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台南の區公所へ2回も突撃した話
みなさまこんにちは
フランス留学準備中のMouneと申します。
前回は僕と祖父と台湾の関係についてお話ししました。そのお話はこちら。
今回は、台湾台南市の区役所に2回も突撃したお話をしたいと思います。
台南市の区役所に突撃した理由
それは祖父が台湾で生まれたので、何か記録が残っていないか調べたかったからです。
19歳のとき、初めて台湾1人旅する際に、せっかくなので台北だけでなく、祖父の生まれた土地も見ておこうと思いました。
台湾について調べていると、台湾生まれの日本人が台湾に残っていた当時の自分の戸籍を手入れた記事を読みました。
もしかすると、祖父のものも残っているかもしれない。
そう思った僕は、祖父の形跡を辿る旅と(勝手に)題して台南へ赴きました。
1回目の区役所突撃訪問
台湾へ行く前に自分なりに調べてわかったことは、祖父の生まれた土地が現在の台南市中西區であることがわかりました。これは、地元の台湾人が個人で運営しているホームページに掲載されていたものを参考にしました。
中西區公所(日本語で区役所の意味)のホームページを見てみると、確かに日本統治時代の戸籍を開示しているような文言が日本語で記載されていました。
※10年前の話。今はホームページが変わってしまっていて見当たりません。
台北のホテルに滞在していたので、僕は台北から新幹線に乗って、台南へ。観光を始める前に、まずは中西區公所へ直行しました。
当時の僕は、中国語はおろか、英語もまともに話せませんでした。でもこの時の行動力は凄まじかった。どうにかなるだろう!とこの少年は思っていたのです。(今もこの精神で生きているのは間違いないけど、当時より劣った気がする。)
中に入ると、案内板に2階に住民票のような記載がある課があったので、とりあえずそこへ向かってみます。
窓口にお姉さんがいたので、片言ニーハオで挨拶をし、ボロクソな英語で
ボクハニホンジンデス
祖父ハ台南ココデウマレタ、
曽祖父ヤ曾祖母ノナニカノコッテナイカ
アレバホシイ
と言って、事前にスマホで撮った祖父の戸籍抄本の写真を見せました。
するとお姉さんは嫌な顔1つせず、
この人(祖父)のことを調べてみるねと言って何やらパソコンでカタカタ打ち始めました。
でも顔つきが変わります。
どうやら祖父のことが出てこない様子。
お姉さんは、中国語で何かを話しながら奥へ向かいます。すると、奥から助っ人のお姉さんが登場。そして、助っ人のお姉さんが聞きます。
おじいさんの中華名はある?
いえ。ないです。彼は日本人です。
曽祖父も曽祖母も日本生まれです。
わかりました。
そうすると、2人はなにやら会話を始めます。
僕のスマホの戸籍抄本の写真を見ながら、色々と話しあった結果、
ごめんね。
中国語の名前のある人しか探せない。
もしおじいさんが台湾人なら、わかったかもしれないけど。。
そうですか。
ありがとうございます。
僕の拙い英語でも、全力で探していただいたお姉さん御二方にはとても感謝しています。
まあ仕方ないか。
だって突撃やもん。
諦めて台南を観光して、帰りました。
2回目の区役所突撃訪問
1人旅から5年後。僕はまた台南にいました。それは語学留学中の出来事です。
語学留学が終わりに差し掛かったとき、友達から実家に泊まりにおいでよと誘ってもらいました。
友達の名前はけんさん。(仮名)留学中はお世話になりっぱなしで、色々と助けてもらっていました。(そのお話もいつか書きたい!)
季節は旧暦のお正月シーズン。
実家に帰省するので、そのタイミングで一緒にどうかと誘ってもらったのです。
そして、けんさんの実家が言わずもがな台南なのです。
けんさんの実家でくつろいでいた時、何気なくサラッと
そういえば、5年前におじいちゃんの戸籍が残ってるか中西區公所に行ったわ。懐かしい。もう一回リベンジしてみたいなー。
そう言うと、けんさんが
やってみる?行くなら全然手伝うよ。
と言ってくれたのでお言葉に甘えて、その次の朝、區公所へ行く事にしました。
事前にもう一度、祖父の戸籍抄本に載っている住所と今の台南の住所を照らし合わせてみると、どうやら台南市南區の可能性が出てきました。
1人旅のときから5年経っていたので、情報がより詳細になっていました。
統治時代の間で台南は何度か区画整理されたらしく、町名変更もあったようです。年代ごとに日本時代の町名と現在の住所区画である街や里を照合できるようになっていました。
※2024年現在では、wikipediaにも掲載されています。ありがたい!
祖父が生まれた当時の住所は、台南市鹽埕(えんてい)町で、現在の台南市南區新昌里であることがわかりました。
驚いた事に、けんさんの実家はなんと南區。僕はもう目と鼻先のところに滞在してたのです。
そうとわかれば、南區區公所へ突撃。1回目のときと違うのは、中国語が話せること。僕が知ってる祖父の状況はある程度伝えられました。
足りない部分は、けんさんにバックアップしてもらったので、伝えたいことは全て伝えられました。
窓口で色々と調べてもらったのですが、結局資料は残っていませんでした。そして、1回目の時と同じように、中華名があれば、つまり台湾人であれば残っていたかもしれないと言われました。
仕方ない。
よく考えたら祖父は統治時代の間に日本へ戻ってます。もしかすると、統治時代の間に破棄されている可能性もなきにしもあらずです。
台南市南區新昌里
でもネットの情報でここまでわかったので、南區新昌里へ行ってみる事にしました。
新昌里は、新光三越(デパート)がある目の前にあって、藍晒圖文創園區という司法関係者の寮をリノベーションした複合施設があります。台湾土産を買うのにはいい場所だと思います。
1回目では、祖父の生まれた場所が現在の中西區という結果でした。それもそのはず、南區新昌里は中西區に接しており、1回目の結果もあながち間違いではなかったということです。
新昌里と書かれた看板の前で、記念撮影。こんな看板の前で何してんねんと周りから不思議な目線を浴びました。笑
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髪型が台湾な僕。留学してるなー。
看板の前には、清代のころからあるお寺がありました。(写真奥側)祖父一家もきた事があるのかもしれないと思い、お参りしておきました。
ありがとうけんさん。
あなたのお陰でここまで来れたよ。
祖父にも後日この事を知らせて、喜んでもらえました。
結局2回とも役所へ行ってみたものの、祖父の資料は見つかりませんでした。それでも、わけのわからない日本人に、丁寧に対応して下さった區公所の職員の皆さんには本当に感謝しています。けんさんもありがとう!
驚いたのは、祖父の生まれた南區に自分が意図せずに滞在していたことでした。スピリチュアル的なことは信じないタイプですが、何かあるのかもしれないと思ってしまいました。それは、この區公所へ行く前にも、1つ不思議なことがあったからでした。
そのお話は次回。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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