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本部拳法

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本部朝基が開いた本部拳法に関する記事です。
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#武道

空手用語と概念の固定化

下の写真はナイハンチ初段で、横受けと下段払いを同時に行う箇所である。 本部流のナイハンチ…

本部流
6日前
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本部朝基の当破(アテハ)

当破(アテハ、方音でアティファ)は、突きの威力とかパンチ力を意味する沖縄方言である。漢字…

本部流
7か月前
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本部朝基の言葉:十回中八回は負けておけ

上原清吉によると、本部朝勇はよく「右手で勝ったら左手で負けておけ」と言っていた。つまり、…

本部流
7か月前
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本部朝基の空手は自己流?

昔から本部朝基に対する誹謗中傷として、以下のようなものがある。 曰く、本部は若い頃から掛…

本部流
8か月前
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夫婦手の変遷

以前、筆者は「夫婦手の起源」という記事を書いたことがある。そこでイギリスのバジル・ホール…

本部流
11か月前
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安里安恒は本部朝基の家庭教師だった?

以前、筆者は「ヤカー」という記事を書いたことがある。ヤカーは「守り役」を意味する沖縄方言…

本部流
11か月前
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丸川謙二

丸川謙二(1918-2007)は本部朝基の弟子である。東京大道館で10年間師事した。これまで丸川氏から聞いた逸話を何度か紹介してきたが、この記事では改めて丸川氏について紹介したいと思う。 昭和51(1976)年、宗家(本部朝正)は家族とともに東京の小西康裕宅を訪問した。小西先生は戦前本部朝基に師事して、宗家も父・朝基からその名前を聞いていたので、一度訪問して父の逸話をうかがおうと考えた。 このとき、小西先生から「わたしよりももっと本部朝基先生に長く師事して、詳しい人がいる

本部拳法の一本組手

昨日(2016年11月17日)の稽古で、道場生より本部拳法の一本組手について質問があった。一本組…

本部流
1年前
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ピンアンと猫足立ち

宗家(本部朝正)は父・朝基に13歳頃から大阪で空手を習い始めたが、父が東京に行っている間は…

本部流
1年前
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掛け試し

昭和11(1936)年10月25日、那覇で史上有名な「空手大家の座談会」が開かれた。沖縄県が制定し…

本部流
1年前
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本部朝基の柔道研究

本部朝基は実践的な武道家がしばしばそうであるように、生涯にわたって武術の研究を続けた。本…

本部流
1年前
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袖山豊作

宗家(本部朝正)は、戦前、父・本部朝基宛の手紙やはがきをいまでも大切に保管しているが、そ…

本部流
1年前
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本部朝基の葬儀

昨年末(注:2015)、本部朝勇の孫の本部澄子さんの一周忌に宗家(本部朝正)とともに出席して…

本部流
1年前
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ヤカー

宗家(本部朝正)は子供の頃、父、本部朝基から次のような話を聞かされた。それは糸洲安恒やその他有名な武術家たち多数が本部御殿の邸宅を訪れて、彼や兄・本部朝勇に「手」を教えていたというものである。こうした家庭教師を沖縄方言でヤカーと呼ぶ。 ヤカーのもともとの意味は「守り役」である。昔は沖縄の御殿や殿内といった貴族の子弟の教育のために、ヤカーが雇われた。また、こうした子どもたちのために同じ年頃の子供を遊び相手として選ぶこともあった。この遊び相手もヤカーと呼ばれた。戦前の皇室にあっ