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感性って一体なんだ?

退屈だった美術館

私が初めて海外旅行をしたのは大学生の時でした。行き先はニューヨーク。初めての海外旅行、まずは主要な場所を回ろうと、タイムズスクエア、ミュージカル鑑賞、NBA観戦、メトロポリタン美術館に行ったのを微かに覚えています。

当時の私はアートに無関心。有名な絵を目の前にしても、”あー、この絵、教科書で見たことあるわぁ・・・・以上ッ!! ” という有様でした。

とはいえ、なんとなくアートは気になる存在でした。

20代中盤になり、美術館に少しづつ通うようになってもよくわかっていなかったですし、最初は退屈でした。キャプション(作品の説明文)を読んでから絵を見ても、正直「ふーん。」という感じ。学芸員さんが頭を悩ませて作ってくれているのは、重々承知しておりますが、当時の自分はわからなかった。

わからなくても通い続けて、美術館に行く「自分」なんかいいやん。と密かに浸っていました。それで良かったんだと思っています。それから半年くらいかな?少しづつ疑問やもっと知りたいという欲求が湧いてきました。

"まずは全体像を掴もう!”と思い、わかりやすい西洋美術史入門名画の見方などを読み始めました。美術史や芸術家、その背景にある歴史、鑑賞の切り口など、知れば知るほど、美術館に行くのが楽しくなっていきました。

と同時に日常の中にきれいだなぁと思うことが増えたり、新しい世界を知覚するようになりました。

感性ってなんだ?

この感覚や知覚変化は一体何なんだと常日頃感じていたので、改めて考えてみました。

まずは、感性という言葉を調べてみると、これがかなり複雑でややこしい。日常使いしている言葉なのに、調べれば調べるほど、どんどんわからなくなっていきました。(笑)

脳科学、哲学、美学の分野(そもそも美学っていう分野があるのを知ったのもつい最近)に迷い込み、難しい言葉を難しい言葉で説明してきて、またその言葉を知るために、言葉を調べていくという無限ループ。親しいと思っていた言葉がどんどん遠く離れていく。

一般的には、

1. 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「感性が鋭い」「豊かな感性」
2. 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。

ここ一週間、色々と調べて遠回りしましたが、現時点ではこれがベストかな。

感性は、五感から入ってきた情報を受け止め、味わう力。

私の経験で言うと、こんな感じです。

自転車で街中を走っていると一輪の花が目に飛び込んでくる。自転車を止め、花に近づき、色や形、香り、風による揺らぎをぼんやりと眺め、愛でる。そして自生している環境や背景の景色との調和を楽しみながら、最後にそこで咲いていることに感謝する。

外部刺激を受け止めて、味わい尽くす。ほんの束の間の幸せに有難いと感じます。

先日AmazonPrimeでみた映画なんですが。茶道の世界をわかりやすく描いた映画「日日是好日」茶道の世界は体系的に感性を育む仕掛けがたくさんあります。

印象に残っているこのシーンがこちらです。季節は残暑残る晩夏、黒木華演じる主人公はこの「瀧」書かれた掛け軸をみて何を感じたと思いますか?

瀧という字の一振りがまるで滝のように下に伸びています。

ここから彼女の意識の中に滝の映像が思い浮かび、清涼な風が体の中を吹き抜けました。これは茶道による気づきを端的に表現しているシーンでしたが、きっと茶道をずっと続けている方の中にある感性としてはこういった体験が含まれているのかと思います。見立て・メタファーの感性ですね。季節の花、掛け軸、茶道具、着物で客人を楽しませる。その意味性を推論し、味合う総合芸術、それが茶道の世界。最初からその全てを楽しむことはできず、きっと段階的なものなんだと思います。

美術鑑賞にもレベルがある?

マサチューセッツ工科大学の認知行動学者アビゲイルハウゼン氏は研究の中で、美術鑑賞における感性を5段階に分けています。そして美術館に来る85%は2段階目までに止まっており、5段階目まで達する人は全体の0.1%だそうです。

アビゲイル・ハウゼンの美的発達段階

第1段階:物語の段階(幼稚園-小学生低学年)
アートの見方がわからない、どうしていいかわからない状態。鑑賞時間は短い。作品の感想は一言、二言くらい。女性がいる、泣いている、暗い絵など部分的な情報だけ受け入れる。好き・嫌い・怖いなどの主観的に絵画を評価する。作者の存在や意図などを意識していない。
第2段階:構築の段階(小学生高学年から一般人)
アートに少し興味がでてくる、作品をなんとか理解したいと思う。その方法やテクニックを探し始める。また作品に対しての質問を考えるようになる。作品の感想や意見、その根拠を少しづつ表現できるようになる。見える情報から作品の状況を部分的に推論する。部分と全体の関係性を考える。作者の存在を意識し始める。絵についてはあまり知らないという意識のもと、作品と対峙する。
第3段階:分類の段階(アートラバー・芸術の専門教育を受けた人)
作品の良し悪しを評価しない。一つ一つの作品を客観的に見ることができる。美術に対する一般的な知識があり、かつ鑑賞の方法論についても理解している。主観的な意見は避ける傾向があり、客観的情報を重視する。例えば美術史や制作技術、専門家の批評など作品を取り巻いている情報に興味があり、価値を置いている。正しい判断をしたいと願っている。
第4段階:解釈の段階(美術専門家・批評家レベル)
美術全般に対する専門的な知識がある。作品を自分の力で解釈したり、翻訳できるようになる。主観的な感性と客観的な情報を結びつけて、能動的に作品を味合うことができる。アートを大切にして、アートが自分の人生に大きな影響を与えているということを自覚している。
第5段階:再創造の段階(哲学者レベル)
美術に対して膨大な情報を持っているのはもちろん、それ以外の豊富な知識と深い知恵、そして様々な人生経験がある。自分が知らないことについて理解している。喜びを持って、新たな物事を考え、理解していくことができる。作品から新たな世界を見いだし、その価値を世の中に提供することができる。アートがまるで空気のようになくてはならない存在になっている。アートを尊敬し、まるで自分の友人や師のように扱う。全ての情報・人に心を開いている。

知識や経験を経るごとに鑑賞のレベルも次第に深くなっていくことがわかります。段階を経るごとに未知の事象に対して喜びを見出し、さらなる成長につながるのです。

感性は、本を読んだり講義を聴いたりして育めるような抽象的能力ではない、それは実際に応用することでのみ発達し、成熟する実用的な技能なのだ。-ユヴァル・ノア・ハラリ、(柴田 裕之 訳)『ホモデウス 下 テクノロジーとサピエンスの未来』、 河出書房新社、p.53-

人間の運動能力や認知能力は年齢を経るごとに低下していきますが、感性は経験すればするほど育まれていく能力なのです。

20代の前半までの私と比べると、今知覚している世界は違っています。それは感性の変化によるものです。

人を含め、生物は客観的な世界ではなく、主観的な世界に住んでいます、それを環世界といいます。脳が知覚する世界が全て現実です。

アートを皮切りに歴史、哲学、植物、美術館巡りや旅行、自然体験を経験すればするほど、世界が拡張し、現実が多層的・多面的にに広がっていく感覚があります。

果たして、感覚拡張の先には、「何もないけど全てある世界」が待っているのでしょうか。もしかしたらその境地は言葉にできない世界なのかもしれません。


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