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目の前にあること(インド・シュリナガル2/7)

目の前に置かれたカレーを右手で掴み食べ始めると、皆が物珍しそうに僕のことを見ている。インドに到着して1週間、既にインド式にも慣れ始めてきたが、どこか恥ずかしい。
思い切って“グッド!”と親指を立ててみる。すると、自分たちの食事が認められたことが嬉しいみたいで、緊張が解けたのか、様々な質問が投げかけられはじめる。
「日本はどこにあるの?」
「ニューデリーから日本までの飛行機代はいくら?」
「結婚をしている?」
答えを繰り返すたび、彼らは驚きの声を上げ、少しの戸惑いと笑顔を広げている。
この後、何かが起きるのであろうか?

インド北部のシュリナガルで、ヒマラヤの山中を「ぼったくりツアー」で巡り、周囲が暗くなり始めたころ、麓の村へと到着した。
車を降りて案内されたのは、微かな英語しか通じず、日本の場所すら知らない家族の家で、両親・子供たちと、お互いジェスチャーを交えながら挨拶をする。彼らも恥ずかしいのか、顔を伏せながらも時折、はにかむような笑顔も見せてくれている。
家の中を見渡すと、電気やガス・水道が通っていないのか、ロウソクで明かりをつけ、薪で火を起こし、近くの川で汲み入れた水がバケツの中に貯められていた
外では、野菜や果物が植えられ、丘陵に立つ様々な草木や野鳥の姿などが目に入る。さらに遠くに目を移すと、ヒマラヤの山々に夕日が当たり、黄金色に輝いている。その美しい光景を目の当たりにし、両腕を空に向けて伸ばし、大きく息を吸い、吐き出してみる。   
そして、自然の音にそっと耳を傾け、流れる時間に心を預けてみる……

夜になり、部屋でくつろいでいると、子供たちが訪ねてきた。何か用があるのかと思い、部屋の中に入れてあげたが、彼らから何も話をすることなく、お互いの顔を見合わせている。夕食の時とは一変、何かを質問してくるわけでもない。そっと、親指を立ててみる。
突然、一人の男の子が歌い始めた。それに呼応し、ほかの子供たちも歌いだし、リズムに合わせ踊りはじめている。言葉は分からない。しかし、彼らが歌う透明感のある歌声に部屋の中の空気がそっと和らぎ、独特な踊りのリズムに合わせて、僕の耳へと届く。いつの間にか鳥肌も立ち始めている。そして、夢中になり、彼らの姿を追いかけ続けた。
この美しい瞬間を記憶の奥深くに残したい。

歌が終わると自然と彼らに話しかける。
「君たちは、プロのミュージシャンになれるよ」
彼らは歌と踊りが「LIKE」と、言った。
その言葉を聞いて、思った。
彼らが歌と踊りを好きな事は間違いない。
しかし、僕が理解する「好き」という表現では、収まらない気がした。
彼らにとって、音楽と踊りは日常の一部として存在し、生活に根付き、とても深い場所にあるものではないか。それが、僕の目の前で自然と繰り広げられていた気がしたのだ。
その夜、彼らは、いつまでも笑っていた。

僕と彼らとの間では、共通の国民食(カレー)の食べ方や日常に流れている時間は、違うのかもしれない。でも、そんなことは関係ない。目の前にある時間を精一杯楽しむ。ヒマラヤの麓で、大切なことを教わった気がした。

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