時間を巻き戻すなら靴のなか(ショート)
中年男性の腹みたいに緩んで膨らんだ靴ひもを結びなおそうと屈む。
齢を重ねた老犬が僕を見ていた。
飼い主が名前を呼びリードで正そうとするもうんともすんともいわない。
抵抗することもなく抱きかかえられながらどこかへ行った。
まるで足の壊れたキャリーケースみたいだな、と思った。
どうして、老犬は僕を見ていたのだろう。
靴のなかにお菓子を隠していると思ったのだろうか。
「そんなに甘くない」
というジョークを思いついた。
自分ではくすりと笑ってしまうのだけれど、おそらく他のひとには言わないほうがいい。
ジョークとか宝物は自分の腕のなかに隠しているのが一番いいに決まっている。
そうすれば誰も盗ろうとはしない。
重要なものはいつも隠れているのだから。
脳だって心臓だって骨や筋肉にまもられている。
ほら、命でさえ隠れているのだ。
命の価値が計り知れないのはそれが隠れているからだ。
宝石みたいに外側にあるものは価値が決まっている。
だから価値を測れないという価値を失っている。
靴ひもを結びなおした。
これで当分は大丈夫だろうと考えてみたが、
玄関で結んだときも同じことを考えていたから、
きっとまた解けるだろう。
時計を見る。
約束の時間は過ぎていた。
僕は呑気にまださっきの老犬について考えていた。
本当に不思議な犬だった。
あの犬が時間を操れると言われても信じるし、7か国語の指示を聞き分け従うことができると言われても疑わなかったに違いない。
時計を見る。
更に時間が進んでいた。
少なくとも僕の時間は巻き戻していってはくれなかったようだ。
発動に条件があるのかもしれない。
たとえば、靴のなかから出したお菓子をあげるとか。
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