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同情の余地とか勝手に決めるな

このキャラクターの行動は極めて悪質であり、行動の動機も身勝手なものである。被害規模も大きく、被害者はたぶん苦しんだ。残忍な悪行だ。つまりこいつはものすごく悪い奴であり、同情の余地はない。
(よくありそうな例文)

知ったことか。

わたしは創作物のWikiを見るのが好きだ。ファンメイドの大百科や大辞典。これらは情報量が多く、愛が伝わってくるので読んでいて非常に楽しい。ただ悪役や小悪党のページには、よくこういった文章がある。これはあまり好きではない。

同情の余地があるかないか。それは読み手が判断することだ。書き手が勝手に決めていいものではない。書き手が絶対に許せない極悪人だろうと、それは同じだ。同情するかしないかは読み手の頭の中で決める。そこに干渉していい人間などいない。

例えば、このnoteの末尾に「このnoteはめちゃくちゃ面白いので、すぐさまスキを付けた上にあらゆるSNSアカウントを駆使して拡散しなければならない」と書いてあったとして、あなたはそれを守るだろうか?

おそらく守らないし、守りたくもないと思うはずだ(でもちょっと守ってほしい)。なぜなら、それらは全てあなたが判断するべきことだからだ。そこに余計な口を挟まれたから腹が立ったのだ。

心の領域

文章は心の中から生まれてくるものだ。だからこれは絶対に正しいとか、あれは絶対に間違ってるとか、そういう風に書いてもいい。自分の心の中から生まれてきたからだ。だが、それを世に出そうとするのなら頭に入れておくべきことがある。それは他人にも心があるということだ。

「何を当たり前のことを!」そう思うかもしれない。だがこれは見落としがちなことでもある。文章を世に送り出すと、必ず読み手がつく。読み手は他人だ。時々自分で読むしかないこともあるが、それはまあ今はいい。大事なのは読み手は人間であり、文章を読むマシンではないということだ。

前述のような、自分が絶対だと確信することを書いた場合、読み手は絶対に共感するだろうか? そうはならない。読み手には心があるからだ。書き手が絶対に正しいと思っていても、読み手は時と場合によるとか思っていたり、逆に絶対に正しくないと思っていたりする。

だが、それに納得できないからといって「これは絶対に正しいからお前もそう思え!」とか「あれは絶対に間違っているからお前もそう思え!」とか書いてはならない。それは読み手が判断すること、つまり心の領域の問題だからだ。書き手が口を出していい場所ではないし、そもそもそんなことは求められていない。

文章の力

文章は所詮、一人の意見が形をとったものに過ぎない。ゆえにそれを強制することなどできない。そんな力はない。ただの意見だからだ。強制してしまえば、それは暴力に姿を変える。それも脳幹を銃撃されるような暴力ではない。塩酸を引っ掛けられるような、そんな暴力だ。

渾身の文章が人の心を動かすことはある。だが、それは文章だけの力ではない。読み手の心と文章が共振して、初めて感動が生まれるのだ。どちらか一方が欠けていては何も生まれない。

友達に「めちゃくちゃ感動するから!!!」と押し付けられた本があんまり合わなかったとか、逆にものすごく面白かった本を勧めても微妙な感想を言われたとか、そういう経験があなたにもあると思う。つまりはそういうことだ。

感動しなかったのは本のせいか? 違う。少なくとも友達には感動する作品だったのだ。面白くなかったのは本のせいか? それも違う。少なくともあなたにとって素晴らしい作品だったのだ。ただ、読者が違うから感想も違った。それだけのことなのだ。

もし友達が「いや、感動しないのはおかしいから! 絶対感動するはずだから!!!」とか言ってあなたを監禁して椅子に縛り付けて一日中その本を読ませても、表面上の意見以外は何も変わらないだろう。

だが、一年十年経って何の気なしにその本を読み返すと、驚くほど感動できた……ということはあるかもしれない。本自体は何も変わっていない。読み手が変わり、抱く意見が変わったのだ。

意見は絶対のものではない。人間なのだから生きていれば徐々に変わっていく。同じ本を読んでも、ゲームで遊んでも、生まれる感想は一人一人違う。それで当然なのだ。人生は一人一人違うものなのだから。

そしてだからこそ、他人の心の中にある「意見」を強制してはならないのだ。それは他人のを否定する行為なのだから。

未来へ

このnoteはわたしが不満に思ったことを書いた。だが、それだけだ。

あなたは「何を言ってるんだ」とむしろ不満に思ったかもしれない。

「その通りだ」と合点したかもしれない。

「ふーん」で終わったのかもしれない。

でも、それでいいと思う。わたしはあなたではないのだから。

(おしまい)

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それは誇りとなり、乾いた大地に穴を穿ち、泉に創作エネルギーとかが湧く……そんな言い伝えがあります。