「自分の人生を生きる」ために会社辞めたのに、「他人と比較すること」が1番大切だと思った話。

「他人と比較するな」
「自分の人生を生きろ」

的な耳障りの良い言葉が増えてるけど、死ぬほど比較しろよって思う。


自分なんてものは、他者との相対関係においてしか認識されないから。大事なことは、他人と比較したうえで、劣等感やエゴを暴走させたり、人の悪口を言ってみたりするのではなく、「じゃあ自分はどうしよう?」と前向きに考えること。


誰とも比べない人生があるとしたら、それは流行りの「好きなことで生きる」でもなく、「自分らしさ」でもなく、行き着くのは「自分を殺す」でしかない。いきなり「自分を殺す」とイカツイ表現をされても困ると思うので、詳細はこのあと記していく。比較しながら絶望と希望を味わい、ポジティブに自分を見つけるだけ。


「俺がやりたいから」「俺が好きだから」という心の故郷を忘れることなく、相対世界の中でバトルしていく。それは、誰かに勝って承認欲求を満たすことでもなく、お金を稼いでブイブイ言わせることでもなく、その行為こそが「自分らしさ」を磨いてくれるから。


他者を知るからこそ、自分を知れる。外を知って、内を知る。それは、警察に賄賂目的で逮捕されたり、外を歩けないほど治安が悪いケニアに行かなければ、僕も日本の本質的な良さなんて理解出来なかったのと同じだ。勿論、地元から出たことない人を否定したい訳ではない。その幸せを今では心底理解してるつもりだから。


「女酒金」と「誰かをぶっ潰す」という理由でサイバーエージェントに入社した。スマホの向こう側の人と、SEXしまくりたかった。めっちゃうまい飯を食い漁りたかった。ましてや、人を潰したいからIT業界に来る奴は、そうそういないだろう。

この時は自分軸なんてものはなくて、エゴを暴走させ「1年で成果残して辞めてやる」としか考えていなかった。

今思い出せば恥ずかしいけど、「ワークライフバランスが〜」「メガベンチャーで安定だから〜」「CAブランドが〜」とか言ってる人に対して、ヘイトブログとヘイト社内日報を毎日社員8000人に向けて発信しながら、自分を震え立たせていた。

それは他者を否定することでしか自分を肯定できない圧倒的な自分の弱さであり、今では本当に申し訳ない気持ちで溢れてる。誰かの人生を否定する権利もなければ、どんな人生にも肯定できる統合性を持ち合わせている(つもり。)


当初の予定通り、営業では新卒という括りなしに、AbemaTVの広告を売るという部署で圧倒的な成果を残せたし、部署が「接待ありき営業」という特殊な事情からくる「鬼の経費」があったのと、副業で先輩から稼がせてもらってたのも重なり、欲という欲を満たすことができた。スマホの向こう側の人と遊ぶこともできたし、美味い飯もたらふく食えた。


誰かに認められると、その瞬間だけは天にも昇る気持ちになるものの、それ以上でもそれ以下でもないという事実に気付いてしまった。エゴを暴走させ、他人に認められたいという気持ちだけで頑張れる時間には限りがある。そこではじめて「俺って何やりてえんだっけ?」と考え出し、起業した。


この時期には心のコンプレックスが消え始め、誰かを否定してエゴを暴走させることによるエネルギー活用も使用不能になってたし、心の底から他者をリスペクトできるモードになり始めた。そして、「みんな良くて、みんな良い」という悟りモードに突入し、誰かと比較することに何の意味があるのだろう?と感じていた。


悟りモードは2年以上続き、まじで何のやる気も出ずに、1年くらいのネオニート期間を経て、1ヶ月ほど前に終了フェーズを迎えた。


確かにエゴを暴走させて、他者に迎合する時期は誰にでもあるはずだ。他者より優れていたい。モテたい。誰だって思うだろう。

そこから「みんな違って、みんな良い」「人と比較するな」「誰かに認められたところでなんなの?」的に悟りモードへ突入するも、結局は「自分らしさ」という心の故郷を忘れることなく、相対世界の中でサバイブすることが、自分軸をより明確に、より輝かせてくれて、自分の幸せに繋がるんだなという確信に変わった。

「自分らしく生きたい」と思って会社を辞めた結果として、「自分軸という心の故郷を忘れることなく、相対世界で戦うことこそが、自分をより輝かせる」という、そんな螺旋階段が続いていた。


ところで、先月28歳になった。


自分以上になんてなれない。今は何者かではなく、100%の自分になりたい。自分を爆発させる。矛盾的ではあるけど、その手段として相対世界でサバイブしていく。エゴに支配されることなく、淡々と自分のやれることをやる。めっちゃ遅いなと思うが、そんな当然のことを、28歳にしてようやく理解出来た。

一方で、今はやりたいことなんて、本当にない。マジでビビるくらいない。自分の会社を続けるか、どこかに修行で潜るか、ポーカーでお金稼ぐか。


ただ感じることは、起業家とか、会社員とか、フリーランスとか、ポーカープレイヤーとか、社会が用意した肩書きなんてものは、マジでどうでも良い。ただ、自分の弱さと向き合い、エゴに振り回されることなく、鷹揚に今を生きる。そして、振り返ると副次的に、何かの肩書きや成長があったな、という程度なスタンス。


そして、正解なんてない。正解がないことが唯一の正解。自分が選んだ道を正解にするだけ。それを知ること。人生に対する時間軸を短期的ではなく、長期的な視点で捉えること。答え合わせは5年後。そんな気持ちで、余白を持って、今を生きること。これだけがハッキリと言える正解らしきことなんだと、思う。


具体を相当省略して書き殴ったので、ここどうなん?とか、なんか共感したり、意見がある人は、お茶でもしましょう。

それでは、おっぱい!!!


起業してから、元サッカー日本代表の李忠成さんとお仕事させて頂いていた。トップアスリートと過ごす毎日は、金言に溢れていて僕の人生を形成する貴重な経験となった。その中でも個人的にブッ刺さった対談を2つ置いておく。



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