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東京、神奈川そして伝説のラジオ

🌈

誰かの記憶の誰かのはなし 10

2人が東京に戻ってきた。
日本縦断を始めて3ヶ月くらい。 

人と出会う事で成長する姿を見せられて、
僕が考えていたよりも数段逞しくなっていて
どこか距離を置きたくなるようなくらいだった。 

僕達は特に再会を喜んだワケではなく、まだ途中だからと3人ともそれぞれ感じていたと思う。 

一番再会を喜んだのは大関だった。 

満面の笑みだった。2人をハグしていっぱい話す。
もしかしたら、一番不安だったのも大関だったのかも知れない。僕達は「KONISHIKI」の名前を借りて旅をしている。 

僕は、大関と話す2人のその光景を見て、
この人を嫌いになる事などこの先あり得ないと
本気で思った。 

2005年のはなし。 

日本縦断走り売りは、ポップとバザー2人の価値観を根本的に変化させていた。 

ポップは、私用の携帯電話を岩手の道の駅に忘れたと気付いた時に、解約している。 

必要ない。とポップが選んだ選択である。 

東京に着いたバザーが思ったのは、これで大関のそばにいたら「強気な営業が出来る。CDが売れる」だったらしい。 

彼らは彼らで、本気で企画に打ち込んでいた。 

当時、後楽園に大関の経営するステージ付きの飲食店があった。「あんばらんす」という店だ。
和食とハワイアンに別れていて、ハワイアンの方にはステージがあった。 

ここで、大関はよくライブをしていたのだが、
そこに、彼ら2人をステージにあげた。 


ポップは、大関と会うだけでも緊張するが、少しでも培ったものを見せたかったと「楽しみながらふざける」をモットーにステージに上がる。 

バザーは、大関の安心感に包まれて強気に出ようとステージにあがる。 

僕は、当然ながらそれを後ろで見ていた。 

目の前の光景は、描いていた光景だったが現実感に乏しかった。ただ、何とも言えない高揚感に包まれていた。それと同時にハッキリと、僕は、表に立つ側の人間ではないと自覚した時だった。 

この時に、「人気者になりたい」と思っていた僕は、「僕の役割」で動くと完全に吹っ切れたと思う。 

大関は、ポップとバザーを
「僕の息子みたいな2人」とステージで紹介した。
涙が出そうなほど嬉しかったが、 

僕自身が大関に息子と呼ばれるようになるのは、まだまだ先である。 

僕は、もっとやらなければならない。
そう思うには、十分過ぎる出来事だった。 

「明日はラジオの生放送聴いてね」 


ステージは、終わった。 

FMヨコハマ。朝の看板番組モーニングステップス。ディレクターのDさんとの関係が結果になり、大関と2人が同時に生放送に出演する日だった。 

この日の事は、忘れない。 

朝の6時からの生放送は、当日のニュース、交通情報、決まったコーナーと3時間の生放送にいっぱい詰まっていた。 

Dさんは、この日の為に自由に出来る箇所は大関用に全編大関の選曲にしてくれた。
大関は、小さい頃からラジオを聴いていて、音楽が身近にある暮らしをしていた。 

大関のラジオDJは、得意分野と言っていいほど面白かった。テンションが高い英語と日本語を混ぜて曲頭の秒数をしっかり計算してピッタリ曲紹介をする。 

僕とDさんは、同じことを感じた瞬間だったと思うが、それは、別のはなしである、しかし、思い描いたことは全てこの先現実になることになる。

2人と一緒に出演すると言うことで番組開始からテンションが高い大関。 

横目に見るポップとバザーは、明らかに緊張していた。生放送、失敗出来ない。慌ただしいスタジオ。 

何より、地元でたくさんの人が聴いている番組なのだ。 

彼らの出演は、最後10分。僕が彼らに伝えたのは、「生放送中に大関と呼べ」これだけだったと思う。 

KONISHIKIを大関と呼ぶのは、仲が良い印象を絶対に聴いている人は受ける。これをミッションとした。 

彼らがCM中にスタジオに入る。大関からふざけてからかわれる。緊張した笑いのなか、DJの栗原さんが進行する。2人がヘッドフォンをする。 

始まる。 

「さて、KONISHIKIさんのCDを持って走り売りしながら日本縦断中の伊勢原市出身のお二人が、スタジオに来ています。ポップくんとバザーくんです」 



ここから、先の10分は断片しか記憶がない。

僕はスタジオの外側。ガラス一枚向こうからスピーカーを通しての2人の声が聞こえるだけだ。 

ガラス一枚だが、別世界だ。

明らかに自分がイメージしたことが現実として起こっている。「この気持ちを忘れるな」と念じたのは、覚えている。 

「大関‼️」と2人が何かツッコミ入れたのを聴いて拳を握りしめた。 

「最後にお知らせありますか?では、KONISHIKIさんのHPの紹介どうぞ」 

残り20秒くらい。 

アイコンタクトした2人で喋ったのはポップだった。 

事件は、起こる。 

「情報はえっと、KONISHIKIドットネットです。
K.O.N.I.」 


あと残り10秒 

「S.H.I.」 

残り5秒 

「K.E」 

大関がツッコむ。 

「それコニシケじゃないか‼️」 

生放送の終了である。 

なんのはなしですか 

ポップとは天然である。 

コニシケと呼び間違えた2人は、東京、神奈川で地元の仲間にも支えられ100枚近くを売り、南下する。 

僕の携帯電話が鳴る。 

「今日のラジオを聴きました地域情報誌タウンニュースの伊勢原版を作成しているものですが。お二人の事を毎週記事にしてみませんか」 


繋がりは繋がりを産む。これは、僕の役割だ。










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