自然と対峙する
朝の散歩
会社を休職してしばらく経つ。
家に閉じこもっていてはダメだと、
時々、朝に散歩をするようになった。
ゆっくりと、川沿いを歩く。
会社を休まなければ、絶対に歩くことのなかった道。
サラリーマンの大群が次々と押し寄せてくる。
目を合わせたくない。視線は自然と川の方へ向く。
朝の太陽に照らされ、草たちは悠々と生きていた。
昼間の明るさが嫌いだった自分と真逆に見える。
草たちは電車に乗って通勤などしない。
ノルマもないし、面倒な人間関係も存在しない。
ただひたすらに、そこで生きる。
なぜだか心が軽くなり、勇気づけられた。
人間に言われるより、何十倍も説得力があった。
樹海通い
思い返すと、大学時代は森へ行って
写真を撮るのが好きだった。
富士の青木ヶ原樹海にハマった。
何度も何度も通っては、森を歩いた。
当時はなぜこれほどに取り憑かれているのか
分からなかった。
「樹海」というだけあり、そこは海の底のようだ。
水面を見上げる。
耳を澄ます。
葉がキラキラと鳴り響いている。
こちらへは届かない、頭上の光。
深海は常に、暗く静まり返っている。
私の足音だけが水中に消える。
暗くてもなお、そこには"生"がある。
一人のおじさんとの出会い
とある午後、いつもの様に海底散歩をしていた。
自作のピンホールレンズで、
長時間シャッターを開いての撮影を試みていた。
ふと気づくと、横におじさんがいた。
カメラを持っている。どうやら目的は同じの様だ。
「こんにちは。苔探しですか?」
彼は穏やかな笑顔で話しかけてきた。
相当な苔オタクのようで、よく樹海を歩きにくるらしい。
「苔ではないのですが、森の写真を撮っていたんです」
私はピンホールレンズを見せながら、
制作中の作品について説明した。
「もしよろしければ、一緒に苔探しをしてみませんか?
この樹海の苔の種類はかなり多いんですよ〜」
話を聞くと、彼は長い間カメラマンをしており、
苔やキノコの界隈では有名な人らしかった。
(図鑑も出版している)
半分撮影に飽きていた私は、
そのおじさんに苔ガイドをお願いすることにした。
小一時間、2人で海底を散策した。
さまざまな種類の苔を見たのは初めてだったせいか、
私はすっかり魅了されていた。(沼に片足をつっこんだ感覚)
沢山の苔を紹介され、正直覚えられなかったが、
1つだけ印象に残った苔がある。
「これはね、クジャクゴケ。
なかなか珍しいんだけど、今日は見つけられなかったね…」
孔雀が羽をを広げた様な形をしていた。
おじさんは図鑑を見せながら、半ば残念そうに教えてくれた。
どうしても見せたかった"推しコケ"らしい。
おじさんと別れた後、1人でもう一度海底を歩く。
ボーッと下を見ていると、何やらさっき図鑑でみた苔が。
苔を発見するのがこんなに嬉しいものだとは。
おじさんの気持ちがわかった気がする。
私は思わず、
彼に教えてもらったアドレスにメールを送った。
人と自然
以前上高地へ行った際、
眼前にそびえ立つ穂高を
懸命にスマホで撮影する若者たちを見た。
彼らは登山をしに来た山好きというよりかは、
観光で訪れた様子。
仲間内でワイワイはしゃいでいたが、
山だけは真剣に撮影する姿が印象的だった。
自然に対する興味は、
誰しもが生まれながらに持っているのだろう。
素晴らしい自然に出会うと、
それを残しておきたいという衝動に駆られる。
日本古来の自然崇拝も、
同様の感情から来ていたのだろうか。
人は自然を本能的に尊敬しているのかもしれない。
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