのコンテストに参加している作品に目を通して見た。
応募数は数百~数千程度だったと思う。(幅がありすぎるけれど、全然覚えていないし、調べるのも面倒)

全部に目を通せないため、手当たり次第に読んでいた。
それで、書きだすかぁと思って、応募条件を見たら、締め切りは3日後くらいだった。

何をしていいのかわからない僕は、大慌てで、近くの漫画喫茶に入った。
そうでもしないと、家でゲーム、ダラダラ三昧になって期日なんて無念にも過ぎ去ってしまう!!

友人に書くといった手前、とりあえずは書かないと!!
そして何より、『金』だ!もらえるなら「金欲しいぃぃぃ」

結局僕は、3日間漫画喫茶に籠って作品を完成させた。
運よくバイトが3連休だったのも救いだ。

そして物語を書いて、投稿すると僕は普通の憤っているだけの無力な学生生活に戻った。

友人には書いたよと送った。
「あとで読んでみるわぁ」から返信はこなかった。

僕はすっかり自分が何かを書いたことなんて忘れて、ぼんやりと生活していた。
僕が投稿してからどれだけの月日が経過したのかは全く覚えていない。
ある日、何気なくメールを確認したら、1通のメールが届いていた。

そこにはなんと

『覚えていない』

ぜーんぜん!メールの内容覚えていない。
ただ、僕の処女作が『最優秀賞』だか『優秀賞』だかを取った旨と、賞金を送金するため、口座番号を送ってほしいということと、受賞にともなった作者コメントを送ってほしいという内容だった。……はす。すみやかに送った。


それからそのサイトでデカデカと掲載された。
他にも読者が票を入れて選べる『ファン賞』みたいなのと『審査員賞』とかいろんな賞を受賞した作品が載っていた。

僕の感情としては「え?ほんとに?口座番号とか詐欺じゃないだろうねぇ、アンタ達」と疑った。
一応父親にも報告した。
父親は読むこともなく、僕の書いた作品を馬鹿にして、それに賞を与えた審査員たちのことも良く言わなかった。

受賞と共に、僕の作品には沢山のコメントがついて、色んな人からお祝いのメッセージを頂いた。

それぞれ受賞した作品には、審査員コメントがついていた。

これは少し後悔したことなのだけれど、
他の受賞者の作者コメントが全て10行に渡って書いてあってびっくりした。

僕は
「うれしいです、ありがとうございます」くらいの一行か二行。

逆にちょっと恥ずかしかった。
でも物語でさえ別に書きたいことないと思っている僕に、10行に及ぶ作者コメントが書けるはずもないってこと。

受賞を知った日から、僕としてはお金をもらって満足で、作品が評価されたことに対する喜びはほとんどなかった。

ただ、僕の作品に対する審査員のコメントを読んだ時に、初めて喜びを感じた記憶がある。

「一部審査員に熱狂的なる支持者がおり、セリフの言い回しや情景描写の表現に、心底うちのめされていました」

みたいなことが書いてあり、僕はそこで初めて、うれしさを感じた。

そして、僕は書くのを辞めた。それ以降書かなかった。
これまでも物語を書いてきたわけでもないし、これからも書くわけでもないと思って、すっぱりとそこからは書かなかった。
なんなら忘れていた。
一作で辞めた。
興味本位で1本だけ吸って、残りの19本を捨てる煙草のように。

そういえば、
僕の作品にコメントをくれた人が、今ではプロのライトノベル作家として、いくつも本を出している人が何人かいる。

それを考えれば、僕も続けていればぁなんて思わなくもないけれど、
僕には才能がないから、書き続けることはできなかったろう。

当時、多くの作品がその時に流行っていたアニメの設定を真似たようなものが多かったというのと、僕があまりアニメを見られる環境じゃなかったという幸運によって受賞したに過ぎない。

つまり、良くも悪くも、アニメから影響を受けずに書いたから、必然的に他作品とジャンル分けされ目立ちはしたのだ。

それだけのことだと思っている。
書くことには今でも苦手意識を持っている。

それに10年近く経って、またnoteで物を書き始めたのも、そういった過去の経験からではない、繰り返すけれど、そんなことすっかり忘れていた。

僕がnoteでこうやって物語を書くようになったのは、尊敬している青い師匠の影響以外の何物でもない。(感謝感謝)

もう少ししたら、約10年前に賞を取った作品を読み直してみようと思う。
作品のタイトルだけ検索してみたら、ちゃんとでてきたし、そのサイトはまだ運営されているから、審査員コメントだって見れるだろう。

うーんでも、今じゃない。
今はなんだか恥ずかしいから、
もう少ししたら。

何かに応募するために書きだそうとしている『長編小説』が書き終わったら読み返してみようかななんて思っている。(応募しようと思ったのも人からの影響、自分というものがなーーーい)



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