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うちらはたまに不幸でもいい



 あたいは常に愉快で、おもろいおっさんになりたいと思ってる。

 「おもろい」というのは、言葉のチョイスがユーモラスで没個性じゃなく、機知に富んだ言い回しをし、いつもレスポンスが当意即妙でおもしろいツッコミもできる、という意味じゃなく、なんかおるだけでおもろいという状態のことである。
 

 要するに常に機嫌が良いおっさんでありたい。

 また、その機嫌の良さはひとりよがりなものじゃなく、全員が利するものでありたい。好き勝手に振る舞って自分だけ気持ちがいい状態になるのではなく、その場にいる誰もが気楽にいられるような、そういう毒気のない機嫌を持ちたい。その状態を得るために配慮を心の隅に常駐させつつも、それを匂わせないようにして空間に存在していたい。

 目指すのはゆるキャラだ。着ぐるみのゆるキャラ。ゆるキャラは存在するだけで相手を「おほほw ゆるキャラいてワロタw」と和ませられる。つまり他人の警戒を解き、油断させられる。

 もちろん着ぐるみの中身はただの人間で、着ぐるみを纏った状態を人は茶番だと自覚はしている。だけれども奴らゆるキャラには、相手に気を遣わせる表情も目線も、微細なボディーランゲージもノンバーバルな間も無い。なので対人特有の緊張感や気配りがゆるキャラの前では軽減される。

 あたいはこの現象を人間の本能だと思っている。人は、世話や迷惑がかからない程度の無害な弱さのことを「かわいい」「愛らしい」と呼ぶ。ゆるキャラも、自宅で飼育できる程度の愛玩動物も、檻越しの獣も、人から見れば無害さを保証している。

 だから「ちょうどいい弱さ」を「無害さ」や「安心感」と言い換えて、それを自分の一番外側に武装させてこの世界に存在したい。存在するだけで相手に気配りや警戒を強いるような居丈高さをできる限り脱却し、偉そうでないおっさんになりたい。もはや敬意なんてなくていい。愛らしさやフレンドリーさも目指さない。ただただ無害さを目指したい。そうやって他人の心理的安全を作りたい。

 他人が安心するためならば、ある程度コケにされたり、ナメられたりしても構わない。自分がいない時に「あの人いい人だけどさ〜(笑)ちょっと変よね(笑)」と一瞬の話題のタネにされてもやぶさかでない。

 クラゲを見て癒されるのが「何も考えてなさそうだから」というように、餌を食べる犬や猫が余計な禍福に気を巡らせず生命活動だけに没頭しているかのように解釈できるように、存在するだけで関わってこない花や景色が誰かの人生に知らず知らず彩りを与えても感謝されないように、なんとなくの存在でいい。

 他人にとって無責任でいられる距離でのみ関われるような、そういう無害さを纏わせて、無害でいられた自分を自分だけが感動できるような、そういう豊かさを知って日々を過ごしたい。

 

 だけど、あたいだって人間なので、時にそういった理想がガラクタのように思えて、一切の価値が感じられなくなる時がある。

 要するに機嫌が悪い時がある。

 というか外っ面だけでも機嫌が良いようなフリをするくらいの気力さえ失って、振る舞いの至る所に他人に緊張を強いるようなアクションが現れ、行間に苛立ちが滲み出るような言葉を口にしてしまうことがあるのだ。

 そんな時あたいは「まるであたいの母ちゃんみたいだな」と感じて自己嫌悪と自嘲でますます悲しくなり、怒りが湧き立つ。その時、悲しみとは怒りの源泉なのだと改めて思う。

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ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思…

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