『ビヨンド』
1981年/イタリア映画
監督:ルチオ・フルチ
以前、友人と二人でニューオリンズからテキサスのエルパソまで車を走らせるちょっとした冒険に出かけたことがあります。『パリ、テキサス』や『悪魔のいけにえ』のロケ地を巡るということ以外特に何も決めず、その日の宿も決めずアメリカ合衆国最南端をひた走る旅。
ニューオリンズを出て湿地帯を抜けた後突如長い長い橋が現れました。水面と大空の中どこまでも続く細いアスファルトの道、かつて世界で最も長い橋だったという“ポンチャートレイン湖コーズウェイ”というその道を走る中で私はデジャヴュのような感覚に陥りました。でもその風景が脳の錯覚ではなく、かつて観た映画の光景であると思い出すのにそう時間はかからなかった。“あぁ、ここはルチオ・フルチの『ビヨンド』の場所だ…”
はっきり言って『ビヨンド』というこの映画はおどろおどろしいポスターを見ても分かる通り万人にオススメできる映画ではありません。“地獄の門の上に立つホテル周辺で異常な事件が相次ぎ、やがて地獄の門が開く”という内容はとことん支離滅裂であり、ホラー映画どんとこいな私も初見時は凄惨で過剰な描写に目を背けたような気がします。かつてイギリスではこの映画が“有害”として発禁処分を受けていた時期もあったほどです。
さらに言うならば監督のルチオ・フルチという人は『マッキラー』や『サンゲリア』などで70年代〜80年代のイタリアンホラーやジャッロ映画の代表的な監督と言えるでしょうが、間違っても広義の映画史において重要な監督とは言えないでしょう。
それでも私はこの映画が大好きです。むしろ万人には勧められない裏おすすめ映画リストなるものを作るとするならば間違いなく上位に入れるでしょう(だからこうして書いているのですが…)
ですが長い間なぜこの映画が好きなのか?なぜそうと知らずにロケ地に吸い寄せられ、記憶がフラッシュバックするほど惹きつけられているのか説明できずにいました。
内容は極めて支離滅裂で破綻しているし、描写は不健全で悪趣味極まりないのに…
誤解を恐れずに言えば“だから好き”なのです。
私が物心つき始めた頃からの世界は急速にデジタル化、0と1で出来上がる極めて合理的な世界に突き進んでいます。確かにスマホ一つで多くのことを済ますことができる世界は30年前より便利になったでしょう。そしてまたその世の中は急速に“健全化”しているのも事実です。書店に行けば文学書よりも“健康”や“美容”をテーマにした本の方が目立つところに置いてありますし、街角からは灰皿が日々姿を消していっています。日々ネットで巻き起こる炎上騒ぎ、これだって“こいつは悪いやつだ”、“こいつは汚いことをした”と有象無象の人たちが“健全で正しい”気持ちで群れをなして潰しにかかる行為です。
ですが、私はこの世界に居心地の良さを感じません。
もちろん、私もその便利さを享受し、炎上騒ぎになるような過ぎた悪戯などに呆れ返る一人ではあります。しかしながらそれ以上に非合理的な選択をした瞬間に発生しうる無駄とも言える時間を、健康的でないと言われるような夜更かしであったり喫煙であったりする時間を愛しています。そもそも文化と呼ばれてきたものは我々の日常と言う名の合理的なルーティーンから外れたところで発生し育まれてきたものではないでしょうか?私には今の世の中が急速にその文化が育まれる空間である日常と合理性の余白を潰しにかかっているように思えて仕方がないのです。
今まで具体的な描写については避けてきましたが、この『ビヨンド』という映画では偏執的と言えるほどに眼球が潰される、あるいは視覚が奪われるというショックシーンが繰り返し登場します(フルチ監督作品では度々観られる描写ではありますが)。私はそこにどうしてもルイス・ブニュエルとサルバドール・ダリの手によって生み出されたシュールレアリズム映画の奇作『アンダルシアの犬』を想起してしまいます。日常や理性を超えた無意識、超現実の世界に芸術で挑もうとしたのがシュールレアリズムです。『アンダルシアの犬』は剃刀で女性の眼を切り裂くという今だにショッキングで有名な映像から幕をあける映像世界であり、それは“視覚”によって捉えられた世界を超越する(ビヨンド)という宣言でもあります。
私はドキュメンタリー映画が大好きです。実在の被写体をカメラに捉え再構築することによって極めて現実的な問題を提起するのにもってこいなのがドキュメンタリーというジャンルだとするならば、その対極として存在しないモノや世界を映像内で構築するホラー映画は極めて抽象的な問いかけを観客に投げかけているのだと私は思います。そしてその抽象的な問いかけは決して合理性を突き進めた世界から発せられることはないでしょう。
だから私は『ビヨンド』の支離滅裂さに、不健全な残酷描写に、美しさすら感じる不気味なあの世の光景に、ホラー映画そのものに心惹かれているのだと思います。ホラー映画の放つぽっかりと空いた奈落めいた余白の空間から私は強烈な悪夢と共に哲学や見たこともない表現と文化の息吹を感じ取ってしまうのです。
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