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20年前の旅写真1 ミャンマー

2000年代もあっという間に20年代に突入し、ふと20年前の今頃は何をやっていたんだろう?と思い返すと1月はちょうどミャンマー3週間の旅をしていました。

もう少し正確にいうと前年の99年10月から00年4月まで7ヵ月の一人旅の途中に訪れています。

この旅でどんな国を訪れたか順番に書くと、
ニュージーランド→シンガポール→マレーシア→タイ→ミャンマー→タイ→カンボジア→ベトナム→ラオス→タイ→マレーシア→シンガポール→日本帰国。

それまでも2週間から1ヶ月程度の旅は繰り返していたけれど、これが今のところ人生で一番長い旅となっています。最近の旅行はほとんど国内ですが、この頃は僕の中で一番海外旅行熱が高かった時期ですね。

今日はモノクロでなくカラー写真。タイのバンコクで1000バーツ(日本円で約3000円)で買ったフィルムカメラで、コダックかフジフィルムか現地でフィルムを買い足しながら撮っていました。ネガを探したのですが見つからず、数年前に業者に頼みプリントをデジタル化してもらったものになります。

ミャンマーがどんな国だったかというより、旅でこんな写真を撮っていたというスタンスで載せていきます。


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首都ヤンゴンにあるシュエダゴンパゴダ。国によって様々な形、装飾の仏塔がありますね。


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上の2枚はどこだか分からないのですがおそらくシュエダゴンパゴダだと思います。ミャンマーでは人口の約9割が仏教徒だそうです。


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マンダレーのパゴダのクドードォパゴダかサンダムニパゴダのどちらかだと思うのですが忘れてしまいました。ただ青空の下で白い仏塔が無数に立ち並ぶ様子に圧倒されたことを覚えています。


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何処の街だったのかは覚えていないのですが、紙や仏像造りの様子を見学しました。


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インレー湖の伝統漁法。インレー湖は標高約900mの高所にある風光明媚な湖で旅行者にも人気がありました。


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ボートでインレー湖巡りを楽しみました。


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インレー湖の水上マーケットの様子


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インレー湖で出会った少数民族の女性。いいポーズを決めてくれました。


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インレー湖のガーペー寺院。「ジャンピングキャット」として観光客に人気でした。


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インレー湖岸のパゴダと市場。ミャンマーでは白い仏塔をよく見かけたように思います。


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マンダレーからシッポ―という街へ。写真は鉄道だけどバスを利用しました。大木に囲まれた駅の様子が印象に残っています。


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シッポ―の街で出会った子供たち。今は立派な大人へ成長していることでしょう。個人的にとても気に入っている1枚です。


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マンダレーからイラワジ川で運行されているフェリーに乗り世界遺産で有名なバガンへ向かいました。途中の船着き場の様子です。


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これもフェリーからの船着き場の様子です。到着すると大勢の人が集まってきます。


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フェリーの中で写真を撮らせてもらったミャンマーの女性と子ども


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バガンの食堂で。一人旅といっても世界中の旅行者や現地の人とご飯を食べに行ったりするのはよくあること。旅情報を交換したり楽しい時間です。


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バガンの夕陽。この旅の中でも特に印象に残るシーンでした。


この頃は写真には全く興味が無く、フィルムだったこともあるけれどびっくりするくらい撮影枚数が少なかったですね。記念撮影程度といいましょうか写真より旅そのものに重きを置いていた様に思います。

絞りやシャッタースピード、ISO感度など当時はカメラのことなど何も知らなくて、押せば写るんだろうくらいにしか思っていませんでした。

今のように写真を撮ったら気軽に投稿できるようなサービスもなかったですし、もちろんスマホもないですから日常的に写真を撮るということはまずなかったですね。

でも少ない枚数ながら写真を振り返ってみると、下手な写真だけどそんなことどうでもいいくらい楽しく撮っていたんじゃないかなと思えてきます。なんの知識も無いぶん思うがままに自由に撮っていたのかなと。今でも旅が好きだしある意味「原点」を見たように感じました。

20年なんてほんとにあっという間でついこの前のことのように思い出されます。そう考えるとこれから20年後もすぐにやってくるのでしょう。その頃どんな世の中になっているのか、カメラや写真がどうなっていくのか分かりませんが旅と写真は続けていたいと思いましたよ。

※他の国の写真も何回かに分けて投稿予定です。

いただいたサポートは写真撮影に関わる費用として大切に使わせて頂きます。