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【読書感想文】三十一文字の夢

一年の計は元旦にあり

と言いながらもう中旬。早いもんですね。
今日は久々の読書感想文です。前置きを多めに置いておきますので、不要な方は飛ばしてね。

前置き

私の書くことは比較的話すことに近しいのではないか、と感じているのですが、そのためもあってか冗長なのではと感じています。

それから話しながら色んなことに繋がってしまってまとまりに欠ける感じもあってなんだかなぁと。書き連ねて思わぬところに辿り着く楽しさも私的には好きなんですけどね。

あと、多分これは私の性分で、変なところ真面目というか、言う(書く)からにはどこまでも誠実でなければならない=隙のなさ、正確さを自分に求めているところがあると思うのです。

そのため、Aについて語る時にAではない可能性(A’)に触らないとそれは不誠実だと思うし、AとA’を突き合わせたものから生まれるもの(A”)で遊んでみたくもなる。でも遊んだ後には後始末として私なりの結論(X)を置いておかなきゃと思ったり。

その結果、文章が膨らんで膨らんでキメラみたいになるのだろうと自己分析。要は自分の中の強迫性が強すぎることを嫌ってるんですね。A”くらいでポイッと放り出せる緩さが欲しい。

そんな折、ある人が言っていたこんな言葉がふと過ぎったのです。

長い文書を書いても、全く景色が浮かばない文章がある。その対極にあるのが俳句なんだと思う。

五七五の十七文字しかないけれど、たったそれだけの言葉で情景をありありを思い浮かべさせる力がそこにはあるのだ、と。

そんなことを冬休みに入る前に思い出し、休みの間に少し本を読んでみよう、と思ったのでした。

『起きられない朝のための短歌入門』

はい、そうです。短歌です。
え?俳句はどうしたって?
私にはこういうところがあります。
十七文字のくだりを書いておいて七七足して三十一文字にしちゃうお茶目なもうきんるいです。

俳句だと文字数がちょっと少ないなぁという貧乏性的なところもあるんですけど、それ以上に俳句の季語のルールがあんまり好きじゃないなと思っていて。文字数制限に加えて季節まで縛られるとかなり窮屈な気がしたんですね。

何となくそんな思いを浮かべながら本屋を歩いてみると、入門書はとても多い。そしてしっくりこない。
多分私は書き方を知りたいんじゃない。書き方ってとても魅力的だけど、几帳面に収まりやすい私にはちょっと危なっかしいものかも。

そんなことを思ってたらこの本がふと目に飛び込んで来たのです。

本書は2人の歌人による対談形式で、短歌のつくり方や詠み?読み?方についてああでもないこうでもないと語り合っている内容。技法的なところも書かれているんだけれど、2人の大人が真剣に、言葉を尽くして短歌について語り続けているだけ。
2人が使う言葉の切れ味や読み心地が良いし、真剣に、と書いたように本当に話し込んでいて、浮かんで来た話題をそのままにせず互いに向き合って、批判するんじゃなくて線を引いていくイメージ。

良くある作品の添削みたいなことをするんじゃなくて、そこに答えはないという前提は不可侵としながらも、各々のスタンスから短歌の世界に深く沈降する感じですかね。(添削することもわかりやすくて面白いし、作り手にその心づもりがあらば大きな勉強になるとも思うんですけどね)

2人の話を横で聞かせてもらえてるような面白さが本当に心地よかったんですよね。特に馴れ合いにならないところが良いんですよね。ポッと片方が言ったことを「え?どゆこと?」って聞き返して、聞かれた方もたじろいだり迎合せずに言葉でちゃんと落とし込む。一瞬パッと緊張が走るんだけど、そこに臆さず読み進めるとじんわりとする感じ。
ずっと横で聞いていたい思いとか、時々難解な表現があって考えさせられたりして読むのに時間が掛かりましたし、読み終えたくないと遅滞させてしまうくらい興味深く、染み渡る対話でした。

ちなみに、時間かけすぎたせいもあって本のタイトルをすっかり忘れてしまったんですよね。読みながらそれに気づいて、でもタイトル確認するのもなぁと思いつつ、読みながら頭の片隅でタイトルを考えていたんですよね。(そういうことない?)

するとふと、読みながら短歌って夢みたいだなぁって思ったんですよね。寝てる時に見る方の夢。現実と非現実の合間、ありそうなことの中に突然あり得ないことが入り込んで来て、「なんだこれ?」「あり得ないでしょ?」と放り捨てたくなりながら、「でも待てよ?」「もしかして、こういうこと?」と理性では考えられなかった新しい感覚に開かれていく斬新さ、みたいな。
と思ってたら終わりの方でそういう話になって、「そうそう!」と思って読み終わってタイトル見たら無事に回収されて、大変腑に落ちましたとさ。

おわりに

短歌の世界に少し魅せられた私です。
でも本当に奥が深くて、いくつか詠まれていた短歌の難解さに圧倒されたり、解説を見て「こんなの作れるようになるの?」と存分にたじろがされました。

でもね、作らないと上手くもならないから、これからちょこちょこ書いてみよう(詠んでみよう?)と思います。

と言うわけで私の駄作をちょっと付けて終わりにしますね。


気高い毛むくじゃら 風が吹いている
消えてかないよね 消えてかないよ

水掛け論 ふたりの言葉の洪水に
私は植物根腐れしかけて

すし詰め電車隙間なく押し合いよ
ケーキは無事か(無事じゃないよね)




【あとがき】
結局また長くなってしまったと後悔するはやぶさです。人ももうきんるいも年を跨いだくらいでは変わらないということですね。
これを書きながら、小学生の頃の自由帳ってあったじゃないですか?私一時期そこに川柳書いて、そこに合う絵を描いていたことを思い出したんですよ。五七五のリズムと不自由さに昔から惹かれてたんですねぇ。ちなみに季語嫌いは当時からですね。当時も俳句じゃなかったもん。笑
あれから数十年跨いで七七分の十四文字足すことにしましたが、本質は変わっていないってことなんですね、きっと。

自由帳って、死語じゃないよね?

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