美しい人への道は美人道よりも険しいかもしれない
「美人」といって、私が真っ先に思い浮かべるのは、ナタリー・ポートマンやケイト・ブランシェット。
彫りの深いミステリアスな目元、シャープな顎、顔の中心にすっとそびえる高い鼻。
パーツのサイズと配置のバランスのよさが美人か否かを決める。
一方、「美しい人」と聞くと、単に顔の造形だけではなく、その他の部分、例えば所作や雰囲気、言葉、含めて「なんだか魅力がある」「目が追ってしまう」人を思い浮かべる。
シャネルは決して美人というわけではないが、美しい人だなぁと思う。
美しい人とは何なのか。
森村泰昌さんの『「美しい」ってなんだろう?』を読んで、「美しい人になりたい。美しい人になろう」と心に決めた。
私のまわりには「美人」ではないけど「美しい人」が割といる。
(美人かつ美しい人もいる)
穏やかで、優しくて、自分を喜ばせる方法を知っている。
家族や友人、同僚にも親切で、仕事にも一生懸命。
決して器用ではないし、抜けている部分もたくさんある。
完璧な人、ではない。
けれど、みんなが彼女に会いたがっている。
そんな女性だ。
彼女を形容するとき「美しい人」という言葉がぴったりだなと感じた。
著書のなかで森村さんは
美しいという言葉がめざす世界は途方もなく大きい。
と言います。
美しいとは感動すること、とも言います。
喜びや悲しみや楽しさや恐怖、すべてをひっくるめて、人の感情を動かすもの=感動を与えるものを「美しい」と表現しているのです。
美しい人、とは他者に感動を与える人だと私は考えます。
感動とは、感情が動くこと。
喜びだけでなく、さまざまな感情が動くことです。
人は生きていたら嬉しい、楽しいことだけじゃなくて、悲しいこと怒ること惨めなこと、さまざまな感情が沸き起こります。
「いい面だけみせよう」と取り繕って頑張っていたのでは、特定の感情しか相手には与えません。
でも、「あるがまま」の姿で生きていると、いいことも悪いことも含めて、さまざまな感情を相手に与えます。
そうして他者になんらかの「感動」を与えることが、「美しい人」につながるんじゃないかなと感じています。
人の顔色をうかがって、ご機嫌をうかがいがちな性格の私ですが、これからはもっとのびのびリラックスして生きるように心がけよう。
とはいえ、自分らしくあるがままに生きるって、顔の造形を変えるよりも難しそう。
美人へのハードルは高いけど、美しい人へのハードルはもっと高いかもしれないなぁ。
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