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デブリに触れた水と言い出したのは誰だ 定型句に支配された風評

加藤文宏


改訂履歴/2023年9月23日 21:33 | 安藤量子氏から発言は「拒否感を持っている人の心情を分析して述べた」との意見が入りました。筆者は、そのうえで安東氏が自らの考えに重ね合わせて発言したものと解釈し論考を執筆しました。公開第一版で「発言」とのみ記述していた箇所を、拒否感を持っている人の心情を代弁したとわかるよう改訂しました。

その言葉はどこで生まれたか

爆発的な増加

 「デブリに触れた水」とX(旧ツイッター)に書き込まれた投稿数は、8月1日から31日までで1,181件。いずれもALPS処理水放出反対の根拠とされたり、こうした投稿への批判だった。
 たとえば、

[誰がデブリに触れた水を撒けと言うか]
デブリに触れた水が水道から出てるのか?]
デブリに触れた汚染水と他国が放出している処理水は別物]
デブリに直接触れた水は、含有核種も濃度も違う]
デブリに直接触れた水で炭素14やその他の核種も除去できていないので汚染水と呼ぶ]
[通常運転の処理水とは別物の、 デブリに触れた汚染水
デブリに触れた放射性物質水を含んだを「処理水」として海洋に放出してるのが日本です]

 といった具合に、「デブリに触れた水」や「デブリに触れた汚染水」は、まるで定型句のように使用されている。
 あまりに素早く広範囲に広がり、定型句やスローガンのような使われ方をしていることから、放出反対を叫ぶ政党や活動家が言い出したように思われた。そこで、この言葉を2023年8月から2022年1月までX内でさかのぼって、発言数の推移と内容を確認した。
 すると予想は完全にはずれた。

「なんか嫌」という不信感

 2022年8月上期まで「デブリに触れた水」は、文章全体に品詞ごとばらばらな状態──たとえば「デブリはXXX。XXXXXX。触れたXXX。がXXX。」のように使われていた。しかもデブリと水について言及している人はとても少なかった。
 だが2022年9月上期以降、「デブリに触れた水(または汚染水)」と定型句のように使われるようになった。
 2022年8月下期から9月の間に何があったのか。
 2022年8月26日、朝日新聞WEB版で[(いま聞く)安東量子さん 作家・NPO法人福島ダイアログ理事長 新しい福島の姿、課題は](図1)が掲載された。
 この記事のなかで安東は「デブリに触れた水を海に流すのは『なんか嫌』」と、放出に拒否感を抱く人の声を代弁して発言している。
 9月3日には東京新聞WEB版に「福島第一原発のデブリ取り出し 建屋を丸ごと水没させる工法を検討 技術的に可能? 実現は見通せず」が掲載された。
 この記事はデブリの取り出し方を論じたもので、本文の前に「デブリに触れた汚染水が大量に増える」という文言があった。また記事を引用したとき表示されるサムネイルには、事故を起こした原発のデブリと汚染水の関係を図解したイラストが表示された(図2)。記事で使用された図解(図3)は、同種のイラストのなかでもっとも単純化されていたといえる(図4)。
 朝日新聞に掲載された安東が代弁するかたちで発した、感情的でふわふわしたゆるい言葉と、東京新聞の単純化されたわかりやすいイラストが、「デブリに触れた水」の発端だったのである。

図1
図2
図3
図4

定型句はいかに定着したのか

インフルエンサーが広めた定型句

 「デブリに触れた水」はいかにして定型句となって定着したのだろうか。
 「デブリに触れた水」を含むツイート数の推移をグラフ化(図5)した。2023年8月の増加が著しいため、2022年1月から2023年6月までを切り出したものが下段のグラフになる。

図5

 この1年間におよぶ推移は、傾向の違いから三期に分類できる。
 第一期は、安東の発言から、衆院議員細野豪志の処理水放出についての発言が「デブリに触れた水」を含む文言で反発された2022年末までの期間だ。「デブリに触れた水」が定型句となって完成した時期である。
 第二期は、処理水放出が夏に行われると報じられたり、小出裕章が行った講演内容が「デブリに触れた水」と紹介された2023年1月から、中国の汚染水プロパガンダが盛んになっていった5月までの期間だ。一部の人々に「デブリに触れた水」が定着した時期である。
 第三期は、59,000人をフォロワーに持つエリック.Cが「デブリに触れた水」を含むツイートをはじめ、彼をフォローしているアカウントが拡散させただけでなくフォロワーたちも使用するようになった6月から、放出が開始された8月までの期間だ。「デブリに触れた水」を使用する者が爆発的に増えた時期である。
 また第三期は、未処理のまま汚染水が放出されるとした誤った解説図(図6)が中国で出回り、翻訳されたうえで「デブリに触れた水」の例として国内に広がった。

図6

処理しても汚染度が高い水と未処理の水

 こうして「デブリに触れた水」は、
1.放出される、処理しても汚染度が高い水。
2.放出される、未処理の水。
と二種類の意味で使用されるようになった。
 発端となった発言で安東は、「国や東電、専門家が説明するように、放射性物質を除去したトリチウム水自体の科学的リスクは恐らく小さいでしょう」と語っていた。安全性が高いことを熟知したうえで、「デブリに触れた水」は「なんか嫌」とされたのだ。科学的な理解より、嫌悪感など感情を優先して放出を反対する立場を彼女は語ったのである。
 その後「デブリに触れた水」は、第二期にかけて「ALPSで処理をしても、所詮は汚染度が高いままの水」とする意味合いで使用された。感情的な意見が蒸留されて、あたかも科学的事実のような見せかけに変化したのだ。
 第三期になり処理水放出が近づくと、「汚染度が高いまま」の「デブリに触れた水」が処理されないまま放出されるかのような誤解をうむツイートが登場した。こうした発言は、

デブリに触れた汚染水を東電はずっとタンクに溜め続けていた] 

と誤った認識を既知の事実のごとく語っている。

 また中国発の未処理のまま汚染水が放出されるとした誤った解説図を使用して、「デブリに触れた水」が放出されると語る者まで現れた(図7)。

図7

定型句に支配された風評

 「デブリに触れた水」について、まとめてみよう。
 定型句「デブリに触れた水」が多くの人に使用されるまで1年間を要したが、安東が代弁し発言したあと着実に使用例が増えていったのは、国や東電への「なんか嫌」な不信感を表現するうえで的を射た言葉で、状態を目に浮かぺやすかったからだろう。不信感だけでなく、怒りの対象を指し示す、とてもキャッチーな言葉だった。
 だが安東が発言しただけでは、ここまで広がらず定型句として定着しなかったはずだ。朝日新聞に掲載されたことと、東京新聞でも同じ言葉が使用されたうえにイラストが添えられていた影響は大きい。朝日新聞だけでも発行部数は400万部で、WEB版朝日新聞デジタルは月間1.8億PVを誇るメディアだ。
 安東が伝えた不信感は、時をおかず「ALPSで処理しても汚染度が高い水」という虚像に姿を変えた。さらにインフルエンサーが使用したことで、定型句を使用する人々が爆発的に増えた。
 インフルエンサーのフォロワーたちは傾向が似ているため、「デブリに触れた水」をめぐってエコーチェンバー現象が発生した。
 また「デブリに触れた水」は「未処理のまま放出される」と更なる虚像まで生み出し、中国発の誤った解説図とともに広まった。定型句に込められた元の意図を知らない人々が、言葉の印象だけを頼りに新たな意味を創作したのだ。
 鼻血デマが原発事故を象徴する現象だったように、「デブリに触れた水」の定型句化は処理水放出をめぐる非科学的かつ感情的な混乱を象徴している。これもまた鼻血などの虚像と同じく、活動家/政治家・報道・不安(不満)層がかたちづくる風評加害の発生回路から生まれている(図8)。
 「デブリに触れた水」の定型句化は、大きな教訓を残した。
 怒りの対象を指し示すキャッチーな言葉が、事実を見えなくする。不信感を乗せて定型句化した言葉が、マスメディアによって報道されると、内容の成否が検討されないまま巨大な風評を生み出す。言葉が一人歩きして、人々の感情や思考を乗っ取るのだ。
 定型句「デブリに触れた水」は、放出後1ヶ月が経過しようとする現在も囁かれ続け、語ることをやめた者も不信感が解消されていない。負の感情と感情を合理化する誤った理屈が、1年越しで特定の人々の不信感に大量の燃料を供給してしまったのである。

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