依存と仲間
学校が苦手だったし、友達づきあいもあんまり経験してこなかった(特に思春期以降)
人の輪に入っていくのが苦手で、どこにも居場所がないと思っていた。
特に珍しいことではなくそういった方って結構いらっしゃると思う。
だから自分のことをわかってくれる、と思った人にはとことん執着したし、それによって相手を参らせるまで束縛したり嫉妬したりしていた。
人間関係の幅が狭かった故。
30代後半でハワイ島に留学して、日本でリアルタイムにできなかった学校生活というものを過ごして
初めて学校って、、、楽しい!と感じた。
日本と違うのもよかった、貴方は貴方、私は私、同調圧力なんてなかったし、人のことは基本ほっておいてくれた。
それでもまだ人とのつながりを感じられず、閉じたままで一緒にいた同性代の友達に
「みんなで成長していくことはできないの?」
といわれた事があって、人と関わって何かする、過ごす、認める、受け入れる、伝える、という基本的な事ができず、何か気に入らない事があると離れていく私のスタンスから言ってくれた言葉だと感じている。
当時その言葉の意味がよくわかっていなかった。
それでもハワイ島の生活は私の硬い何かを柔らかくしてくれた。
さて、日本に帰ってきてこの性格を持て余し、今後どう生きていってよいかにっちもさっちもいかなくなりヒーリングを学ぶこととなる。
ヒーリングスクールで仮面は剥がされ、みたくない自分が見えて、さらにそのもっと奥にあった本質に触れたとき、私は初めて人生で欲しかった何かを手に入れたような気がした。正確に言えば、欲しかった何かは実はすでにあったもので、私とずっと一緒にいたものだった。
そして人はすぐ忘れる。
肉体を持つ人生、毎日の生活、何かある毎にトリガーされる傷とその無意識の反応、体の強張りから、精神のフリーズから、恐怖や倦怠感など
そのたび、そのたび、一つ一つ、傷を丁寧に取り扱って、癒していった。
仲間も同じだ。
この不完全な者同士、仲間の中で成長させてもらったし、多分私も仲間の成長を何かお手伝いしていたと思う。
ハワイ島で言われた、「みんなで成長していくことはできないの?」という言葉が身にしみてわかった時期だった。(今も続いている)
そして、今まで生きてきて関わってきた人たちみんな、何かしらの傷を持ち生きていること、みんな本当に上もなく下もなく同じなんだって事がわかった。違いはある。だけど同じなんだって感じた。
そうすると友達でも友達でなくても道ですれ違う人、何か関わる人(役所の人とか、病院の受付とか、お店の人とかなど)、全ての人に私は依存するようになった。自分をオープンに、その人の役割があったとしたら(例えばスーパーのレジを打ってくれる人の役割)その人の役割に依存するようになった。
友達ではない、誰かと遊ぶようになったし、そして友達に発展することもあったし、知り合いで終わることもあった。
でも気にしない。
その時に気持ちいいように過ごす事が出来るようになってきた。
本質に触れると、悟ると、目覚めると、覚醒すると、その前後って明確に分かるものなのですか?
という質問がよくあるそうなのですが、ある覚者のお話によると、
明確なものはなくて、深まっていくものなのだそうだ。
だって人はすぐ忘れるし。
話が逸れてしまったけれど
仲間に依存しながら
そうでない人にも依存しながら
私は生きている
あんなに依存はいけないって思っていたときは
実は依存出来ていなかった。
今は、生きるにはたくさん人に依存していいんだって思っている。
ああ、久しぶりに長くつらつらと書いてしまった。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます
最後にお知らせさせてね
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