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田山花袋「蒲団」2-1

 大変お待たせしました。「もっ読」田山花袋『蒲団』第2回目のまとめです。

 田山花袋「蒲団」1ー1から1-6までは、『蒲団』は私小説の元祖といわれているものの、3人称の形式で書かれており、その点について、「私小説が大好き」というIさん(男性)が「実は周到な作品だと思う」と熱く語られていたことが印象的でした。
 なるほど、Iさんの解釈には確かに一理あり、『蒲団』を文学史的な偏見で「私小説」=主人公の視点だけで書かれているという見方に限定できないと思い、私もあれから作品を再度読み返してみました。

 今回は、前半は野田の解説中心で、後半はまたみなさんの意見を中心に進めていきたいと思います。 

<伝記的な視点から モデルと作品>

 文学作品というのは、さまざまなレベルのさまざまな視点から読むことができますが、まず、作者の伝記的事実との関係から作品解釈上、参考になりそうなことをいくつか補足しておきます。

 前回、作品中、時雄の気持ちのアップダウンが激しいことが話題となっていましたが、これには、作者の花袋が躁鬱症であったことも関係があるかもしれません。
 次に、芳子のモデル、岡田美千代については、花袋のファンで作品を暗唱するくらい熱烈に傾倒していて、そういう思いで手紙を花袋に出したそうです。
 作品中で芳子に対しては、女子が入門することをとめるような返信を時雄は送ります。しかし、それに対し、実際に花袋が出した返信では、入門を断るようにも許すようにもとれる書き方だったそうです。しかも、岡田美千代が暗唱するくらい感動したという作品の(花袋が)もとにした『即興詩人』の本まで同封して送ってもいるのですから、現実では特に入門を断ったというわけではなかったようです。

 また、奥さんのことですが、作品中では悪く書かれていますが、実際の花袋の妻は親友の妹なんですよね。花袋はその妹を5年も熱烈に愛していたそうですが自分から切り出せず、兄である親友に頼んで話を進めてもらったそうです。
 だから結婚当初、花袋はかなり奥さんのことが好きだったようです(小説でも少しほのめかされていますね)。
 しかし結婚後、小説家の妻としてふさわしいように、小説講義を毎晩のようにしたそうですが妻はそれが嫌だったらしく、あくびを噛み殺しながら聞いていたので、「お前は小説が嫌いなのか」と聞くと「嫌いです」と言われ、すごく失望したというエピソードがあったようです。

 あと、伝記的事実として興味深いのは、『蒲団』の時間的枠組みは芳子が上京して来てから1年半という設定で、実際に岡田美千代が上京してから帰京するまでの時間も1年半ぐらいだったのですが、ただ、現実にはその間7か月ぐらい花袋は日露戦争に従軍記者として行っている期間があるんですね。
 だから岡田美千代が弟子として来て、一カ月もたたないうちに花袋はロシアに行っている。そして花袋が帰国してみると、岡田さんは実家に帰っていて、その後もしばらく彼女が再び上京してくるまで会っていない。
 つまり、花袋と岡田さんが一緒に東京にいたのはとびとびで、合計しても3か月ぐらいしかないんですね。それが小説では従軍記者となって不在だった期間というのが消去されていて、時雄が一年半の間、ずっと芳子のことを見ていたという連続的な時間設定となっているので、あたかも芳子だけが劇的に変化していったかのような印象を受ける。その違いの意味を考えてみてもおもしろいかもしれません。

<まとめ>

 伝記的事実やモデル=作品ではありません。しかし、事実から作者が何を作品化し、何を消したか、それを考えてみると、その作者が書きたかったこと、世界観が見えてくるかもしれません。
 2-2では、作品の注目点、視点の問題について引き続き、野田の解説をまとめていきます。
 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



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