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アートを難しくしたのは誰だ!

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ミモザの季節です。屋上のミモザが見事に咲いていて、ビビットな黄色と澄んだ空のコントラストにグッと来るものがあります、春はもうすぐそこ。

前回、感性って一体なんだ?いう記事を書きましたが、今回は現代アートがなぜ難しくなったのか、そしてアートの価値は誰が評価するのかというテーマについて私なりに説明したいと思います。

現代アートの最高傑作・・・

まずはこの写真をご覧ください。

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男子便器です。この便器、20世紀・・いや、現代アートの最高傑作とされているんです。現代アートの様々な書籍を読み漁っていますが、必ずと言っていいほど、この便器が登場します。

結論から言います、便器です、犯人は。

『便器革命』

『泉』(いずみ、Fontaine)は、マルセル・デュシャンが1917年に制作した芸術作品。デュシャンは本作を1917年に開催された「ニューヨーク・アンデパンダン」展に出品しようとした。アンデパンダン展は、出品料を支払えば無審査で誰でも出品できる規則であったにもかかわらず、協会はこの作品の出品を許可しなかった。「泉」は、アバンギャルドの研究家からは20世紀を代表する作品とみなされている。この作品は「美術の概念や制度自体を問い直す作品として、現代アートの出発点」となった。
-wikipediaより-

それまでアートというのは、美術家が自らの手で生み出した人を魅了する(眼や感性で楽しむ)絵画や彫刻というのが通例でした。にも関わらず、人を魅了するわけでもない、ただの既製品の便器に自分のサインを入れた作品を提案しました。

デュシャンは、自ら「網膜的アート(retinal art)」と呼ぶところのもの、すなわち、眼を喜ばすアートを深く嫌悪していた。
「アートとは何か-芸術の存在論と目的-」アーサー.C.ダントー 著 佐藤一進 -人文書院-

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"王の画家にして画家の王” ルーベンス「パエトンの墜落」
圧倒的な網膜的アート

比較のためにルーベンスを引用しましたが、デュシャンの便器とルーベンスの絵画を観て、どちらが美しいかと問われたら、大概の人がルーベンスを指すでしょう。私も断然ルーベンスです。事実、彼の画力には声も出なくなるくらい圧倒されたのを今でも鮮明に覚えています。

ただデュシャンの提案は感性レベルのアートを終わりにしようという提案でした。作品を通じて「果たしてアートってなんなの?」という問いを投げかけ、感性ではなく知性に訴えかけたのです。お金を払えば誰でも参加できる展覧会に作品を出品するあたりも巧妙ですね。これがデュシャンが仕掛けた概念の革命です。

たとえば、マルセル・デュシャンの『泉』(1917年)は、美的=感性的にはつまらない対象で、知的なレベルにしかその存在価値はありません。
「美学への招待」佐々木健一 著 -中公新書-

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現代アートの価値って誰が認めるの?

デュシャンが提案した新しい概念にアート界はくらってしまい、大論争が巻き起こりました。アート界はこの提案を無視することができなかったのです。

現代のアートの評価、つまり世の中に提案された作品が、アートかアートではないか決めるのは、アートワールドに委ねられています。アートワールドという言葉は、美術評論家であるアーサー・C・ダントーが提唱した概念で、美術に携わる専門家の集合体を指しています。具体的には、芸術家、美術評論家、学者、美術ジャーナリスト、美術館の学芸員です。現在では、イギリスの現代美術雑誌『ArtReview』が毎年発表する美術界で影響力のある人ランキング『power100』に名を連ねている人たちがアートワールドの住人です。

この人たちがアートと言ったらアートなのです。アートの世界も民主主義というOSがちゃんと機能しているのです。みんなが認めるアート界の重鎮がアートだと言ったら、そこに価値が生まれます。

話は少しずれますが、現代アートのトップを走る方達は芸術家であり、哲学者であり、一流のマーケターだなぁと感じています。好き嫌いは分かれると思いますが、村上隆さんもその一人です。アート界の潮流を読み解くマーケティング能力と欧米の文脈に日本の文化の系譜を絶妙なバランスでのせるクリティカルなプレゼンテーション能力、もうむしろ起業家ですね。歴史を見るとウォーホルもそうだし、日本で言えば、狩野永徳、古典で言えば先ほど挙げたルーベンスも然り、セレブ魅了するプレゼン、要は見せ方が非常に上手なんですね。芸術起業論は現代アートの流れを理解するのにとてもわかりやすいので、おすすめです。

世界が認めるすごいアートって何がすごいの?

もう少し踏み込みましょう。じゃ、次にアートワールドの人たちはどうやって作品の良し悪しを決めているの?という問いです。

長谷川裕子さん方がいらっしゃいまして、 この方は2017年にpower100に選出された世界のTOPキュレーターです。ちなみに2019年は草間彌生が8位で日本人ただ一人、去年オークション会場で作品を切り刻んだバンクシーは14位、2008年以来ランク外だったのに、あの一発で返り咲きました。

彼女曰く、

いい作品はどう判断するのかと、よく聞かれることがある。(中略) 作品が視覚の中に「到来する」「侵入してくる」という以外に表現のしようがない。(中略)こちらの視覚的記憶の蓄積とそのたびに積み重ねてきた解釈や判断の集積により、経験のあるキュレーターの眼はたえず既視感にさらされている。その既視感ブロックを破って侵入してくる作品は、そこだけモノクロから総天然色になったときにような新鮮さがある。
「キュレーション-知と感性を揺さぶる力- 長谷川裕子 -集英社新書-

とてもわかりやすいです。無視できない何かあるんですね。

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最近の現代アートについて

バンクシーのパフォーマンスアートはアートワールドに限らず、世界中が注目しましたが、最近で言えば1600万円で落札されたマウリツィオカテランのバナナはとても哲学的な問いでした。全く感動する作品ではないです。これもちょっとした騒動があり、面白かったです。

壁に貼られたバナナをみて、「わお!すごい!なんて美しいんだ!!」なんて思う人なんてほぼいないですよね。でもたくさんの作品を経験したアートワールドの人たちにとっては、垂涎の的なのかもしれません。

現代アートは難しい!という声をよく聞きますが、現代アートは難しいんですよね。ただその謎解きを理解する過程に面白みがあるのではないかと感じています。

とはいうものの圧倒的な人気なのは、感性を刺激するアートなのは間違いありません。2019年の日本の展示会入場者数TOP3はフェルメール展、ムンク展、塩田千春展でした。視覚で楽しむ展示会がやっぱり大多数の人の心を動かすんですね。個人的にはクリステャンボルタンスキー展が印象的でした。

全然話変わるんですが、noteを書き始めてから1ヶ月経ちました。アウトプットを意識するとインプットと思考の質が格段にあがることを実感しています。と同時に表現する難しさを痛感しています。なかなか自分の体温がのった言い回しにたどり着かない、言いたいことがたくさんあるのに、書いている途中にぽろぽろとこぼれ落ちていく、歯がゆい思いを毎日しています。人気のnoteを見ていると独特の切り口で世界を切り取っていて、日常使いの言葉を使っているのにも関わらず手垢のついてない新鮮な文章で綴られていて、読んでいて気持ちいい。もっと面白いものが書けるようになりたいものです。

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