見出し画像

なんで戦争が起きるのか?-2022年2月期振り返り

悲しむべきことにロシアがウクライナに侵攻した。紛争というレベルの問題ではなく、戦争に匹敵する一大事であるという危機感がある。Wikipediaで調べてみると、戦争という名前がついている争いは結構多くある。

しかし、ロシア軍 vs NATO軍という、ここまでの規模の紛争は1991年の湾岸戦争以来の戦争になるのではないかと危惧している(当時私はまだ小学生だったので、それほど深刻にこの問題を把握できていなかったが、大事であることはなんとなく感じていた)。

地政学的なことには、詳しくないので、その点に関しては専門家の意見を聞くとして、規模をギューッと小さくして、自分ごとに落としこんで、なんで紛争が起こるのだろうか?ということを考えてみた。

正義の対義語はもう一方の正義

自分の考える正義の対義語は不正義である。しかしながら、絶対的な正義などというものは存在せず、自分が正義だと考えることの逆の行動は、相手にとっての正義であり、形を変えた正義なのである。

正義という言葉は、自分自身の価値観を色濃く反映しており、どうしても譲ることができない自分にとって非常に大切な価値観であることが多い。

身近で起きている言い争いなども、(レベルや次元は大分違うが)お互いの正義・価値観が相容れない時に表出するものである。

それでは、一体正義とななんなのだろうか?10年ほど前に流行ったマイケル・サンデル教授のような問いかけをしてみたい。

下記に示した問いかけに関して、あなたはいくつが正しい行動であると言い切れるだろうか?

画像1

最初のいくつかの質問は現代日本社会に生きていれば、間違った行動であると結論づける人が多いと思われるが、徐々にその割合は下がっていき、悪いと思いつつもツイツイやってしまっている、最終的には全然悪いことだと思わないという感覚にならないだろうか?

一番上の問いであっても、前提が異なれば、結論も変わってくる。例えば、戦争は兵士を殺すことが正義とされているし、現代日本国では法の下の正義として死刑も公式に認められているのである。一般人が個人的に報復するのは悪なのに、司法は正義として人の命を奪う権利を持っている。

結局、正義とは都合の良い解釈で、なんとでも言えるということである。

人間は何を求めるのか?

ビジネススクールの人材マネジメント系のコースでは、マズローの欲求5段階説ということを人間の行動の基礎として学ぶ。

画像2

画像3

プーチン大統領は侵攻の理由として、親ロシア派のウクライナ国民が迫害されており、心身の安全が確保されていない、よってそれを救うために軍を送ったというポジションである。

一方で、ロシア側からの視点としては、ウクライナがNATOに加盟してしまうと、欧米列強国の影響がロシアの隣国にまで及んでしまうために、自身の安全のためにもウクライナにはNATO加盟を防ぎたいということも言われている。

NATOに武力を行使せずに、資本主義社会の正義である経済で対等に戦うことができれば、ロシアもこのような強硬手段にはでなかったと考えられる。

本当は承認欲求で侵攻しているのでは?

プーチン大統領は、全盛期よりも支持率が若干下がってきており、自分の権威を保持するために、大きな賭けに出たのではないかというコメントもある。要するに自分が権威を持っていたいという承認欲求・自己実現欲求から発生した行動である。

マズローの言う5段階は自己実現欲求はピラミッドの最上位に位置し、崇高な欲求であると考えられていることが多いが、自己実現の根本の価値観が過激に偏っていると、その行動は社会的に避難される結果となるということを今回のケースでは気づかせてくれた。

やっぱりパーパス(自分が生きる意義)って重要

自分が何を信じて生きるのかが最も重要な問いなのではないだろうか。

自分の信じた道が正しいと自分に暗示をかけて、突き進む。周りの意見にしっかりと耳を傾け、それでも自分の考えが正義であるいうところまで深堀りをし、周りを巻き込んでいかなければ大きなムーブメントは起こせない。

パーパスは個人的な意義だけではなく、社会的な責任を含めて共感を呼び、賛同してもらい、一緒にゴールに向けて動いていくという要素も必要になってくることをようやく理解した。

ウクライナ問題において顕著な通り、VUCAで先が見通せない、何が起こってもおかしくない世界である。変化に柔軟に迅速な対応が求められる。変化のためのぶれない軸をもっておくことで意思決定に迷いが生じなくなる。

会社や組織であれば、社員一人ひとりがまとまり、一枚岩になることが求められる時代である。

2月の目標「自分に負けない」を振り返る

奇しくも私の2月のテーマは、「自分に負けない」だった。自分は弱いので、その弱さを克服するという意味合いだった。自分のありたい姿を明確にイメージして、大きなゴールを持ち、日々の小さな欲望に負けないようにしようと思い、掲げたものであった。

やるべきことが正しければ、がむしゃらに活動することは間違いではないが、やるべきことが間違っていては、元も子もない。やっぱりイシュー設定って本当に大事。都度見返さなければ、イシューも押さえ続けることができない。自分のパーパスを明言して、逐次フィードバックをくれる仲間をもっておきたいものである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?