おもてなしを受けるには素養が必要だった

私は練習やお点前ができるようになるためではなく、楽しみとしてお茶のお教室に参加しているのですが、本当にお点前はしたことがないけれど(笑)気づいたこと、学ぶことがたくさんあります。

ずっと茶道のお点前は裏方作業なのになぜお客さんの前で形式に従ってするのだろう?と思っていました。

でも気づいたことは「全く逆だ!!」ということです。

客の前で行われているお点前はごくごく一部のおもてなしの最終段階でしかないこと。

それは目の前で点てて見せることで、何も入れていない安全なものであるという証。

点て立ての熱くておいしい状態で提供するため。

見せている部分は必要だからという理由で、本当の裏側はもっともっと奥が深かったのです。

そこにはまず茶道は「総合芸術」であるということがあります。

一回のお茶席の中には、お茶碗や茶筅、茶杓、水差し、炭、掛け軸、茶花、お菓子・・・・様々なお道具が必要で、その一つ一つに銘があり特別な意味や位があるのです。

その取り合わせ方も、季節感などだけでは全く足りなくて、お道具同士の位のようなものが釣り合っていること、そのお茶席の意味に合うことなど決まり事があって・・・・複雑だけどおもしろい。

決まり事というだけではなくて、亭主のセンスも光る、そんな感じです。

お茶席という空間そのものが、その時その場に居合わせた客人たちへのおもてなしとして選ばれ作られている、そう知ったら難しくてもお話を聞いているだけで「へぇ~!!」がいっぱいです。

そして、一番気づいて大切にしようと思っていること。

それは
・もてなされる側の客も知識がないと感謝できないこと。
・難しそうに見えるお作法も共通理解、言わば言語みたいなもの。
・自分がおもてなしされていると気付けるだけの知識がないと、おもてなしは透明人間みたいにあるのにないもの。

だから
「おもてなしとはする側とされる側の相互の関係で成り立っている対等な行為であるということ」

日本って素敵だなぁと、何もできないくせに思ってしまうのです。

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