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過保護は自分を信頼する力を奪う

先日、祖父をドライブに連れていってあげたのですが、母親にテレビ電話して今からどこどこまで行きまーすと言ったところ

「え?あそこは道が狭いしあんたの運転スキルじゃ危ないんじゃない?おじいちゃんも遠出したら疲れるし、近場にしときなさい。」と言われました。

それもそうか、、、と思ったのですが、ドライブしてたら祖父が案外、私がもともと行こうとしてた場所に興味がありそうだったので、運転は不安ですが、良い景色を見せてあげたくて行ってみることにしました。

その結果、拍子抜けするくらい問題なく運転できました。別に言うほど道も狭くなかったし。景色もよくて、来てよかった!と思いました。

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同時に、なんだ、これくらい、できるんじゃん私。そして、おじいちゃんも別に全然大丈夫じゃん。という自信が湧きました。

すごくすごくちっぽけなことです。だけど、こういう小さな出来事の中、私の心の反応の中に、親の過保護の影響をふと感じるのです。

こんな年齢になっても、私は母親の言葉に縛られかけてた。ハードルなんか本当はそこにないのに、あるかのように見せかけられてた。問題なくいける道を、塞がれかけてた。世の中には、きっともっと驚くような過保護な親のもとで生活している人もいるのだと思うから、その人たちが親の言うことなんか1ミリも気にしないで生活していることを願うばかりです。

カウンセラーの先生から昔、言われたことで印象に残っているものがあって。

あなたのお母さんが、あなたを心配をするのは誰のためだろうね?娘がうまくいかないかもしれない不安から逃れるために、自分のためにあなたを心配しているんだよね」

親を批判的な目で見ることをこのときまで知らなくて、心配って無条件に「優しい気持ち」なんだと思っていたから、ハッとしたのを覚えています。

親の過保護で窒息しかけてたときに、頭に浮かんでたイメージ。それは、リンゴの皮を剥いている自分で、手を切らないように、おいしい実の部分まで一緒に剥いちゃってる。食べられるところが、めちゃくちゃ減ってるっていうイメージ。

過保護は、人生の美味しいところを削る育て方。「不安」じゃなくて、「楽しそう」「面白そう」「やってみたい」っていう前向きな気持ちを原動力に行動を選んでいける方が、失敗が多くても幸せだと思う。


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