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『最も個人的なことは最もクリエイティブなこと』

映画『パラサイト』すごいですね、もう本当に歴史的快挙、映画史の大転換期がきたなと思いました。ということで、前半はパラサイトのアカデミー賞受賞がどのくらいすごいのか、そして後半は、パラサイトの監督、ポンジュノさんがアカデミー賞のインタビューで語った一言に注目して自分の意見を整理しました。「個人的なこと」はこれからの時代のキーワードかもしれません。

パラサイトの歴史的快挙

先日KBCシネマにみにいきました。アカデミー賞受賞前にも関わらず、超満員で補助席が出ていたくらいの人気でした。鑑賞後に様々なレビューを見て、え、マジで?!すご、マジ脚本やばい、そんなんよう考えられるな、と驚嘆の連続でした。内容の評価はたくさんあるので、レビューに関しては他に任せます!

本当に今回のアカデミー賞受賞は異例中の異例ですね、調べれば調べるほどそれが浮き彫りになってきました。

前回現代美術の評価方法について触れましたが、映画界も調べていくと、やはり同じようなシステムになっているんですね。

過去の91の受賞作品は全て英語で、撮影地もメインはアメリカ国内で制作されたもの。2016年にホワイトオスカー問題というのがあって、要はアカデミー賞は白人有利の賞レースなようです。

映画界には、カンヌ国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭、ベルリン国際映画祭という世界三大映画祭があります。アカデミー賞はジャーナリストや評論家が評価に絡んでいないので、公平性で言えば、アカデミー賞の方がより利権を反映しやすい構造になっているところが、世界三大映画祭との違いとのこと。

パラサイトは、2019年5月のカンヌ国際映画祭で、韓国映画として初めての最高賞であるパルムドールを受賞。韓国動員1,000万人突破(韓国の人口が5000万人と考えると、5人に1人が映画館に足を運んだ計算になります)。フランス動員160万人突破ほか、各国で動員記録を塗り替える爆発的な盛り上がりをみせ、商業的にも快進撃が止まらない状態でアカデミー賞を迎えました。そして見事オスカーを受賞。圧倒的な実力での受賞ですよ。


自分の問題と向き合うことが社会と向き合うこと。

はい、ではここから本題に入りたいと思います。なぜここまで歴史的快挙をなせる作品を作ることができたのかということに迫っていきたと思います。

「本当にありがとうございます。私が小さい時に英語の勉強をしているとき、いつも片隅に置いていた言葉があります。『最も個人的なことは最もクリエイティブなこと』それは偉大なるマーティン・スコセッシの言葉です。
-ポン・ジュノ-

これはアカデミー賞受賞の際のポンジュノ監督の一言です。このインタビューを見た時に、あれ?なんかとても大切なことを言っているなと直感的に思いました。ポンジュノ監督が普段の生活の中で感じる違和感、記憶、経験を映像(五感で見てるような感覚でしたが)で表現し、追体験することで、彼の問題を世界中の人が共有しました。一人の人の中にある小さなさざ波が、やがて大きなうねりとなり、社会全体を動かしていく様をまじまじと見た気がします。

さらにポンジュノ監督は、李明博(イ・ミョンバク)・朴槿恵(パク・クネ)の保守時代の時代に「文化芸術界のブラックリスト」として記載され政府から厳しく批判されていました。確かに保守政党にとって左派的な内容は批判の対象になってもおかしくないですよね。2017年に進歩派の文在寅(ムン・ジェイン)が政権を握ることで、批判や規制も弱まり、この映画が世に出たみたいです。命がけですよ。すごい。

自分の問題の先に社会が抱える問題があり、社会の問題の先に自分の抱える問題がある、どちらも地続きに繋がっていると改めて思いました。

noteに晒した自分の内側

アカデミー賞の後にこんな話をするのは恥ずかしいんですが、個人的な経験に照らして考えてみたいと思います。noteをこれまでいくつか書いてきましたが、その中でリアクションをたくさんいただいたのは、『正直に言うと、自分の進む道が正しいのかどうか全くわからない。』という個人的な心情を吐露した記事でした。自分の中にある不安や悩み、葛藤を飾らずに書きました。逆に客観的な情報を多く書いている記事はリアクションが少ない傾向にあるようです。

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この個人的な悩みだったり、経験だったり、記憶だったり、これをもっと大切にしようと最近思っているのです。マーケティングという横文字の学問をを少しかじってしまったばっかりに、ついターゲットとか、ペルソナとか、「20代〜30代、女性、主婦、料理好き」と、人を属性で切り分けてしまいがちで、でもそれってなんだかとても冷たいなと。

確かに要素分解して細かく設定することによって情報の粒度をあげて伝えることは必要です。例えば、文字の大きさ一つにとっても、高齢の人向けサイトと若い人向のサイトであれば文字の大きさで可読性も変わってくるでしょう。でもそれはデザインの最終工程であって、エッセンスではない。もっとなんというだろうか、そももそも何かを作る上で、人と向き合う、つまりは自分ともっと向き合うことが必要なんだと感じています。

自分は何を感じているのか、どう思っているのか、彼はどう思うのか、お母さんはどう思うのかなど、もっと身近な距離感で考え、悩み、葛藤する、そういった混沌のプロセスが経て作るときっともっと暖かいものになっていると思います。めちゃくちゃ曖昧ですね。(笑) もちろん数字的根拠も照らし合わしながら。orではなくandで。

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Don't think, feel.

「心の声に耳をすませ」とか、「考えるな、感じろ」とか、なんだか苦手です。なんでかと言うと、言葉は不要!という前提を暴力的に突きつけられている感じがしまして。考えすぎかな。。

言葉にすることを大切にしたいし、好きなんですよね。全部が全部じゃないですが、時には、言葉を超えてしまうこともありますので。

考えれば考えるほど、心の声に耳をすませばすますほど、だんだんとわからなくなってくることもありませんか?

対話って大事なぁと最近つくづく思います。コウモリがエコーによって自分の位置を確認するように、自分の考えを外に出して、対話の中で、自分の奥にあるカタチを少しづつ削り出していく。誰かとの会話の中に自分を発見する。それも耳を澄ますだなって思っています。音は本来外から聞こえてくるものなので。人との会話ってすごい貴重。

そして誤解を恐れずに言うと、私は変な人が好きです。普段生活していると自分を縛っている枠組みや常識について疑うことは難しいです。でも変な人はその枠組み(常識や偏見)を揺さぶってくれます。揺さぶられると慣れ親しんだ自分の枠組みを改めて見つめ直すきっかとなり、そこからまた新たな問いの発見や自分理解、他者理解に繋がります。

本当はもっと言いたいことたくさんあって、書きたかったんですが、時間をおきながら書いていると、どんどん内容が変わっていって、気づいたら、いつも違う場所に辿り着いています。なんか人生みたい。

宮崎駿監督が引退会見に話したことも、なんだか似ているなと思って、紹介させていただきます。

アニメーションというのは、世界の秘密をのぞき見ること。-宮崎 駿-

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なんか、気づいたことや思ったことがあればぜひコメントくださいね。

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