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「新婚です。旦那がゲイでした」


 あたいは各SNSにてDM(ダイレクトメッセージ)を開放している。
 
 嬉しいことに多くの人から、いろんなメッセージが送られてくる。  
 いただいたメッセージに返事はしない、だけど、すべてに目を通している。

 まさか全部は確認していないだろうと踏んで、新年早々に全裸写真を送ってきた新成人。そう、あんたや。あんたのDMも見てんのよ。他人に全裸送ってる場合じゃないぞ。新年早々犯罪すな。「あと全裸コスプレです」ってなんやねん。全裸は全裸じゃ。ちんこはしまって、気を引き締めていけ。


 ちなみにDM機能を開放している理由は、なんとなくですわ。
 強いて言うなら、あたいは一対一で話を聞くのが好きだから。
 誰かから頼られたり、愚痴を聞くのも好きだ。

 ただ、あたいはおバカだし他人だから、相談をされてもなんにも助けてやれない。けれど、それでもいいからとこちらに愚痴を吐いて、勝手に元気出していく人たちを見ていると「神社で祀られてる神様ってこんな気持ちなんかなぁ」と思ったりする。

 おそらくあたいは将来的に神社で祀られるくらいの存在になっているだろうから、これはその時の予行練習を兼ねているのだ。そのくらいの無責任な心持ちで人の話を聞いている。

 ダメな聞き手だろうか。でも、つらい時やモヤモヤしてる時って、なんでもいいからとりあえず話を聞いて、その感情を認知してくれる場所や相手って欲しくなるやん? だからあたいはこういう聞き手がいてもいいと考えている。

 カウンセリングじゃなくて酒の場であったり、薬じゃなくて物語や芸術だったり、そういう遠回しなものが心を救うことだってあるのだから。真剣に話し合う身内やパートナーじゃなく、SNSの先のよくわからんゲイが誰かの聞き手になる気楽な関係も、きっと誰かの背中を押したり、さすったりすることがあるのだろう。

 だからDMを解放してる、ッてわけ。
 自分のちんこ送る場じゃないのヨッ!
 別に罵詈雑言でもいいからあんたの言葉をちょうだい。写真ならペットとか風景をちょうだい。次、自暴自棄になって卑猥な写真なんか送ってきたら、あたいと一緒に裁判所でお茶しましょ。



 また、相手からの断りがない限りは、そのいただいたメッセージの内容を、すべてあたいの胸の中に秘めて誰にも明かさない。その情報を、その言葉を、ひとつも誰かに漏らすことはない。

「これをネタにしてください」「このことについて、いつか発信で触れてください」「あなたがどう考えているのか、今後機会があったら何らかの形で明かしてください」というお願いがあった場合は、あたいからも是非、あたいの言葉で語らせてください、という気持ちで発信の中で触れていくこともある。

 今回は、新婚の女性からのご相談だった。

「新婚です。旦那がゲイでした」

「ゲイでも女性が愛せるんですか? ゲイでも既婚者って多いんですか?」

 努めて冷静に、けれどショックを隠し切れてない文面だった。それでも文章にできたこと、見ず知らずのゲイに相談できたこと、マジですごいと思った。


 そして実を言うと、こういうDMはめちゃくちゃもらう。

 ーー彼氏がゲイだった。彼氏が男性経験をたくさん持っていた。旦那が男の愛人を作っている。旦那がウリセン(ゲイ風俗)で働いていた。父親がゲイバー・ゲイ風俗通いをしている。彼氏が発展場(ゲイのすけべな出会いの場)に足繁く通っていた。父親がゲイで偽装結婚だった。旦那がゲイアプリに登録していた。彼氏から「ゲイになったから別れて欲しい」と切り出されたーー。

 こういった感じの相談や、離婚・破局報告、あるいはショックからかゲイに対する怨嗟などをあたいにぶちまける女性は多い。

 何よりあたいも体感や実態として知っている。
 既婚ゲイ、彼女持ちゲイーーこのような例は希少なケースではないのだ。


 まず、あたいがゲイ風俗で働いていた時でも、ゲイバーで店子していた時でも、既婚者や妻子・彼女持ちのゲイ(orバイセクシャル)の男性がお客様としていらっしゃることは珍しいことではなかった。

 そもそもゲイ業界で過ごしていると、あたいのように物心ついた時から男性を好きだと自覚していて、女性に性的指向・関心を一度も持たないゲイよりも、過去に女性とのセックスの経験を持っていたり、学生時代など若い頃に彼女がいた時期がある、というゲイは比較的多い。

(あるいはずっとゲイだったと語るのが恥ずかしいからか、見栄を張って女性経験があると話す人もいる。女性経験のトロフィー・勲章化だと自著エッセイゲイ風俗編では触れた)

 そういった女性経験を持つゲイは「今は完全にゲイだけど、当時は周りにゲイもいなかったし、自分がゲイだと分からなかった」とか「ゲイの世界に興味本意で入ってから男にハマって100%ゲイになった」というように語る。昔の言葉を借りて言うなら“目覚めた”と言うことだろうか。あたいはこれを自分の中の同性愛の傾向を認めたり・認知できるようになったと認識している。

 中には《ゲイ寄りバイ(G寄りB)》あるいは《バイ寄りゲイ(B寄りG)》という性的指向の自認も存在していて、「ほぼゲイだけど女性も抱こうと思えば抱ける」「今はほぼゲイ。でもたまに女もイケる時期がある」なんて言ってるゲイ・バイもいる。



 また、SNSやゲイアプリを利用していても、既婚ゲイは見かける。なんならプロフに堂々と“既G“と書く人もいる。ちな既婚Gayという意味だ。

 このように表記したり、ゲイコミュニティ内で既婚者だと公言するのは「既婚者だからリアル(出会い)や肉体関係を求めていない」という誠実な意味もあるのだろうけれど……いや、あるかな。わからん。まぁあるとして、既婚者宣言が持つ意味はそれだけではない。むしろ逆の場合も多い。

 つまり、ゲイ業界において一大コンテンツのノンケ(異性愛者の男性)という属性と同じくらいに、ゲイの間では既婚者男性の人気がある程度根強いのを知って、あえて公言している場合もあるのだ。実質、ノンケ売り(ノンケブランドでゲイから人気を得ること)に近く、彼ら自身アピールポイントだと考えている節もある。

 既婚者男性を好む人間の一例ではあるけれど、“普段は女とセックスしている男から掘られる(挿入される)と、自分も女になったようでアガる“というような表現をするゲイもいる。

 これは性自認が女性というわけじゃなく、プレイの一環で女役をすることに興奮や恥辱の喜びを見出す男性のことだ。まぁゲイだけじゃなく、異性愛者の男性でも存在する性的な嗜好の範疇だろうけれど。


 また、これは少し穿ち過ぎた考察ではあるけれど、ゲイ業界で既婚者だと明かす人の一部の考えには、「ただのゲイ(独身男性)と違って、こちらは家庭や世間体がある人間なので、男とは秘密厳守・セックスだけの関係を募集している」というホモフォビックな傾向があったりもする。

 これはゲイ嫌いのゲイーーというよりはゲイ業界やゲイ同士でつるむ集団に対する辟易や選民思想が入り混じった考えが背景にある。ゲイに対して「アンダーグラウンドなゲイの世界でしか生きられない人間であり痛々しい存在だ」と認識している可能性もある。異性愛主義の世の中において社会的強者が《女性を自分のものにしている男性》である男性規範なども、その考えに密接して関係しているだろう。

 そのせいか、ゲイの中には「普段ノンケ生活してます」という表現を使用し、自身は完全にゲイの世界には“沈んでいない”といった表明したりする人もいるのだ。普段、女性と繋がりがあることが《ゲイという社会的に認められていない存在》よりも格上の存在であるという誇示に繋がっているのだろう、と推測できますわ。


 さらに卑近な実例で、なおかつ特殊なケースではあるが、あたいの周りだとゲイ風俗時代の元同僚ボーイも、結婚した後に依然ボーイとしてゲイ風俗店に復帰した例もあった。

 彼いわく「(結婚したことで)これで家族や職場からゲイって疑われなくなったw」ーーらしいので、多かれ少なかれ世間体や体裁に迫られて結婚したケースだったのだろう。もしかすると少しホゲてた(いわゆるオネェ仕草)ので、周りから「オカマじゃないのか?」と訝しまれてたのかもしれない。

 さらにゲイであることをゲイ以外には誰にもカミングアウトしていない、と話していたので、当然のごとく配偶者の女性も彼がゲイであることは知らされてはいないようだった。つまり彼自身も認める《偽装結婚》だ。


 ただ留意が必要なのが、ゲイの結婚が全て偽装結婚ではない、ということだ。

 これはあたい自身もゲイだから、ゲイが女性と結婚することを擁護する意味合いで言っているわけではなく、ケースによっては事情が異なるようにも思えるから念のため述べた。しかしこれもあたいがそう考えているだけであるので、「いやゲイであるのなら全部偽装で裏切りだ」と感じる人のことを否定したりはしないし、その指摘と批判は受け入れる。


 たとえば、性的指向がゲイだと自認していても、生きているうちに女性を愛したり(ゲイからバイと自認するようになったり)、性的指向が男性に向かなくなったり、あるいはゲイのままであっても特定の愛する女性パートナーができたケースも実際にある。

 ゲイなのに女性を愛するようになるってどういうことやねん、と感じる人もいると思う。正直あたいにも感覚としては理解できない。すまんけどあたいに聞かれてもわからんわ。けれどそう語る人がいることは知っているし、それが嘘でもないのはわかる。

 結婚後や子育て後に同性愛者だと自覚した遅咲きの人間がいるように、同性愛者が両性愛や異性愛に移行することも、特定の異性の関係ができることも生きていりゃ起きうる。それくらいに、性的指向や恋愛の指向は不変ではない、ということだろう

 だからそういった場合、ゲイを隠して結婚したと表現するより、現在の愛し方によって愛せる人と結婚した、と受け取れるのかもしれない。

 それでもパートナーが過去に同性と肉体関係を持っていたことに嫌悪感を持つ人もいるだろうし、そのことを伏せられていたら不信感を覚えても間違ったことではない。そういう感情をあたいは同性愛嫌悪ではなく、真っ当な感情だと支持する。しゃーないし、間違った感じ方なんかじゃない。

 ーー“相手がゲイだったから、社会的な弱者だから必ず支持しなければ“なんて考えで、自分の中に眠る「なんでやねん」という感情を捨て去る必要は無い。弱者だから、傷ついた人間だから他の誰かを犠牲にしたり、傷つけていいわけじゃない。ゲイがなにかの免罪符になることもない。

 だからパートナーがゲイだった時、その時相手と真剣に付き合ってきたあんただけは、自分の素直な気持ちを伝えていい、とあたいは思う。


 話は戻り、元ゲイ風俗同僚の彼の偽装結婚のケースに再度触れる。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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