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その日の最高は、WBC、WBO世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)タイトルマッチ12回戦がもたらしてくれた。

その日、人生で何度目かの「最高だ」と唱えながら1日を終えることが出来た。頭に鳴り響いた「最高だ」は次の日も目に溢れる情報を追いながら、さらに増長されるばかりだった。

私は、WBC、WBO世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)タイトルマッチ12回戦 統一王者スティーブン・フルトン対同級1位・井上尚弥(25日、東京・有明アリーナ)の試合を観に行った。

井上尚弥の試合を現地で観戦するのは三度目になる。ボクシングに対しての専門的な考察や記事は世の中に溢れているので、そちらで事実に酔いしれて欲しい。

ボクシングという競技について、どちらか一方に肩入れをする書き方をするとそれだけで野暮ったくなってしまう。ボクシングという競技の繊細さや物語を一気に損なってしまうので事実を端的に客観的に描く記事が多いのだと思う。

実際には、一瞬にすべての物語が詰まっている競技だ。だから目が離せない。そしてその事実のみを伝えてもそれ以上に観ている者に伝わる競技だと思っている。

今回のタイトルマッチでフルトンと井上尚弥が実際に拳を合わせた時間は、8R1分14秒。井上尚弥のTKO勝利。

時間にすると合計22分14秒。たったこれだけの時間だ。

たったこれだけだけど、これだけの時間に2人の間にどのような感情の交錯があったのかなどは、私が推し量るようなものでもないのは理解している。だけどこの日に至るまでの経過を私のようなファンは、一緒に過ごすことが出来る。

当初、5月7日に「横浜アリーナ」でこの試合は行われる予定だった。私は、階級を上げていきなり世界戦に向かう井上尚弥に期待と不安から絶対に観戦しなければならないと抽選を申し込んだ。

その抽選結果を知るまでもなく、試合は井上尚弥の負傷により延期された。

こうなると、この試合は本当に開催されるか分からないと思った。

これがこの情報を聞いた時に一番最初に感じた印象だった。それだけボクサーにとって試合日程までのピークの持っていき方、カラダ作りの逆算は考えられないくらい大変なのだろうと感じていたからだ。だけど、ほぼ同時に7月25日への延期の情報も流れてきた。

チャンピオンのフルトンは、アウェイである日本に来るのに試合延期を了承した。これは本当にすごいことだと感じた。

この裏でもしかしたら、公表出来ないくらいえげつない交渉がされていたのかも知れないが、私がそれを知ることは出来ない。ただ、目の前にある延期の事実がとても心を高揚させてくれた。

ボクシングは、当たり前だが相手がいないと成立しない。闘う本人達を支えているのは、それこそすごい数の人数になる。ここまで大きな試合になると、本人達の意思以上に色々な力が加わってくるのは、容易に想像出来る。

だけど延期という決断に間違いなく2人が闘うことを望んでいるのが伝わった。そして、それを実現させようと裏で動いている人達も多くいて、皆2人が闘うことを望んでいるのが伝わってきた。

どうしても観に行きたくなった。

私が井上尚弥を好きなのは、そのボクシングスタイルもそうなのだが、人を魅了するまでに引っ張り上げた努力の証明をそのボクシングで表現するからだ。

井上尚弥はよく、「練習してきたことを出せた」と口に出す。『練習してきたこと』を試合で完璧な形で再現するのがどれだけ難しいか私でも分かる。

私は普段、予定外や考えたこともなかったことに遭遇したり、試そうと思ったことを完璧に出来たなんて実感を持てたことがほとんどない。それだけ想定や、想像することが欠如しているし本当の意味での『練習』をしていない証明だと感じる。

そして『練習してきたこと』という言葉の裏には彼を支えている仲間の存在を大事にしていることがとてもわかる。仲間を信用していることが伝わってくる。そして、一緒に闘っていることを伝えてくれる。

井上尚弥は、前日の計量55.2kgから、リカバリーで当日は60.1kgの体重だったという。1日で、4.9kgリカバリーしたことになる。闘うためにこれだけの負担をカラダに与え、さらに色々な人の期待を背負って闘う気持ちは、想像出来ない。

そしてここまで書いたことを全く違う国で、同じ競技をしていて、同じくらい真摯に向き合いながら『強さ』を求め、どっちが『強い』かを考え、同じように人の期待を背負っているチャンピオンのフルトンがいたということが、『偶然』が求めたそれこそ『必然』になっているとやっぱり思ってしまう自分がいる。

こういう風に感じる私も含め、観戦しに来る人達それぞれにそれぞれの感情がある。だけど本人達も含めて、そこに集まっている全員が『どちらが強いのか』という共通の目的意識を持ちながら、それを観るために集まって視線を注ぐのだ。

2人のボクシングは、観客のエネルギーも力に変えて最高の芸術だったと感じた。勝ち負けはつくがそこには、全力で向き合った期間が濃縮した22分14秒が存在した。

お互いに高めあって芸術にした22分14秒は、私に醒めない興奮をプレゼントしてくれた。私は、今まで生きてきて色々な勝負で敗者になり、挫折したりを繰り返してきた。きっと、人に踏み台にされている回数の方が圧倒的に多い。

だから、勝ち負けの裏にある過程を考えてしまう。『強い』が正解なのかは分からないけれど、私が追い求めることが出来ない新チャンピオン井上尚弥選手のその『強さ』に純粋に強烈に惹かれてこれからも応援していくのだと考える。

その日、興奮のまま最寄り駅に着いたのは、日付が変わった頃だった。

私は、興奮を延長したくてそのまま徒歩で帰ることにした。最寄り駅から自宅までは徒歩20分くらいになる。この最高の1日を振り返りどうしても、22分14秒で自宅に帰りたくなった。

「最高だ」と頭の中や口に出したりしながら歩いて帰った。

次の日の朝に、留守番してくれて気持ちよく行かせてくれた妻や子供に、『観戦に行かしてくれてありがとう。最高だった』と伝えようと思った。私の闘いもついに完璧な成果を遂げようとしていた。

そして、22分14秒で現実に戻り、感謝しながら自宅の玄関を開けようとカバンの中から鍵を求めた。

そして鍵を自宅に置いてあることを悟った。

深夜1時前。

私の22分14秒の結果は、家族への感謝の第一声ではなく、深夜1時に起こしてしまってすみませんと一方的な謝罪によるTKOだった。

本当に最高な1日をありがとうございました🥊








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