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僕は「お兄さん」の達成を祝う日にすることを決めた。

そうだとしても、これは実に厄介な問題だった。事実を事実として受け止めるには、誰だってきっかけが必要だからだ。

この日、僕は友人の誕生日を祝うことにしていた。とはいうものの、お互い仕事だからメッセージを送信するだけだ。「今は簡単にメッセージを送信出来るので楽になったもんだ」と口に出してしまう僕は「おじさん」なのだろうか。僕の高校一年の時代の時はポケベルだった。二年でPHS。三年で携帯だ。進化の翻弄世代だ。

どれだけの人がその真実を隠しているのか知らないが、ある一定の年齢層の人間は、数字で文字をやり取り出来る魔法使いだということを知らない人も多くなってきたのかも知れない。

今では簡単に送信出来るといってもメッセージの内容までもが軽くて良いわけでもない。親しき仲にも愛情は込めたい。お互いの誕生日のメッセージ交換は、もう二十五年以上にもなる。それを気持ち悪いと思うのは「おじさん」だからなのだろうか。

そろそろ「おじさん」同士のやり取りは、意外と乙女だと誰もが知るべきではなかろうか。

友人のポップは四十三歳を無事に迎えた。僕は、メッセージをこう考えた。

やぁポップくん。我々もなかなかカッコいい「おじさん」になってきたんじゃないかい?おめでとう43歳。

木の子著 「42歳のリアル」より

僕達の高校からの道程を考えると、間違いなく当初の予定通りの道順で、迷うこともなくフラフラフフフを重ねつつ、浮かれながらも渋く歳を積み上げている。

そうだとしてもだ。これを認めるべきなのかどうなのか。僕は逡巡していた。

僕達は、本当に「おじさん」というなにかになっているのかだ。

「おじさん」を背中で語るほど、広い背中を持ち合わせている自信もなく、「お兄さん」というほど肌もきめ細かくなくなってきた。それと相反するようにウィンクは上手くなってきている。

仮に僕達が同時に「おじさん」であると認めるには免許証と同じくらい公的なもので決めてくれないと今後も認めないような気もしている。

とにかく僕が一番心配になったのは、仮に僕がこのメッセージをポップに送り、彼が初めて「俺って『おじさん』だったのか」などと自覚させてしまったら、それは誕生日の中でも断トツに悲しいメッセージになってしまうということだ。

最初からポップが「おじさん」を認識していれば問題ない。どこかで一言でも「僕たちも『おじさん』だからな」とか先手を打ちリアクションを確認してみとくべきだった。

僕の発言がきっかけで自覚から急に老け込んだりしてもらっても困るよな。という、どうしようもない不安が僕を襲ってきたのだ。

では表記を直接的ではなく「OJISAN」にした場合はどうだろうか。ローマ字から感じるロゴみたいな視覚が訴える印象にポップが傷つく要素は薄くなる。ローマ字なら例え本当に「おじさん」が伝わってしまってもダメージが少なく可愛い感じに伝わる気がした。

「OJISAN 」悪くない。

そもそも、「おじさん」になることに僕達は何も反対していないということをここに明確に記しておきたい。むしろ僕達は「おじさん」を歓迎しているし迎える準備も整っている。声を掛けられたら振り向けるし、姪っ子甥っ子にもちゃんと「おじさん」と宣言出来る。

「お兄さん」をきちんと達成したあとは、ちゃんと「おじさん」を達成したいと思っている。

だが、まず僕は僕を「おじさん」と本当に認めて納得しようとしているのだろうか。「お兄さん」を達成した自覚がないまま、どこかで「おじさん」と自分を表現し、納得してしまうことである種の年齢層からのタイプ圏外の烙印を押されることを「おじさん」だからと安心の理由にしてないだろうか。

そもそも、この記事にしろ僕は自分のことを「僕」と呼び、

「僕は『おじさん』とは関係ないんだ。『おじさん』とはポップのことだよ」

と最初からテクニックを駆使し、歳を重ねる友人を売り飛ばし、読者をミスリードして自己防衛をしているのではなかろうか。

僕は、僕の中の僕と決着をつけなくてはならない。僕は「お兄さん」を達成するときが来たかもしれない。

あれ以来僕は、久しぶりに彼を頼った。

 親友のAIチャットくん🤖
 朝の8時30分の出来事。

これが事実なら僕はもっと前から名乗っていなければならない。それよりも気になったのはAIくんが言う「気にされることはありませんよ」とは、すでに僕を「おじさん」として認識しているのではなかろうかということだ。聞き返すのが怖くなったがそれよりもさらに聞きたいことが出来ていた。四十代前後が「おじさん」というのならば、もうすぐにその後が迫っているということだ。

事態は目まぐるしく動きます

まだまだおじさんの範囲内ですし、気にする必要は全くありませんよ。と書いてある。

どう考えても「おじさん」認定してるじゃねぇか。急に突き刺さる「おじさん」を僕は認めたくない。

ここまで三分の事件

慰められた。僕は間違いなく慰められた。「お兄さん」と呼ばれることは全く問題ありませんよ。と、だが「呼ばれることは」の「ことは」では「お兄さん」ではないと遠回しに言っている。やはりか。僕はもう「お兄さん」を達成してしまっているのかも知れない。

それでもどうしても諦めきれない僕は客観的な事実が欲しくて息子に聞いた。

「なぁ。お父さんて『おじさん』かい?」

息子は、間髪いれずに答えた。

「お父さんは『おヤッさん』だろ」

僕は「おじさん」ではなかった。

そうか、僕は「おヤッさん」だったのか。そう思うと、僕はポップも「おヤッさん」なのかも知れないと思い「おじさん」を断定することはやめて、送信するメッセージを変更した。

体調気をつけてそのままお進みください。
おめでとう🎊

木の子著 「続42歳のリアル」より

これ以上、問いただすのはやめようと思った。「おじさん」ではなく「おヤッさん」としてなら僕達は今後うまく付き合っていける気がしていたからだ。

AIチャットくんは、こうも言っている。「『お兄さん』とは相手との関係や状況によっても使われる呼び方です」と。

ならば、僕が用意出来る誕生日プレゼントはこれしかないと思った。

「なぁ。今日は久しぶりに『お兄さん』と呼んでくれるお店で『お兄さん』達成を祝いに行かないか」と。

なんのはなしですか

僕達はいつでも「お兄さん」にも戻れるはずだ。「お兄さん」は何度達成したっていい。

だから僕達は夜の街へ出るのだろう。

あと何度呑めるか分からないが、祝えるうちに記しておこうと思っている。

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