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デブリに触れた水と言い出したのは誰だ2 政治に利用された定型句

加藤文宏


第一回

──「デブリに触れた水」という言葉が定型句のように使われている。X(旧ツイッター)に書き込まれた投稿数は、8月16日から31日までで1,181件と急増した。

負の感情を回収した政治家とジャーナリスト

 ALPS処理水放出の直前から盛んに耳にするようになった表現、「デブリに触れた水」がいつ、どのように定着し、なぜ爆発的に使用されるに至ったか。この疑問を、第一回[デブリに触れた水と言い出したのは誰だ 定型句に支配された風評]であきらかにした(図1-1、1-2)。

図1-1
図1-2

 「デブリに触れた水」が定型句となって使用された経緯で、特筆すべきできごとが二点ある。
 第一点は、元発言の「デブリに触れた水を海に流すのは『なんか嫌』」というふわふわした感情と言葉が、たちまち「処理しても汚染度が高い水」と姿を変え、さらに「未処理の水を放出する」とされるまでになったことだ。
 第二点は、あいまいな感情から、このような事実と異なる二つの虚像が生まれ、虚像をもとに放出に否定的な世論が強化されたことだ。
 だが「拒否感を持っている人の心情を分析して述べた」とする安東量子の発言だけでは、ここまで否定的な世論は広がらなかった。安東発言を掲載した朝日新聞と、「デブリに触れた水」と書くとともに図解を掲載した東京新聞が、人々の不信感を大きな感情のうねりに変える着火点になった。
 こうした経緯は100年前に起こった関東大震災の虐殺事件を彷彿とさせる。
 当時、国内には朝鮮半島出身者を区別し「なんか嫌」と思う感情が漂っていた。地震が発生すると、新聞が「朝鮮人が井戸に毒を入れて回っている」とする流言飛語を伝え、人々の漠然とした感情に火をつけた。
 「井戸に毒」は「なんか嫌」を具体化した虚像である。このとき新聞は、震災への恐怖と不安から生まれた負の感情を利用して、暴動をあたかも事実であるかのように人々に信じさせたのだった。
 いっぽう定型句「デブリに触れた水」から生まれた国や東電へ向かう批判を利用したのは、朝日新聞と東京新聞だけでなく発言数1,181件のきっかけをつくった政党や政治家、ジャーナリストだった。
 今回は人々の感情を猛火に変えて爆発させた政党や政治家、ジャーナリストの「いつ、どのように」をあきらかにする。

機が熟してからやってきた人々

 処理水放出が間近に迫った2023年7月以降、「デブリに触れた水」について発言する顔ぶれが変化した。それまで「デブリに触れた水」と発言していなかった政治家、政党関係者、ジャーナリストが、この定型句を使うようになった。
 彼らは機が熟してからやってきた人々といえる。
 定型句「デブリに触れた水」と語る人々が増えるまで、放出反対の根拠は処理水に含まれるトリチウムだった。新聞、テレビ、XをはじめとするSNSで処理水問題といえばトリチウム一色に染まった。このときトリチウム害悪説を唱えていたのが政治家とジャーナリストだ。
 以前から放出反対を主張してきたジャーナリスト青木美希の発言をXでさかのぼると、2018年から2023年6月までの放出反対論はほぼすべてトリチウムを根拠に語られていた(図2)。青木がはじめて「デブリに触れた水」と発言したのは8月14日で、放出後の8月25日以降は反対する根拠がトリチウムから「さまざまな核種」に移行している。
 2018年から現在までデブリと汚染水と処理水の状態は変わっていないのだから、青木は人々の負の感情を回収して増幅しようと、論点と争点を少しずつ変えたことになる。

図2

 青木以外の例も見てみよう。
 7月から9月前半にXで「デブリに触れた水」と発言をはじめたり、発言が取り上げられて紹介されたのは、やはた愛、尾松亮、青木美希、川森じゅんじ、佐々木ゆう、福島みずほ、烏賀陽弘道、鮫島浩、大椿ゆうこ、小池晃だった(図3)。なおれいわ新選組の山本太郎は、X上での発言はないものの遅くとも7月以降の街頭演説や講演会で「デブリに触れた水を放出してはならない」と発言し続け、現在に至っている。

図3

 山本を除く10名へのXでの反応を見ると、7月8日のやはた愛と青木美希が情報の拡散に大きな影響を与えたのがわかる(図4)。
 6月11日に「デブリに直接触れた汚染水」と発言して、6月以降に発言数が伸長する要因をつくったのがインフルエンサーのエリック.Cだった。このときの反応と比較すると、やはたと青木の表示数はエリック発言の40から60倍だ。
 安東が放出への拒否感を代弁した「デブリに触れた水を海に流すのは『なんか嫌』」という感覚が、やはたと青木の発言でそれぞれ延べ30万人を超える人目に触れるできごとに変わった。30万人規模とは、郡山市や所沢市の人口に相当する数である。

図4

 処理水放出と定型句「デブリに触れた水」の爆発的な広がりから一ヶ月が経過した。
 元参院議員で法大教授だった田嶋陽子が、9月24日放送の読売テレビ「そこまで言って委員会NP」で「私はやっぱり、海が汚れるとか魚の形態が変わってくるんじゃないのかなとか、私は気持ち悪いですよね」や、IAEAグロッシー事務局長について「来た人だって顔色悪かったじゃん」と発言した。翌日の25日に大椿ゆうこの事務所は「事故を起こした原発のデブリに触れた水を流すのは世界初」と発言している(図5)。議員やジャーナリストは、これからも世の中に漂う「気持ち悪い」「なんか嫌」な感情を刺激し続けるつもりのようだ。

図5

囲い込まれたノイジーマイノリティー

 前掲の10例の表示数を合算すると300万回を上回る。
 では「デブリに触れた水」と語る人々は多数派なのだろうか。
 検索サイトのグーグルでグーグルトレンド機能を使用して「デブリに触れた水」や、形態素ごとに分解してスペースを挟み入れた「デブリ に 触れた 水」がどれくらい検索されたかを調べてみた。ところが、これらの検索クエリを用いて検索した人があまりに少なかったため、データを表示させることができなかった。
 そこで「デブリ 水」と簡略化して検索動向を調べると、検索数が少ないだけでなく検索が断続的であった(図6)。

図6

 これは「デブリに触れた水」だけでなく、デブリと水の関係に関心を抱いた人がきわめて少なかったのを意味する。8月に検索数が増えたものの9月に入り減少傾向が現れているのは、「処理水とは『デブリに触れた水』で汚染水である」と言われても「おおごと」と考える人が少なかったからだ。これが限られた少数の人々しか「デブリに触れた水」と言わない理由だ。
 いっぽう「トリチウム」についての検索は検索数が多く、急増急減を繰り返すものの連続的で、人々の興味がかなり高かった(図7)。また検索クエリ「トリチウム」と「デブリ 水」の検索数を比較すると、「デブリ 水」を気にした人は「トリチウム」を気にした人の100分の1程度だった。
 多くの人が気にしたトリチウムも8月の急増から一転して9月は急減傾向にある。「デブリに触れた水」とともに、水に含まれるトリチウムへの興味まで減少したのだ。これも「おおごと」ではないと知れ渡ったからだろう。

図7

 社会調査研究センターが9月3日に行った世論調査で、処理水の海洋放出を「容認」するは83%、「放出はやめるべきだ」は10%だった。この調査結果と併せて考えると、「デブリに触れた水」が「処理しても汚染度が高い水」であったり、「未処理の水を放出する」と考えている層は、典型的なノイジーマイノリティーといえる。
 300万回以上表示されたことで、定型句「デブリに触れた水」に影響される人を増やしたが、同時に放出反対を唱える議員やジャーナリストに厳しい目を向ける人も大幅に増えたようだ。

扇動のためのデブリに触れた水

デブリに触れた水以前

 処理水問題の論点と争点を転々とさせたのは、前述の青木だけではなかった。
 まず放出反対勢は処理水まで汚染水と呼んで、この呼称を定着させようとした。
 その後、トリチウムの害を数年間にわたり叫び続けた。処理水にはトリチウムが含まれるから汚染水とされたのだ。しかし、いっときは説得力があったものの世論は放出容認へ流れた。
 科学的事実の浸透。電気代の高騰と原発停止の関係。福島県に重くのしかかる負担への理解。反原発運動を推進してきた左派政党と特定メディアへの批判。これらが人々の放出容認の考えを後押しした。
 すると放出反対勢は、「当事者である漁民たちの理解が得られていない」から放出するな、「風評被害が発生する」と主張した。
 だが政府は放出実施の方針を変えなかった。
 このとき水面下のできごととして、Xでは定型句「デブリに触れた水」を使って国や東電への不信感を語る者が増えつつあり、れいわ新選組の山本太郎が街宣活動や講演会で支持者にむけて「デブリに触れた水」を語っていた。

デブリに触れた水以後

 Xで定型句「デブリに触れた水」が半月に200件以上使用されて目につく機会が増え、れいわ新選組のやはたが発言すると32,7万回も表示された。政治家やジャーナリストは、定型句「デブリに触れた水」と一体となった国や東電への不信感を増幅しようと試みた。
 放出反対勢は「デブリに触れた水」だから「処理しても汚染度が高い水」と訴えたが、反対派への反感と、科学的な処理水についての説明を受けて宣伝活動は失敗した。
 このため、「デブリに触れた水」から連想されて派生した「様々な核種」へと訴求点が変わった。
 「様々な核種」は、既に科学的な説明が浸透していただけでなく、共産党村井あけみの「汚染魚」発言への批判と、これを受けた共産党の混乱によって大きく盛り上がることなく現在に至っている。

除去土壌受け入れも「なんか嫌」へ

 放出反対勢はALPS処理水をなんとしても汚染水と呼ばせるために、トリチウムにはじまり、「デブリに触れた水」、「様々な核種」と争点を移動させた。
 汚染が事実ならとうぜん発生する「汚染魚」について、放出反対の頭目でもある共産党が村井を処分するだけでなく、党員に「魚」と「汚染水」を語るなと指示を飛ばした。放出反対勢の他党の政治家やジャーナリストも「汚染魚」訴求を引き継がず、村井をまったく擁護していない。トリチウムの生体濃縮説もうやむやになった。
 これは放出反対勢の政治家とジャーナリストが、処理水が安全であることを熟知しているのを意味する。熟知したうえで彼らは、人々が不信感を抱きがちなポイントを取り上げて社会を混乱させてきたのだ。
 もはや放出反対運動が成功する見込みはない。
 彼らは運動の軸足を除去土壌受け入れ反対に移すだろう。反対運動の成否よりも政権や東電を批判するために社会を混乱させるのが目的であるから、今回と同じ手法を使ってノイジーマイノリティーの「なんか嫌」に着火し、騒ぎを大きくしようとするのはまちがいない。
 安東は「除去土壌受け入れは『なんか嫌』」と、また反対勢の心情を代弁するのだろうか。それとも、意図がどこにあるかのちがいを問わず、不用意な言葉を公然と口にする危険性を警告するのだろうか。
 誰かが「なんか嫌」と感じているのは事実だろう。しかし民族への「なんか嫌」が「井戸に毒」となって発生したのが、関東大震災の朝鮮人虐殺事件だったのを忘れてはならない。


余録/関東大震災の朝鮮人虐殺事件

 東京都大田区で暮らす大学生だった筆者は、縁あって挨拶を交わすようになった70代後半と思しき男性に、居酒屋で食事を奢られたことがあった。この数日前に発生した火災が話題になると、男性は関東大震災の経験を語ってくれた。
 男性は台東区で暮らしていた。朝鮮人虐殺の騒ぎが起こるまで「面と向かって朝鮮人に悪口を言う人は、そんなにいなかった。両親が悪口を言っているのも聞いたことがない」という。彼の両親が営む商店には、朝鮮半島出身の使用人がいて何ひとつ問題がなかった。この使用人の扱いも給金も他の者とかわらなかった。
 朝鮮系の人を「好きでも嫌いでもなかった」が、「朝鮮の何々君と呼ぶくらい」自分たちとは違う人々とぼんやり思っていた。周りの大人もそうだったはずだという。これを差別ではなく区別と感じていた。ところが震災のあといきなり「井戸に毒を入れた連中を生かしておくな」になった。
 「なんか違う」のなかに潜んでいた「なんか嫌」ばかりが拡大されたように、筆者は感じる。無機物の処理水と、朝鮮系の人々はまったくちがう。しかし身近な水との区別、同胞との区別が、「嫌なもの」と表現されたあとの感情の暴走は似ている。
 「なんか嫌」と結びついた「朝鮮人が井戸に毒」。「なんか嫌」と結びついた「デブリに触れた水」。どちらも視覚的かつキャッチーすぎる表現だった。「なんか嫌」と感じる微妙な心情と、「なんか嫌」と生々しく言葉にするのでは大きな違いがある。

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