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【実証実験】酔っ払いnote

2023.03.12(日)00:34

いやぁ、酔った酔った。

流行り病の影響でなかなかなかった飲み会。
自粛ムードが長く続いた影響か、久々に酔っぱらっていて、その勢いで筆を取った、というか、キーボードに打ち込んでいる。

一度やってみたかった、酔っ払い状態で文章を書いてみることに今チャレンジしている訳だが、大変に筆が進む、というか、タイピングが進むこと進むこと。

明日になったら後悔しているかもしれないけれど、それも含めてここに記しておきたいと思っている。それでも意外と書けるもんだなと。

色んな人が言っていることだが、モノを書くということには一定のこそばゆさと自意識が邪魔して、様々な葛藤が生じるものだが、アルコールの力は偉大で、そうした自意識を遮断してくれるので好き勝手モノが言えるのだなと、改めて感じている。ただ、言いたいことはあるものの、タイピングが上手くいかないのはご愛敬と言ったところだろうか。

昔、飲み屋、というか、バーで働いていたことがあって、”美しい飲み方とは”というものは散々叩き込まれた。その時に教わったこととして、『お酒をオーダーする時に、今何杯目で、どこで、何を飲んできたかを一杯目からきちんと数えて、覚えていたらオーダーして良し。思い出せなければお会計をするべし』と教わったのだが、今日は珍しく何も覚えちゃいない。

と、思ったが、今思い返すと、

ビール×2
スパークリング×4
ハイボール×1

だと思う。
スパークリング×4はもしかしたらもう少し飲んだかもしれない。ボトルを3本入れたことは覚えていて、大変に楽しかったことは覚えている。三つ子の魂、ではないが、意外と染み付いているものである。

もう既に、この文章がどこに落ち着くのかは迷子であるし、タイピングをしている私は左右に揺れているという自覚はあるものの、なんだか楽しいので打ち続けている次第である。眠くて仕方がない。

それにしても、意外に打てるものだなぁと、我ながら感心している。



私の筆はここで止まっている。

どうも皆さん、ごきげんよう。
素面のはやぶさでございます。

上の文章は酔っ払いの私が書いた文章である。
酔っぱらって書いたらどうなるだろう、というのは上記の通りであるが、皆さんの目にはどう映っているだろうか。おそらくあまり酔っているように感じないのではないだろうか。私も感じない。

ちなみにこんな文章を書き始めた私の顔色は真っ赤である。
恥ずかしさからではない。いやむしろそちらの方がよかったのかもしれない。

私の敏感肌はさながらリトマス試験紙のように、アルコールにとてもよく反応し、鮮やかな赤色を示す。ただ、首より下の皮膚部分においては、赤色に加えて真っ白な斑点も示してしまうため、試験紙としての信頼性に欠けてしまう。
おそらく紅白のゴマフアザラシを想像してもらえるとわかりやすいだろう。紅白が付くとお目出度い話に見えるが、実際はなかなかにホラーであると言わざるを得ない。

そんなわけで傍目からするとベロベロに見えるのだが、意外と頭はしっかりしているのである。どれくらいしっかりしていたのかというと、あの文章を書いた後、風呂に入って身支度を整え、最後にはお約束のマウスピースを付けて就寝できる程度にはしっかりしていたのである。

そして何より、あそこで文章を止められたところが、私の頭がしっかりしていたことの何よりの証左である。

当時の私の脳内は以下の通りである。

うわぁーこれ結構書けちゃうなぁ…いや、タイピングめちゃくちゃ間違えてバックスペース押しまくってるけど、書けちゃうもんだなぁ。。。

そうそう、書ける書ける。

…うん、書けるんだけどさ。

どこにも落ちないし、全然面白くないねこれ。

酔っぱらいの私の脳内

そう、何も面白くないことに気付けてしまったのである。

アルコールは私の思考機能を綺麗に停止させていたため、私お得意の出鱈目な連想や音韻・オノマトペすら創造できず、ただただタイピングを叩くだけのポンコツを生み出していたのであった。

「酔っぱらった私は、何かトンデモないこと書いてしまって、次の日に赤面してしまうのではないかしら」

そんな泡沫の期待を抱いた自分であったが、自分の手で完膚なきまでに打ち砕いてしまったのである。そう、創造力は阻害されているにも関わらず、創造力があるかどうかというメタ認知部分は正常に、もしかするといつも以上に鋭敏に働いてしまっているのである。つまり人格が分裂しているのであり、酔いに浸って気分の良い自分にはなれず、その背後で冷たく見つめる自分の方が強くなってしまったのである。

あれだけ赤かった顔も、書き終わった頃には完全に蒼白状態であった。「赤面するやも」などと嘯いた少し前の自分に見せてやりたいものである。先の文章の最後の一文に「感心している」と書き連ねているが、それを書いている頃にはすっかり着地点を失ってしまっていたのであって、それでも酔っぱらいながら書いているんだと自分に言い聞かせていた一文になっているのである。

そうして、段々と考えるのである。

私は今、酔っているのか?
そもそも酔うとはどういう状態なのか?

酔っていると認知している私が、私であるのなら、この文字を打っている私は、誰なのか?


どちらが本当の私なのか?

そもそも”私”とは何者なのか?

存在とは?
神とは?
宇宙とは?





よくわからなくなってきたので、今回の実証実験の結論を以下に記す。

①酔っぱらってnoteを書くと、人格が分離し、非常に冷静な自分が出現する。
②酔うという行為は、人を人たらしめるのかもしれない(要考察)
③酔っても酔わなくても、私は文章に対するオチに厳しく、今回も落ちていないのではと不安になっている。

『【実証実験】酔っ払いnote』(はやぶさ, 2023)





【あとがき】
自分の身体と思考を使った人体実験の様子をお届けしました。結局あんまり面白いことにならなかったのですが、学術的(?)な論文なんて大概こんなもんですよね。
そういえば学生時代、論文の口頭試問で「はやぶさくんの論文は、意義がちょっと弱いっていうか…野球で言ったらヒットにもなっていないように思うよ」と言われて、「はい!送りバントくらいかなと思っています!次の研究の礎になればそれで!」と言って笑って許されたことを思い出しました。
酔っぱらった私は冷ややかな目をしていますが、そんな私を含めて、温かい目で見守ってもらえると幸いに存じます。

皆さんは酔うとどうなりますか?

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