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留学して身についたものBEST3:第1位 レジリエンス(または、生命力 笑)

京都大学に赴任していた頃、これからアメリカの大学院に留学しようとする学生さんに質問を受けた。

「先生がアメリカ留学して、一番伸びた能力は何ですか?」

僕はしばらく考えて、

「生命力!」(笑)

と答えた。以来、同じ質問にはその答えをしている。

生命力がつく、とは、簡単には潰れない、あきらめない、しぶとい、ということだ。最近になって、これはビジネスでよく言われている「レジリエンス」と同じだということに気づいた。

レジリエンスとは、分野によって多少定義は違うものの、基本的に「折れない強さ」「強靭さ」「しなやかな強さ」といった「凹むけど、もとに戻る力」を意味する。

留学すると、思い通りにいかないことだらけだ。こんなはずじゃなかった、と毎日思う。勉強だけではない。日々の生活、買い物、食事、家探し、水道や電気の契約、税金、生活費に至るまで、慣れないことばかりで、そのすべてを自分で決定しなくてはならない。

決定する際に、どんな情報が必要で、どこに行って何をすればいいのか、異国ではいちいち確認しなくてはならない。つまり生活するだけで非常に疲れる。

そして、来るはずの郵便物が届かなかったり、来るはずの修理屋さんが来なかったり、いろいろな手続きにいっても数時間待たされたり、ということがしょっちゅうだ。日本での常識が通じない。

ただでさえ勉強が大変なのに、生活すべてがしんどくなり、心が折れそうになるときに、どうやってそれを乗り切り、回復するか、が大切になる。その力がレジリエンスであり生命力だと僕は思っている。

英語力の稿で書いたが、留学してからの1年は、全く英語ができずに地獄のような日々だった。毎日もうやめたい、日本に帰りたい、誰も知らない土地で当時日本に残してきた彼女とひっそり暮らしたい、などと思っていた。

そこを乗り切れたのは、友人や先生のおかげだったと思っている。もともと縁もゆかりもなかったロサンゼルスに、1人で留学したため、友人は当初1人もいなかった。不案内な土地だし、車社会のロサンゼルスでいきなり運転もできなかったので、大学の寮に住んで、1年間そこで暮らした。

寮では相部屋だった。僕の相棒は北カリフォルニアから来たKyleという白人で、生理学のマスターコースに通っていた。彼はとてもまじめだが気のいい奴で、僕を時々ドジャースやレイカーズの試合に誘ってくれ、よく一緒にビールも飲んだ。当時は、会場が満員じゃなければ、試合開始後、学生は10ドル前後で会場に入ることができたため、週末の夕方に突然「一緒にゲーム見に行こう」と誘われて、言われるがままに観に行った思い出がある。

その頃ちょうどドジャースには野茂英雄が来たばかりで、旋風を巻き起こしていた。異国でひとり頑張っている野茂をみて、僕も大いに勇気づけられたし、誘ってくれたKyleにも感謝した。またレイカーズにも当時新入団したばかりのコービー・ブライヤントがいて、彼の初々しいプレイを何回も見た。いまでこそマイケル・ジョーダンに次ぐNBAのレジェンドだが、当時はまだ生意気な若造だった彼は、まだ1人よがりなプレイが目立っていたが、バスケに真剣に取り組み、もがいている様はつぶさに感じられた。その姿にも大いに勇気づけられた。

また同じ大学院の友人たちも優しかった。彼らは週末にみんなで草バスケをやっていて、僕も幾度となく誘ってもらった。南カリフォルニアの青空のもとでバスケをやって、飲み物を飲むだけで、気分は結構よくなった。英語があまり話せなかった僕は、彼らのダイナミックな会話にはあまり入っていけなかったが、彼らは何かあればいつも誘ってくれた。とても感謝している。

そしてもう一人、友人になったのが、同じ寮にいた日本人の学生だ。彼は僕とほぼ同じ歳で、UCLA のMBAに留学していた。MBAには結構な数の日本人がいたが、寮に住んでいるのは彼くらいだった。話すと、彼は勤めていたパナソニック(当時は松下電器)を辞めて、自費でMBAに留学していた。節約のため寮に住むことにしたのだ。僕はびっくりした。なぜなら彼以外の日本人MBA学生は、ほぼ全員会社からお金を出してもらって来ていて、近くのコンドミニアムに住んでいい暮らしをしていたからだ。

彼はパナソニックから留学費用を出してもらうこともできたが、それをせずに辞めたと話していた。なぜならMBAを取ったのち、自分は多分パナソニックには戻らず、コンサルティングファームに就職を希望するからだと。お世話になった会社に学費を出してもらって、学位をとったらすぐやめるという不義理はしたくない、リスクは自分で負う、と言って彼は自費で来たのだ。

僕は彼のその態度に感服し、すぐに意気投合した。毎日のように彼と議論し、1年後に寮を出て彼とアパートをシェアして1年暮らした。MBA を取った彼は希望通りコンサルに就職することができた。しかもマッキンゼーだった。

彼は2年で日本に戻ったが、その後も付き合いは続き、もう25年来の友人となっている。それが現在僕が一緒に運営しているDX人事コンサルティング会社、Hitolab.JPのCEO、永田稔だ。

彼と留学の大変さを共有したことは、非常に心強かった。しんどい思いをしているのが自分だけではない、とわかるだけで、相当ストレスは減る。最終的にはマッキンゼーに就職できたものの、留学当初は永田もやはり英語では相当苦労していた。グループワークも多く、議論中心のMBAでは彼もさぞ大変だったと思う。

同じ日本人と同じ大変さを共有できたことが、「心が折れない」力を身に着けることのできた大きな要因だったと思う。

そして、最後に指導教員の先生のおかげで、踏ん張ることができた。同期生たちやKyleや永田は、キツい生活の中での友人として大切だったが、指導教員の先生は僕の大学院でのパフォーマンスを見守ってくれていた。僕には2人の指導教員がいて、2人ともとてもいい先生だった。時々昼食に誘ってくれ、他の先生の授業で英語力のなさを指摘されて落ち込んだ時も、レポートがダメでへこたれそうな時も、いつでも僕を励ましてくれた。サンクスギビングデイには自宅に招待してくれて、七面鳥のローストをごちそうしてくれたり、他の大学院生を紹介してくれたりした。

結局プログラムが終わるまでの5年間、彼らは本当に僕のためによくしてくれ、奨学金の推薦書を書いてくれたり、リサーチアシスタントやティーチングアシスタントとして僕を雇ってくれたりと様々なサポートをしていただいた。特に本当に苦しかった最初の1年間、彼らからの励ましがどれだけ力になったかわからない。

2人の先生のうち、1人はもう亡くなってしまい、1人はしばらく前にリタイヤしていて、もう同じ分野にはいないが、いまでも2人には深く感謝している。

結局、生命力とは言ってみたものの、僕が生き残れたのは、自分ひとりの力によるものではない。上記の人々のおかげだ。つまり、個人のレジリエンスは、その個人の社会的関係からくるのだと僕は思っている。

誰も知り合いがいない、誰とも友人ではない、社会性ゼロからのスタートで、本当にきつい時に築いた関係は、僕にとっては特別なものだった。生涯の財産になるし、その後の生活でつまづきそうになっても、彼らのことを思い出すと、また頑張ることができる。それくらい貴重なものだ。

もちろん、その後留学生活の中では、これらの他にも新たな友人はたくさんできた。彼らと話し、大変なことや悩みを共有し、理解しあうことが、どれだけ自分の力になるか、アメリカで独りで暮らして初めて分かったと思う。

興味深い研究がある。

ベトナム戦争のころ、戦地ではほとんどの兵士がそのストレスで、マリファナやコカインなどのドラッグにはまっていたが、戦争後アメリカに帰国した兵士のうち、そのまま薬物を続けた人は2割程度に過ぎなかったそうだ。
その2割の人と、帰国後薬物に頼らなくなった8割の人では何が違っていたのか?

研究者が調べたところ、薬物を止めた元兵士は、みな家族や友人、他のコミュニティなど、帰国後の人間関係が充実していたのだそうだ。逆に言えば、社会関係の希薄な人は、ドラッグから抜け出すことができず、潰れていった。

このことからも、レジリエンスを身に着けるには、自分のストレスや考えを共有できる「誰か」を探し、一緒に「憂さ晴らし」できることが大切なのだと思う。人はたぶん一人きりではプレッシャーやストレスに打ち勝てない。「誰か」とつながって初めて力を得るのだと思う。

この経験はその後も僕にとって糧になっている。今でも学生指導のとき、特に留学生の指導のときには、彼らの感じているプレッシャーやストレスを理解できるし、かつて僕が指導教官にしてもらったことや、かけてもらった言葉と同じものを彼らに与えるようにしている。

もし彼らが、それをまた糧にし、次に繋げていくことができるならば、レジリエンスは継承可能な力だということになる。

親子留学で、子供を留学させる親は、日本にいるとき以上に精神的なサポートを子供にしてやるべきだ。そして、海外で暮らす大変さから子供を守るのではなく、その大変さを共有して一緒に乗り越えるようにするべきだ。それがかけがえのない関係を育むからだ。

そして親自身もレジリエンスを身につけなくていけない。だからこそ、現地の父兄とのつながりが重要になるのだ。このことは以前の稿に詳しく書いている。

そして、このレジリエンスはこれからの時代、最も重要な能力になると僕は思っている。最近のベストセラー、安宅和人の『シン・二ホン』にも書かれているが、この不確実な時代に生き残れるのは「手詰まりしない」組織だということだ。

思った通りに行かなくても、計画がとん挫しても、突然世界で感染症が流行しても、次に打つ手を持っている組織は強い、ということがマッキンゼーの解析で分かっている。

では、どうれば、手詰まりせずにすむのか。もちろん、考えられる限りの事態を想定して戦略を練ることが第1だが、それとともに、頼れる他の組織や人々、相談できる他の組織や人々、一緒に危機を乗り越えるためのビジョンと戦略を共有できる組織や人々とのつながりを、普段からつくることが大切だと僕は思っている。

それは国内に限ったことではない。意気投合できる他の組織は、日本だけじゃなくて世界を探せばずっと見つかりやすいはずだ。そのためには、国内のみならず、世界に目を向けて積極的に関係をつくらなくてはいけないと思っている。

だが残念ながら、日本人、そして日本の組織は総じてそういうことが苦手だ。その理由に関しては僕の専門分野でもあるので、また稿を改めて述べてみたい。

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