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その「死にたい」に水をさせ。



 世の中にはいろんな自殺方法がある。

 一番多い自死の手段は縊首(首吊り)だけど、飛び降りも飛び込みも少なくないし、選択肢や発想に浮かびやすい。

 自殺方法というものは、有名だったり身近であるほど、自殺しか救われる方法がないと視野狭窄になっている人間の頭に浮かぶようだ。

 あたいもうつ病の時に2度自殺未遂をしている。その時に選んだ方法は首吊りだったが、あたいにとって首吊りは子どもの頃に父親が行なって実際に死んだ方法であり、ある意味では信頼できる身近な実績だった。


 こういう発想の身近さもあるから、現在、著名人の自死報道に関して、WHOが発行するガイドラインでは、メディアに「詳細な自殺を報道すること」を推奨していない。どんな薬をどれだけ飲んで、どんな化学物質をどう扱えば銃や毒が作れるのか、放送する番組や書き記す新聞があれば、強く批判されなければならないだろう。


 そういえば、ここ数年であたいの住んでる地域の駅にもホームドアが導入された。


 ホームドアがあれば、酔っ払いの線路への転落や、目の不自由な人や車椅子・ベビーカーなどの進入車両との接触を防げるだろう。


 でも、乗り越えるという意思を持っている人は防げないーーそう思われるかもしれない。


 よく、電車への飛び込み自殺が多い駅の話になると、そこに入ってくる列車のダイヤの妙や、直線距離の長さ、企業勤めや通学者の多い路線などが要因だと挙げられるけれど、もう一つに電車がホームに進入してくる入り口の付近に待合室があることも要因にあると聞いたことがある。


 なぜそこに待合室があると自殺が進むのか、それは(ホームから見られる)最大スピードの列車を見ながら、じっくり考えて自殺を待てるからだ。


 何度も過ぎゆく列車を見ながら、待合室で静かに思い耽る。その待機時間は、自分の中に思い切りやタイミングが生まれるのを待っていたり、半生を振り返る最後の時間であったり、やるかやらないか熟慮する自問自答の期間なのかもしれない。

 あたいには想像もつかないけれど、待合室のような一旦考える時間を持たせてくれる空間でさえも、いやそんな空間だからこそ、希死念慮を持っている人間の背中を後押しする一つの要素となっている。



 これから分かるように自殺者は、案外突発的でなく、死ぬことを前々から常に企図していたことが多い。

 生命保険でも加入してから一年から三年の自殺免責期間(死因が自死の場合保険金が支払われない期間)を超えた後に自死率が有意に増えるともある。「この期間を超えたら死のう」と考えて生きることは全然あり得るし、「もう今なら自殺しても保険金がもらえますよ」とインセンティブとお墨付きさえもらえれば自殺を決行できてしまう、それが待てる人間はいるのだ。


 でも、ホームドアが設置されたことで、その駅での飛び込み自殺が減少したことも事実で、乗り終えれば死ねるはずのその高さは、少なくとも自殺者の駅構内での飛び込み自殺を止める障壁になった。


 それは突発的な希死念慮や、熟慮する希死念慮どちらにも有用だったわけで、計画して死を待てるほど決行力のある人間たちをなぜ引き止めることができたのだろうか。


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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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