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徳永潤二氏 "Monetizing Public Debt in Japan: An Empirical Critique of Modern Money Theory" を批判する

こんにちは、望月慎(望月夜)@motidukinoyoruと申します。

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(拙著『図解入門ビジネス 最新 MMT[現代貨幣理論]がよくわかる本』(秀和システム)(2020/3/24 発売予定))

マサチューセッツ大学アマースト校の研究所:PERI:Political Economy Research Institute にて、徳永潤二氏(獨協大学経済学部教授)が、Monetizing Public Debt in Japan: An Empirical Critique of Modern Money Theory(直訳すると、「日本における公的債務のマネタイズ:MMTに対する実証的批判」)というMMT批判論文を書いていらっしゃいます。

大変残念なことに、当該論文はMMTに対する誤解や関連する事実誤認に基礎付けられており、MMTの正確な理解にあたり、この論文を徹底批判しておくことが有意義と考えるため、以下に論じます。



①低コストでの公的借入は量的緩和によるものではないし、また量的緩和政策はMMTとは関係ない

まず、概要の冒頭からして、早くも怪しげな雲行きとなっています。

Is Japan really a ‘success’ case that supports the Modern Money Theory (MMT) framework? The Bank of Japan (BOJ), the country’s central bank, has conducted more aggressive monetary quantitative easing since April 2013, which could effectively allow the Japanese government to monetize its cheaper public borrowing.
拙訳:日本は本当に現代貨幣理論(MMT)フレームワークを支持する「成功」ケースなのだろうか? 当該国の中央銀行である日本銀行(BOJ)は、2013年4月から一層積極的な量的金融緩和に勤しんでおり、これは日本政府の財政ファイナンスとして機能して、より安く公的借入を行うことを事実上可能とした。

この一節だけで、徳永氏の認識に数多くの問題があることが分かります。

まず、日本はMMTの「成功」ケースではありません。というのは、拙note「長期停滞・低金利下の財政金融政策:MMTは経済理論を救うか?」をレビュー① 齊藤誠論文編で論じたように、「MMTのモデルケース」は現代日本ではなく、全ての時代の全ての国であるからです。

現代日本のような、莫大な政府債務を抱えながら財政危機を起こさない国が、MMTの正しさ(というより、主流派経済学の誤り)を示す好例である、ということがあくまで言えるというだけで、日本政府が取っている政策がMMTの推奨するものであるなどという意味では全くありません。

また、中央銀行による量的緩和が、MMTの推奨するものであるかのような文言も、端的にいって論外です。

というのは、MMTはそうした量的緩和を、無意味、ないし場合によっては有害(緊縮的)であると批判してきたからです。(このことについては、拙note:『ニューケインジアンの金融政策無効論、MMTの金融政策無効論』にて詳説しています)

量的緩和の経済的帰結1

量的緩和の経済的帰結2

量的緩和の経済的帰結3


また、『量的緩和によって安く公的借入出来ている』という徳永氏の認識も事実とは異なります。

というのは、日本の国債金利は、量的緩和以前から、一貫して低水準であるからです。

日本の長期金利

引用元

この点をより詳細に検討するには、まず短期国債金利と長期国債金利を区別して分析する必要があります。

まず、短期国債(日本では国庫短期証券)は、拙note『中央銀行の存在意義と機能限界』でも解説したように、その売買等を通じて、銀行間市場における準備預金の融通価格(銀行間市場金利)を誘導するために用いられています。

したがってその価格は、裁定的に政策金利に収斂していくことになります。短期国債金利が低いとしたら、それは単に政策金利が低いことを反映しているだけで、量的緩和とは一切関係ありません。

政府支出、国債発行、国債返済、徴税

統合政府アプローチ1

統合政府アプローチ2

銀行間市場金利と短期国債金利の収斂

(また、先ほどのスライドで少し触れていたポイントなのですが、超過準備付利による政策金利操作という政策手法が開発された現在においては、量的緩和はもはや将来における低金利政策を約束するものにすらなりません。準備付利利上げによって政策金利を引き上げることが可能になるからです。このとき、短期国債金利は裁定的に超過準備付利と一致するように価格変動することになるでしょう。)

参考・推奨リンク:
ビル・ミッチェル「赤字財政支出 101 – Part 3」(2009年3月2日)
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日)


次に長期国債に移ります。

既に先ほど載せたグラフではありますが、改めて再掲しておきます。

日本の長期金利


上図の通り、累積政府債務は右肩上がり(GDP比でも200%を超えた)であるにも関わらず、国債金利は一貫して低下してきました。

重要なことに、こうした低金利状態は、異次元緩和以前から一貫しています。

この事実から、徳永氏の「量的緩和によって安く公的借入が可能となった」という理解は端的に誤りではあるのですが、問題はなぜ(政府債務膨張に関わらず)このような低い長期国債金利が生じたかです。

まず第一に、長期停滞型の不況に陥った日本では、潜在貯蓄>実投資の不均衡が顕在化しており、それによって経済全体に低金利圧力がかかっているということが挙げられます。(この点について詳しくは、拙note『なぜ異次元緩和は失敗に終わったのか』、『アベノミクス(ないしリフレ派)の理論、及びその欠陥(マニアック)』をお勧めします。また、齊藤誠論文のレビューでも軽く扱っています。)

また第二に、既に論じたように、短期国債金利が金利政策の一貫としてある程度の価格固定を受けることが挙げられます。当たり前の話ですが、長期国債は”将来の短期国債”であり、将来時点ではその価格が(何かしらの政策金利に従って)固定されています。ですから、将来の予想価格(要するに将来の政策金利予想)に逸脱しない範囲で価格裁定が生じることになります(*自国通貨建てかつ管理通貨制度の場合)。

加えて、量的緩和が長期金利に対して低下圧力を掛けるとは限らないということは、史実からも裏付けられます。アメリカのQEです。

QE1と長期金利

QE2と長期金利

QE3と長期金利

FRBの量的緩和政策(QE)と「米長期金利」より引用)

アメリカでは反直観的にも、QEの間に長期金利が上昇し、QEが終わると共に長期金利が低下するという事象が観測されました。オペレーション・ツイスト(短期国債を売却し、長期国債を購入するオペ)などが行われていたにも関わらずです。

一説では、信用緩和的な政策(特にMBS購入など)を伴ったことから、市場がリスクオン傾向となり、その結果として安全資産全般の利子率が上昇した影響を受けたのではないか、などと言われています。何にせよ、量的緩和それ自体が公的借入コスト(長期国債金利)を引き下げるわけではない、ということは承知しておく必要があるでしょう。

(例外として、現在、日本銀行が実行しているイールドカーブコントロール [YCC] は、長期金利を直接誘導しているため確かに公的借入コストの低下に繋がっていますが、重ね重ね言う通り、こうした非伝統的金融緩和より前から長期金利は低水準でしたし、何よりYCCはいわゆる量的緩和とはかなり毛色の異なる政策であることには注意しておきましょう)

まとめると、徳永氏の「量的緩和が公的借入コストを引き下げている」という認識は事実誤認である上、MMTが量的緩和を特別推進・志向している事実もない(徳永氏の思い違いである)ということです。



②徳永氏は、財政拡大が停滞している現実を踏まえていないし、MMTerがジョブ・ギャランティを主張する意味も分かっていない

さて、アブストラクトの続きを読んでいきましょう。以下の徳永氏の主張も、MMTの主張に対する大いなる誤解に基づいています。

This paper argues that the economic and financial situations in Japan have provided little support for the MMT view, for these reasons: (i) The huge issuance of public debt by the government and the large-scale supply of monetary base by the BOJ did not create enough new money required to revive the economy as a whole, contrary to the MMT view that the issuance of sovereign currency can easily achieve full employment.
拙訳:この論文は、以下の理由により、日本の経済的および財政的状況は、MMTの見解をほとんど支持していないと論ずる:(i)政府による公的債務の大規模な発行および日銀によるマネタリーベースの大規模な供給は「主権通貨の発行は容易に完全雇用を達成できる」というMMTの見解に反して、経済全体を復活させるのに必要な十分な新しい貨幣を創出することはなかった。

また、徳永氏は "II. Who creates new money? "で日本の異次元緩和(QQE)がいかに無効であったかを論じた上で、以下のように結論づけています。

In short, it can be analyzed that both the huge issuances of public debt by the MOF and the large-scale supply of the monetary base by the BOJ could not create enough new money required to revive the economy as a whole, contrary to the MMT view that the issuance of sovereign currency easily brings the economy to full employment.
拙訳:要するに、財務省による公的債務の大規模な発行と日銀によるマネタリーベースの大規模な供給という組み合わせは、「主権通貨の発行が容易に完全雇用を実現する」とするMMTの見解に反して、経済全体を復活させるために必要な十分な新しいお金を生み出せなかったことが分析できる。

この徳永氏の主張は、以下の二つの点から完全に間違っています。

一つは、政府財政は十分な拡大を見せていないということを見落としているという点、もう一つは、何故MMTerが裁量的財政政策を批判してジョブ・ギャランティを主張するのかという理論的骨子に対して無知である点です。

第一の点について、まず日本における政府支出の推移を確認しておきましょう。

日本の政府支出(歳出)の推移

引用元

日本の政府支出は財政構造改革(1997年)以降、伸び率が大きく抑制されており、政府支出抑制傾向はアベノミクス下においても変化していません

(*ちなみに、余談ですが、財政赤字単体で財政と経済の関係を論じるのはミスリーディングなことに注意しておきましょう。歳出は基本的に外生変数ですが、歳入は内生変数であるからです。例を挙げて考えてみましょう。例えば、歳出を増やして国民所得が増加し、その結果歳入が増えたとしたとします。この場合、財政赤字 [歳出-歳入] が変化していなくても、財政政策が国民所得増加を促したことになります。逆に、国民所得低減による歳入減が持続し、財政赤字が継続的に続いていても、歳出が増えていない限り、拡張的な財政政策が打たれたとは言えません)

政府+日銀で大規模な財政政策が打たれたとする徳永氏の認識は、現実の財政指標からは乖離しており、この時点で、徳永氏の主張は根本的に瓦解していると見なさざるを得ません。

そもそも、異次元緩和(QQE)がMMT的政策であるかのように論じていること自体、またQQEが財政拡張と同義であるかのような理解自体、極めて誤謬含みでしょう。

先にも論じたように、MMTerは量的緩和それ自体が総需要拡張的ではないことを以前から指摘しており、財政政策を二の次にして非伝統的金融政策に注力する一部ニューケインジアンの主張に対して、大いに批判的であり続けていました。この意味でMMTはいわゆるリフレ派とは対極にあるのです。このことを徳永氏はご存知ないため、徳永氏の議論が混乱したものとなってしまっているという印象です。

参考・推奨リンク:
ニューケインジアンの金融政策無効論、MMTの金融政策無効論
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げは信用を拡張しない」(2009年12月13日)
ビル・ミッチェル「準備預金の積み上げはインフレ促進的ではない」(2009年12月14日)


徳永氏の主張の瑕疵はそれだけではありません。第二の問題として、MMTerの裁量的財政政策批判とジョブ・ギャランティ提唱の意味を見落としているという点が挙げられます。

呼び水政策とのデメリット

呼び水政策と的を絞った支出

MMTerの呼び水政策批判とジョブ・ギャランティ

”大雑把な”財政政策が、一部主体(大企業など)での利潤蓄積を通じて、不平等なインフレーションを惹起しうるという懸念は、MMTにおいても(ポストケインジアン的なマークアップ原理・フルコスト原則に基づいて)意識されているのであり、だからこそ(完全雇用なきインフレを懸念して)ジョブ・ギャランティのような『的を絞った支出』が施行されるという論理構造になっています。

つまり、MMTにおいてでさえ、財政拡張それ自体が単純に完全雇用を実現すると主張されているわけではなく、自国通貨発行権のある政府においては、完全雇用を実現するための政策に対する(金融的な)制約がないと主張されているに過ぎないわけです。

というわけで、徳永氏のこの主張は、日本の政府支出規模に関する事実誤認に基づいているだけでなく、MMTの政策主張についての誤解を含んでいる(いわゆるリフレ派的主張との大きな差異や、裁量的財政政策批判が踏まえられていない)ことになります。



③国債発行とそのオペは金利政策の手段として(のみ)機能するということが分かられていない

さて、論点としては繰り返しになりますが、要約内の以下記述もやはり問題です。

(ii) It is difficult for Japan’s monetary authority to manage the government bonds market under the multicurrency-based shadow banking system, opposed to the MMT hypothesis that purchasing government bonds is discretionally determined by monetary authorities without a financial constraint.

拙訳:(ii)国債購入が金融当局によって(金融的制約なしに)裁量的に決定されるとするMMTの想定とは正反対に、日本の通貨当局が複数通貨ベースのシャドーバンキングシステムの中で国債市場を管理することは困難である。

恐縮ですが、先ほどと同じ図を再掲しておきます。

統合政府アプローチ2

銀行間市場金利と短期国債金利の収斂

上記のように、国債は銀行間市場金利が下がりすぎないようにするために発行される金融政策手段にすぎません。

長期国債金利については、現在消費と将来消費の選択(要するに消費と貯蓄の選択)の影響を受けて変動し得ますが、短期国債金利は、構造的に必然的に政策金利に裁定的に一致します。このことから、将来の(短期)国債金利が暴騰する、という予想は成立しません。

当然ながら一応留保しておくと、こうした議論は、あくまで変動相場制を採用した自国通貨のある政府における話です。

MMTにおいても、当たり前ですが、固定相場制や通貨同盟といった特殊な通貨制度の分析もカバーされています。

為替制度・通貨制度 in MMT

固定相場制と金本位制 in MMT

通貨同盟・共通通貨制 in MMT

固定相場制と変動相場制の比較

詳細な解説は拙著に譲りますが、あっさり言えば、為替制度が固定的になればなるほど、財政政策スペースは制約されることになり、また外貨債務デフォルトなどの財政危機が生じやすくなります。(財政危機・通貨危機の類型の分析については、拙note:『日本は本当に財政危機? ―世界各国の財政破綻例を見てみよう』を勧めます)

周知の通り、日本は自国通貨発行権を持つ変動相場制の国家ですから、この種の不安定性に晒されている国ではありません。(固定相場制の国のような、外貨借入による為替レート防衛などのようなことは当然行われていないため)

したがって、徳永氏が「国債市場管理は不可能」と主張する説得的な根拠は乏しいと考えざるを得ません。

国債があくまで自国通貨建ての市場で取引されていることを鑑みず、『複数通貨』を議論に組み込もうとするのも、徳永氏の金融システム理解不足に起因した重大な混乱のように見受けられます。

さて、論文中で徳永氏が『日本の通貨当局が複数通貨ベースのシャドーバンキングシステムの中で国債市場を管理することは困難』と主張する論拠は、III. US dollar and Japanese yen in a multicurrency-based shadow banking system を読む限り、単に『外国人の日本国債保有者の比率増加』という事象にのみ基礎付けられるようです。

外国人保有者が増加するメカニズム(ドルの”円転”)については興味深かったですが(詳しいメカニズム分析については、内閣府の日本国債市場における海外投資家の動向がおすすめ)、外国人保有率の増加それ自体が国債市場管理を困難にするという明確な理路は明らかではありません。

むしろ”円転”による外国人の円建て資産保有増加(*日本国債の外国人保有比率の増加は、円建て資産保有それ自体の増加を反映したものに過ぎない)は、日本およびアメリカの金利政策条件を”所与”として生じており、金利政策の遂行を所与とするなら、金利政策手段としての国債価格が整合的な水準に安定することも所与として考えなければおかしいでしょう。

仮に問題視するとすれば、金利政策変更や、経済状況変化による為替レートの変化でしょう。 実際、2020年3月20日現在、コロナ関連による流動性不安のため、ドルへの”巻き戻し”が生じ、為替レートは若干の円安に向かっています(ソース)。ともすれば、先ほどの”円転”メカニズムを考慮すると、米国FRBの利下げが、”円転”の巻き戻し方向に働いた面もあるかもしれません。しかし、それによって日本国債金利が急騰したかというと、お世辞にもそうは言えないというのが現状です。

今後も、金融政策(金利政策)の方針と反する形で国債価格が乱高下することは考えにくいという事実を十分に押さえておくべきでしょう。




④マネタイゼーション(というよりOMF)による金融脆弱性の蓄積?

要約の末尾は以下の文で締めくくられています。

(iii) The monetization of public debt backed by the BOJ, which MMT regards as an example of success, could lead to a perverse outcome--the buildup of financial fragility in the real estate market. In conclusion, the monetization of Japan’s public debt, applauded by MMT advocates, would leave the burden of the vast costs of its failure to our children in the future.
拙訳:(iii)日銀による公的債務のマネタイゼーションは、MMTでは成功例と見なされているが、逆の結果、すなわち不動産市場における金融脆弱性の蓄積につながる可能性がある。結論として、MMTの支持者から称賛される日本の公的債務の収益化は、将来の失敗に伴う莫大な費用の負担を子供たちに押し付けることになるだろう。

量的緩和(異次元緩和)それ自体はMMTの主張ではないし、"成功例"でもないということは既に ①低コストでの公的借入は量的緩和によるものではないし、また量的緩和政策はMMTとは関係ない で論じたので繰り返しません。

ただ、確かにMMTerは、レイやミッチェルを筆頭にして国債廃止を提唱してはいます(いわゆる明示的財政ファナンス:OMF:Overt Monetary Financing)。しかしながら、それは金利政策への懐疑論や、国債が事実上の政府年金として機能し、分配不平等を拡大しているという実態への批判という文脈において提唱されるものです。一見すれば単なるマネタイゼーションに見えるかもしれませんが、資金調達のために直接国債引き受けをしろと主張しているわけではありません。レイミッチェルが明らかにしているように、現在の財政システムは既に財政ファイナンスなのであって、それが分かりにくく装飾されているに過ぎないためです。(ミッチェルが国債廃止論をわざわざ”明示的”財政ファイナンスと呼称しているのはこのためです。)

同じ図で恐縮ですが、なぜ国債が資金調達手段ではないのかを理解するには、実際の財政オペレーションを統合政府レベルで理解することが重要と思われるので、再掲しておきます。

政府支出、国債発行、国債返済、徴税

統合政府アプローチ1

統合政府アプローチ2

この意味で、”マネタイゼーション”をMMTの主張と認識しているの徳永氏の理解は誤謬含みで(*現代通貨制度を採用している国は、いついかなるときもマネタイゼーションに服している)、もし問題視するとしても、国債発行禁止、OMFによる事実上の恒久的ゼロ金利政策に対してであるべきでしょう。

さて、となれば、ここで真に論点にすべきなのは、マネタイゼーションというより、ゼロ金利政策それ自体が金融脆弱性を齎すとする徳永氏の主張の是非です。

低金利がバブル誘発的という認識はエコノミスト界隈では確かに支配的で、おそらくヴィクセル的累積過程のようなメカニズムが念頭にあるものと思われます。

しかし、これに異を唱える向きもあり、その筆頭がベン・バーナンキです。バーナンキはFRB議長を務めていた最中の2010年、Monetary Policy and the Housing Bubbleというスピーチの中で、政策金利の高低が必ずしもバブル発生の可否を決めるとは言えないと論じています。

まずバーナンキは、アメリカの政策金利の推移と住宅価格の推移を示しています。

米国の政策金利と住宅価格

(上記スピーチより)

灰色の部分は、他のファンダメンタルズを元にモデル計算した予測値の範囲であり、要するに灰色部分に収まっていたなら(他の経済指標に比して)妥当な範囲に収まっており、灰色部分を逸脱しているなら(他の経済指標に比して)トレンドから外れているということを表しています。

つまり、このグラフから言えるのは、政策金利が他の経済指標からの予測値に比して低すぎたというわけではないにも関わらず、住宅価格が外れ値的な高騰を起こしていたということです。

次に、バーナンキは以下のグラフも示しています。

金融政策態度と住宅価格上昇率の比較

(上記スピーチより)

このグラフは、テイラールールで導出される金利からの差の平均と、実質住宅価格の上昇率を国別にプロットしたものです。

要するに、インフレ率の違いや、GDPギャップの違いを考慮したとしても、金利の高低と実質住宅価格の上昇率の間のリンクは国際的には認められない、というわけです。

バーナンキはスピーチの中で「バブルの源泉は金融政策ではなく、不適切な民間金融慣行にあったのであって、対応策は金融政策ではなく金融規制であるべき」という旨を結論づけています。

このように、低金利政策を直接バブル醸成的と結論づけるのはいささかならず早計のように思われます。どちらかといえば、金融規制・監督の不足であるとか、ミンスキー的なプロセス(金融不安定性理論)を念頭に分析されるべきでしょう。

となれば、MMT的なOMF(明示的財政ファイナンス)それ自体がバブル誘発的とする徳永氏の立論は、あまりバブルの実際にはそぐわないと考えられます。[*ただし、長期停滞型不況におけるゼロ金利〜マイナス金利と量的緩和(による銀行からの有利子資産の”剥奪”)の組み合わせが、銀行収益の過剰圧縮によってリスキーな投融資を誘発し得るという問題は確かにあり、このことについては後に触れます。]

むしろMMTはミンスキー的な金融経済理解を継承し、金融規制・監督の重要性を強調する傾向にありますので、徳永氏の理解は完全にあべこべであるとまで言えるかもしれません。

例えば、徳永氏は IV. Backing to the end of bubble economy in the second half of the 1980s において、日本の1980年代後半のバブル景気の中で、外国人投資家が株式市場の混迷を利用して莫大な利益を得たことを批判した上で、「MMTはこうした動きを無視している」と主張しているのですが、むしろMMTer、特にレイなどは、ミンスキーのマネー・マネージャー資本主義批判を”継承”して、そうした金融部門の”収奪”をむしろ敏感に批判しているということを徳永氏がご存知ないだけではないかと見受けられます(参考:The Rise and Fall of Money Manager Capitalism [Wray&Tymoigne]とそれに対するリッキーさんのレビューMMCに関するレイの論文その①その②その③その④

徳永氏の藁人形論法的批判はまだまだ続きます。

徳永氏論文の V. Heating of the real estate market では、QQEやマイナス金利によって収益手段を奪われた銀行がリスキーな投融資(特に顧客の不動産投資の支援)に手を染めており、こうした金融脆弱性の亢進を「MMTは無視している」と主張しています。しかし、量的緩和が収益圧縮により銀行収益にデフレ的に働くというのは、レイとフルワイラーが2010年の時点で既に指摘していたのであり(推奨:ニューケインジアンの金融政策無効論、MMTの金融政策無効論)、それが銀行の投融資を萎縮させるか、よりリスキーな投資に走らせるかの二択を強いる可能性があるという構造は、むしろMMT的枠組みにおいてより鮮明に整理されるところです。(銀行収益圧縮がリスキーな投融資を促してしまうかもしれないという問題意識については、例えばケルトンが触れています

徳永氏は、MMTがQE批判の急先鋒であることを知らないせいで、QQEとMMTという”水と油”の存在を迂闊にも混同してしまい、それによって、本来MMTに近い認識の部分をMMT批判に用いるという、完全な錯乱状態に陥ってしまっています。



⑤いつもの日銀債務超過論について

徳永氏は最後の章 VI. What will happen when the BOJ stops the QQE? にて、出口戦略において日銀が(長期国債金利の上昇=長期国債価格の低下により)債務超過に陥り、財政的補填が必要になってしまうことを問題視しています。

既に散々繰り返したように、異次元緩和(QQE)はMMTが称揚するところではないので、わざわざMMT的にQQEを弁護・擁護する筋合いもないのですが、それはそれとして、中央銀行単体の債務超過を問題視することの無為性は確認しておいた方が良いでしょう。

既に示した統合政府レベルでの金融財政システムのまとめを改めて再掲しておきます。

政府支出、国債発行、国債返済、徴税

統合政府アプローチ2

ここにおいて、中央銀行単体の債務(負債)超過にフォーカスしすぎる意味はあまりありません。民間の支出判断に影響するのは、統合政府全体での負債レベル(民間から見ると資産)であるからです。

また、中央銀行の負債は、金利がゼロ、あるいは極めて金利の低いベースマネーが主なので、収支面で見ても、中央銀行単体の債務超過が加速度的に膨れ上がる、ということはやや想像しがたいように思います。ただし、超過準備付利を積極的に導入する場合は、この収支バランスも崩れる可能性があります。しかしその場合も、統合政府レベルで見れば財政収支の話と一緒で、統合政府レベルでの”赤字”がインフレ促進的かどうかは、経済全体の生産キャパシティ(の成長率)に対して赤字が大きすぎるかどうかというところに依存するのであって、即座に高インフレを”約束”するものにはなりません。

加えて、統合政府レベルで見れば、統合政府全体でのバランスシートおよび収支設定がインフレ促進的かどうかは、ほとんど財務省、財政政策が決定するところです。というのは、上記に示した通り、統合政府の負債レベルを決定するのは概ね財政政策であり、金融政策は統合政府の内訳を弄る(ベースマネーと国債を適宜交換する)に過ぎないからです。

(もっと細かい話をしておきましょう……例えば、中央銀行の保有国債の市場価値があまりにも小さくなり過ぎてしまい、売りオペによる政策金利誘導が難しくなる場合は、FRBがMBS購入オペなどをしていた際と同じ手法で、政府から中央銀行へ無償で国債を付与すれば、オペ資産の不足問題が解消されます。このことは別に、統合政府レベルで見たポジションを特に変化させません。”部署が違うことの混乱を、融通効かせて回避する”というレベルの話で、マクロ的には結局、『統合政府が金利調整のために債券を適宜売りオペする』という構造に変化がないためです。当然ながらそれ以前に、そもそも金利政策による総需要自体が本当に望ましいのかという問題があるわけですが)

少しばかりテクニカル過ぎる話になってしまいましたが、要するに、中央銀行単体ではなく、統合政府レベルでの負債水準に注目すべきであり、統合政府レベルでの負債水準と実物生産キャパシティのバランスが、インフレ促進的か否かを決定する主要ファクターであると理解しておけば良いと思います。

「将来のツケ」とやらを決定するのも、中央銀行単体のB/Sではなく、統合政府の負債レベルです。これが過大か、過少かというのが問題になりますが、ディスインフレ型の不況が持続していること、もっと遡れば、1980年代には既に”バブル経済がなければ十分な総需要が維持できない”という状況にまで陥っていたことを鑑みれば、一般的な見解とは異なり、むしろ統合政府の負債レベルは概ね過少であったし、今も過少である、と考えるべきであるように思います。となれば、残される「将来のツケ」などというものは存在しないことになります。(ここらへんの詳細な「将来のツケ」問題については、拙note:『政府債務は「将来世代の負担」なのか?』をお勧めします)

むしろ、「将来のツケ」として気にしなければならないのは、下記に示すような、緊縮財政による将来の生産水準の低下なのではないでしょうか。

本当の意味での将来のツケ回し



⑥和解への道

ここまで舌鋒鋭く批判しておいて何を今更、となるかもしれませんが、上記を通読いただければ分かるように、徳永氏の大体の問題意識と、MMTの問題意識は、少なからず似通っています

もちろん、見解として異なる部分も少なからずあります(低金利政策とバブルの関係、財政の持続可能性、自国通貨建て国債市場の構造……)が、金融不安定性の問題意識は共通しています。

なぜ徳永氏がそのことに気づかないのか? それは恐らく、アベノミクス、リフレ派、異次元緩和(QQE)といった、本来MMTとは掛け離れたアイデアを、MMTと同一視してしまって、一緒くたに批判するという致命的なミスに陥っているからだと思います。

このように、MMTの政策主張自体を誤解したり、MMTとは乖離した政策主張とMMTを混同したりすることで、論考が根本的に混乱してしまうのは、齊藤誠論文村瀬英彰論文と同じ構造の誤謬パターンとなっています。

どうか、MMTについて真摯に学び、有意義な議論へと発展させる努力を惜しまないで欲しいと心から願うものです。そうすれば、完全に一致することはなくとも、より討論が建設的なものとなるでしょう。それが”和解への道”であると僭越ながら考える次第です。



(以上)

※ここまで通読いただきありがとうございました。ご質問、ご指摘、いつでも募集しております。適宜対応させていただきます。

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